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政治学者は見た!PTAは魔界:ブックレビュー

【書籍タイトル】政治学者、PTA会長になる 
【著者】岡田憲治 
【出版社】毎日新聞出版 (2022/2/25)

それは未だ、私が公立小学校の親の仲間入りをする前年。同じ区内の公立小学校へ、数年先に我が子達を送る友人・知人から、「PTA」についてこんなことを聞いた。

同僚女性@職場:「昨日の保護者会の後、家でビール飲んじゃった~。4月の小学校の保護者会って、新年度のPTA役員が決まるまで、帰れないのよね。あの殺伐とした雰囲気!」

外国籍の親友@公園:「最初の年、周りがPTAはやるものだ、って言うの。でも実際の活動に行くと、指示が曖昧で、人数ばっかり多くて、毎日忙しいのに無駄な時間って思っちゃった~。
 二年目のPTAの申込書は、『加入しない』にチェックして出したわ!」

そんな耳年増な状態で、明日は我が身かの心配しながら、PTAワールドを覗き見したい思っていた、無傷なままで。そしてある日、新聞の書評欄で見つけたのが、「政治学者、PTA会長になる」だ。


1.著者ご紹介

岡田憲治氏:大学で政治学を教える、大学教授。「齢(よわい)四十七で人の親」となり、息子さんが小学生になった時、「およそ半世紀ぶりに小学校に足を踏み入れた」。
 息子さんが所属するサッカークラブのママ友から「オカケン」の愛称で呼ばれ、「古くて、今を生きる保護者たちが近づきにくい」PTAを変えて欲しいと白羽の矢が立ち、お子さんが2年生の時から3年間、都内区立小学校のPTA会長を務める。
 著者は、何度も断ったが、それ以前に見聞きしていたPTAワールドの心がザワツク出来事について、「悲しいことが続くんだよ!?」というママ友の声が頭の中でこだましてしまい、悪癖の義憤に駆られ、ついにPTA会長を引き受けたという熱い人!
 著者をPTAワールドに引き入れたママ友達を、彼は、「魔界からの使者」と呼ぶ。

2.本のつまみ食い

☆のっけ:「学校の数だけ各々異なったPTA空間」があるとしながら、全てに共通するのは、「自治への意志」が、細胞レベルで存在すると説明。自治については、「自分の生活や人生に直接関わる決め事は、できれば自分で考えて、自分で判断したいという気持ちに支えられた生活の技法」となぞらえる。

自身の生業である政治学から、自治という概念のフィルターを通してPTAワールドを語る。PTA、つまり、Parent-Teacher-Associationは、親と先生の任意団体であり、「出入り自由のサークルに過ぎない」Associationが、「誰が作ったのかもよくわからない決め事に縛られて、とても苦しそうだし、そこから生まれるネガティブな気持ちを起点に苦行のようにPTAをやっている人も多い」というワールドに対して、「これは自治の話なんです」と伝えたいというのが、この本のタイトルの含意だという。

☆ベルマーク:著者が会長の内定者として、現役役員と一同会する場面を、彼は「一触即発」としている。が、読む方からしてみれば、相手方(現役役員グループ)は実際の攻撃に着手しており、それをすぐさま迎え撃つ、著者を魔界に引き込んだ彼のママ友達(新会長を推すグループ)との間の攻防が、つぶさに記録されている。内定者の紹介がされるやいなや、保守派と改革派が言葉巧みに攻撃し合っているのだ。そして、著者はつぶやく「ここは本当に魔界だったんだ!」

そんな魔界の象徴として、この本で何度も登場するのが、「ベルマーク」。形骸化した二十世紀の制度の典型として挙げている。「PTAと言えばベルマーク。ベルマークと言えばPTA。王道だ」。なるほど、二十世紀には、財政の乏しい自治体への協力を目的として、時には数万枚のベルマークをPTAが集めて、学校の備品を購入したりしていたとしつつ、「このベルマークの収集作業の長時間労働は、女性保護者の職業形態が大きく変わった現代においては、ほとんどお話にならないほどの効率の悪さだ。」

 私は思い出す。そう言えば、小学校のママ友が言っていたな。ベルマークの枚数を数えるのが手作業なのは理解するけれど、枚数の記録も手書きなの。何故せめてエクセルでやらないんだろうって。

 でも、結局著者はこの改革を断念する。他の役員から、このベルマーク収集の場が、女性グループの愚痴の場、ガス抜きの場として機能しているという助言を得て、つまづくのだ!

☆「オフィスママ」と「専業ママ」:著者が会長を務める小学校では、「オフィスママ」が全体の7割になる。著者紹介で引用した、彼が「古い」と形容するこのワールドは、彼の就任前には、「女性保護者のほとんどが専業主婦であった二十世紀」の実態に合ったものとして、当時の現役役員の視点は、専業ママの生活の利便性に引っ張られて運営されていたという。
 そう、この令和の時代に、「パパは会社。ママはPTA」という役割分担が固定されたまま継承されている実態を指摘している。

 そして、著者は就任二年目以降、それまで平日に行われていたPTA役員会を、月1の土曜授業日の午前中に設定することで、参入障壁を下げた。しかも、「『今の』専業ママ役員の既得権益(上が小学校、下が幼稚園の二人の子の家庭にとって便利なスケジューリング)」にも配慮し、役員会に、子連れ出席や子供の病気での欠席を奨励した。結果、男性役員が5人という前例のない(!)構成になった上、「時給ゼロ円でうまくやったからといって別に暮らし向きが良くなるわけでも何でもないのに活動に来てくれる」人が集まって、著者二年目の役員活動が始動したのだ。アッパレ。

3.おススメ度:☆5つ!

 私もオカケン(失礼!)のママ友になりたい。この本を読み進めるうちに、そう思った。実は、この本が出版されたタイミングで、私は既にそのワールドで心に傷を負っていた。娘が2年生に進級した、最初の保護者会、会社の同僚がその晩は「飲まずにやってらない」と言っていた、役員決めの場で、最後まで決まらない役員を担任が保護者に代わってクジ引きという手法で、私は役員に就任してしまったのだ。ひどい一年だった。

 我が子が大好きな小学校の児童全体のために、何かしたいという気持ちがないわけではない。むしろその反対だ。けれど、とある週の木曜夕方に、翌週月曜午前10時の会議招集が来て、コロナ禍にzoomで会議しない理由も、配布物を印刷でなく、オンライン上で共有しない理由もわからないのに、議題のない会議に座り、印刷機のために学校に集まり、個別家庭との時間調整をして資料の配布作業などするのを命じられるのは、仕事と育児と家事に負担を上乗せされる、まさに苦行の日々だった。

そして、私は意見した:私も貢献したい。が、時間の制約上、zoomの活用や、web上での資料共有など検討してくれないか、と。その返答は、「バリバリ働いているあなたのような人には分からないと思うけれど、これまでのやり方と踏襲することも大事なんですよ。」と、私は一瞬にして対岸に追いやられてしまった。対岸の彼女に、分断を認識させられた。何も響かない虚しさ。あの時、オカケンが私のパパ友だったなら(妄想)。

 自らの体に鞭打って負担を受け入れたとしても、私が最もきな臭さを感じる空気。それは、著者自身も、この本についてのインタビュー記事で指摘していたが、PTAワールドには多くのジェンダー問題をはらんでいることに起因する。そう、100歩譲って、著者がイミジクモ言い当てた自治の根源にある非ボランティア的な、一家庭一役『平等(!?)』負担のPTAワールドのなかで、頭を垂れて苦行の日々をやり過ごしたとしよう。その後さらに数十年間、前時代的なやり方が継承されたPTAワールドが存在していくと・・・?

 因みに、私の外国人のママ友が果たした、任意であるはずの加入申込書そのものが存在しない空間に私はいる。

 我が娘達の時代に、そんなことが継承されるということではないか!自分の子供時代と同じことが、20年経って繰り返されているなら、何もしなければ、我が子の世代に引き継がれると考えるのは当然だ。親として、そんなことを本当に受け入れるべきなのか、私は考えたい。自分の娘達が、このエリアに居住したとして、自分達の子供(私の孫!)を育てながら仕事をし、PTAワールドがつきつける『子供達の幸福のため』という抗いがたい理由の前に沈黙しながら、ベルマークの枚数を手書きで記入しているところなど、想像するだけで恐怖だ。あの役員としての1年間、私が一役員として抵抗して出した意見が焼石に水ならば、私には何ができるのだろう。見当もつかない。


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