見出し画像

「前の思い」と「今の思い」は「同じ思い」かについての考察

今の様子、事実、あるがまま。

そのまま手付かずであれば問題ない。

事実の中に迷いはない。

「○」を見て、視覚は「○かな、△かな」と悩まない。

ズバッと「○」にみえる。

思いも事実。

浮かんでは消え、消えては浮かぶ。

ポッと出た思いは放っておけばすぐ消えるけど、思いが連なることがある。

「前の思い」と「今の思い」は繋がっている(関連がある)と思う。

「この思いはさっきと同じ思いの続きだ」と思う。

同じ思いを再認していると思う。

すると思いが続いているように感じる。

しかも、「前の思い」に「今の思い」が追加されている様に感じる。

たとえば、「お腹が減った」と思う。

次に、「○○が食べたい」と思う。

二つの思いは(本当は)前後裁断している。

「前の思い」を再認し、これに「今の思い」をくっつけたとき、「お腹が減った、○○が食べたい」という思いになる。

思いに手を付け始めている。

「前の思い」に「今の思い」を繋げると(考えを発展させていくと)、思いに重みが加わる。

重みが増すほど思いの引力が強くなる。

ブラックホールの様に、次々に連関する思いを、片っ端から巻き込みはじめる。

思い自体にエネルギーがあるかの様に、他の思いを巻き込み始める。

思いは瞬間毎に新しいけど、「前の思い」より「今の思い」の方が重たく感じる。

思いが重いと、無意識にそればかり思うようになる(意は情報量の多い方に引っ張られる)。

更に、思いは継続すると、あたかも一つの、思っている実体があるかの様に感じられる。

思いもその時々の事実なんだけど、内容に手を付けすぎると迷いが生じる。

そもそも迷いとは何か。

こっちかな、あっちかなと、はっきりしないこと(思いに手を付けること)。

思いの内容や判断には迷いや誤謬が含まれる。

※以下のnoteの補足でした


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?