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幼稚園の餅つき大会で使う「三角巾」、好きな柄を選ばせてもらえなかった記憶

こんにちは。
廣田左希子historyにようこそ!

このマガジンでは、私の実の母との強烈な思い出をご紹介しております。
毎回お伝えしているのですが、今では母とは良い関係で過ごすことが
出来ています。
でも私は、もの心ついた頃から成人するまで、母の強い圧力を
感じながら生きていました。
「この世で母が絶対的な存在」
この思い込みを我が子に根深く植え付けるほど、
母は強烈な性格の女性でした。
いやでも、それほど強烈に生きられる人もある意味すごいですよね。
絶対にぶれない、「自分が正しい」との信念を持っている人でした。

さて今回は、私が4歳~5歳位だったでしょう。
幼稚園の年少さんの頃経験したことをご紹介します。
皆さん、自分が幼稚園の年少さんだった頃の記憶ってありますか?
断片的にいくつか覚えていることはあると思います。
ちなみに、私は日々幼稚園で何をしていたか、
家でどんな風に過ごしていたか、ほとんど記憶にありません。

ただ、明確に記憶していることがいくつかあります。
それらをゆっくり思い起こせば、嬉しかったことや楽しかった
ことより、ショックだったこと、恥ずかしかったこと、
悲しかったことがほとんどです。

それだけ、人間の心は「傷み」の記憶が心に残るのですね。
特に、人格形成されていく間の幼少期。
それを思うと、幼少期から青年期にかけての子供への教育、
接し方、言葉のかけ方などがいかに大切なのかが
身にしみて感じます。


さてさてタイトルにもあります通り、今回は
「幼稚園での餅つき大会で使う三角巾を、自分の好きな柄を選ばせてもらえなくて悲しくて恥ずかしかった」お話しです。
幼稚園の年少さんの時、通っていた幼稚園で餅つき大会がありました。
そこで、頭にまく「三角巾」を持ってくるように先生から言われました。
三角巾と言っても、ハンカチを三角に折って使います。

その頃、どんなキャラクターが子供達の中で流行っていたかは、
覚えていませんが当時気に入っていたキャラクター柄のハンカチを
買って欲しい、と母にお願いしました。
そこで母から返ってきた言葉は、

「そんなの要らない。お母さんのハンカチを持っていきなさい」

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