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デッドゾーンを超えました

危険地帯の話ではありません。”超”自立から相互依存に至るまでに、今までのやり方が通用しなくなってしまい、どうにも気力のない状態になったものの、なんとか超えました、という話です。心理学入っていつもと違うかんじで書いています。長いです。ちなみにこの"デッドゾーン"、英語ではなく神戸メンタルサービスの用語っぽいです。

渦中にいるときは、刻々と自分の状態・考えが変わるので、real timeでは書かないようにしている。そして、上のような状態だったため、ほかの記事も書く気力が湧いてこなかった。関係のない楽しい記事なら、と思い、ポケモンの記事なんかを書いていた。

さて、5か月間苦しんだけれど、そろそろ峠を越えたと思う。果たして一体、何が起こっていたのか?

転職前(有休消化中)

Yoga teacher training-YTTをやった。Yogaとは、ジムやスタジオに行って、マットの上でやるもののことかというと、そういうイメージを持たれがちだし私もそう思っていたのだが、そうではない。Yogaとは時代の変化・人々の暮らしの変化に、形を変えて寄り添ってきたものであり(5000年とか歴史があるので)、本質はWho am I?と問い続けること。つまり誰しも1度は人生で考えることなのだそうだ。今はfitnessという形になっているに過ぎない。YTTの中身は未だに書けていないのだけれど、ここで重要なのは、私は生活の心配もなく、比較的いい状態にあって、自分を見つめ直す時間が取れてとてもいい気分だった、ということだ。夏のボーナスで買い物もしたし、友達にも会いに行った。

この時に、私は思ったよりAsexualだ、と気づいたし、自分の感情によりaccessしやすくなった。というわけで、このあとのデッドゾーンは、壁にぶち当たったのではなく、ふたをしていた箱からあふれてきたのでもなく、機が熟して、私が変化に耐えられる、というか対処できる準備ができたから、起こったのだと思う。

転職直後

この時期にnoteを始めたので、書いてあるとおりなのだけど、入って1週間ですごく疲れてしまい、その後は悲しく、不安になった。それ以降、PMSもあって泣く泣く日々が続いたり、これではいかんと思いおばあちゃんに会いに行ったりした。PMSが終わると共に泣かなくはなったけれど、気分は晴れなかった。

とにかく逃げたい気分で、誰もかれも、何もかもがうらやましかった。別人になってしまったみたいに、転職前に何を考えていたのか、どんな状態だったのか思い出せなかった。

  • この仕事が合っているとまわりに言われたし、自分でもそう思ったんではなかったか?

  • 前の仕事に戻りたいわけじゃない。恋しいわけでもない。

  • だけど今スキルアップのための時間稼ぎや、仕事をしないで家でのんびりしたいと思っていることは、前の仕事のほうがやりやすかったじゃないか。

  • 人に会いづらくなったから、いわゆるコロナ鬱なのか?

私には夢があり、今の仕事も通過点なので、とにかく転職活動をーというか情報収集を始めた。逃げたい気持ちをpositiveに転換したと言えるかもしれない。Antidote to anxiety is action. 主任試験と同じように、1年かけて転職したのと同じように、時間をかけて少しずつやっていけば、達成できるはずだ。そう思って週末カフェで時間を取ることにしたものの、調べるごとに叶えられない気がして怖くなり、前に進めなかった。そのうちに、ひとりで頑張ることが嫌になってしまい、毎週行くのはやめた。転職以来Zumbaに通い始めたのだけれど、あんな楽しいダンスですらあまり楽しめなかった。最近笑ってないな、表情筋が動いていなくて垂れてきたわ、これも新しい仕事になってからだな、と思った。

出張とHigh

2か月経ったところで、出張に行った。ずっと買いたかったおみやげも手に入れたけれど、あまり満足感はなかった。ここでは面倒見のいい人にカツを入れてもらった、というか、かなり厳しいことや言いたいことを言われたのだが、確かに甘えていたところがあったなーと思い、一瞬気分が戻った。待たせたね!と言いたい気分だった。同時に、ずーっと気分が落ちていた最初の2か月とは違って浮き沈みが出てきており、ちょっとプロの手も借りるべきかな、そろそろやばいかな、と思い始めていた。そういうわけで一瞬の気分もすぐに戻ってしまった。しばらく会っていなかった母とも一応和解し、会ってみたけれど、解決にはならなかった。
じゃあ何だって言うんだろう?と思っていた。

電話無料カウンセリング

いよいよ手を打たねば、と思ったとき、まず考えたのはカウンセリングだった。というのも、私は1度診断書をもらって病気休暇を取っているので(薬はなかったし、1か月で復帰したけれど)、今回はまだやろ、と思っていた。ただ、逃げたい、辞めたい、働きたくない、甘えたい、頼りたい、小学生がうらやましい…という気分だった。病気休暇で休めたらいかに楽だろうと思った。だけど今回は復帰後も大変そうだったし、休んだらどんどん悪くなりそうでもあり、精神状態はどうであれ仕事に支障は出ていなかったので、踏みとどまってはいた。

長田杏奈さんのPodcastで、期間限定でカウンセリング1回無料のサービスの話を聞いたことを思い出し(こういうの聞いたときにメモしておくとあとで役に立つよね)、調べたらそれはもう期間が終わってしまっていたのだけれど、ほかに無料のカウンセリングが見つかった。そして電話した。これがカウンセリングサービス/神戸メンタルサービスだった。

転職以来、気力が落ちてしまっているんです、と言ってみて、言われたことは、とにかくまわりに助けを求めましょう、ということだった。
「今までneglectで助けが来なかったから、どうせ来ないと思っているだろうけれど、助けは来るという気持ちを育てたい。自分で自分を助けてあげて」
そして、ちゃんと泣かせてくれた。今までの私だったら、電話で初対面で泣いたりはできなかったけれど、YTTのあとで、本を読んだり自分で取り組んできたりした長年の成果があり、泣くことができた。ただ話を聞いてもらうだけの、すごくslowなtherapyとは違い、前に進んでいる感覚があった。こんなのほかにないぜ、と思った。このサービスについては、別に書きました。

数日後、信頼できない・合わないと思っていたけれど、いつでも相談してと言ってくれていた同僚に助けを求めることができ、ランチに行って話を聞けて、少し楽になった。

再びclinicへ

そうして電話をするようになったものの、やはりすぐに気分は上がらなかった。休日や夕方は元気で、朝・家で気力が落ちる以外は普通だったことと、薬を飲みながらパワハラに耐えている友達がいることで、もしかしてこれは薬で何とかなるものなのか?と思い始めた。薬はなんだか怖いし、即効性もないのでsupplementsを調べてみたけれど、どっちにしても副作用もあれば効くまで時間もかかるようで、踏み出せずにいた。しかし、話を聞くだけでも、ということで、家から近いこともあって予約を取った。

予約を取ったときは、昨晩カウンセリングに電話したにも関わらず、というかむしろ電話したことで暗い気分を引きずってしまい、天気がいいにも関わらず気分が上がらずで、AMは家でまったく仕事が手につかず、焦っている時だった。出社すれば気分は下がらないものの、鞭を打っているかんじで家にいることが多かった。そんな状態だった。

散歩して帰りにランチに行ったものの、食べられない…どうしよう…となってしまい、母に連絡を取った。なんとかたいらげて、家に戻って母に電話し、夜に家に行くことにした。どうすればいい、と聞かれたときは、そう来るか~と思った。夕方は元気になるので、母に会いに行ったときには何ともなくなっていたが、連絡をくれて嬉しかったと言ってくれて、人に助けを求めやすくなった。この日だったか、前日だったか、PM仕事中に友達にも電話をかけていて、やはり、いつでも連絡をちょうだいな、と言われていた。

なわけだが、実際にかかって話してみると、「病気ではなく環境要因だから薬はあんまり勧めないね」ということで経過観察になった。私のどこかが悪いわけではない、と聞けたのはよかった。そうしている間に、上のYouTubeや電話で回復が進み、2回目に行ったときには峠を越えて、特に問題なくなっていた。私が希望したので、念のためもう一度行くのだけれど、それで終わりだ。

回復へ

電話カウンセリングは、「今日はまずい、話したい!」と思った日に予約を取って利用していた。というわけで夜にかけることが多く、お風呂で泣いて、上がっても泣いて、暗い中で自分の心の声を聴いて泣いて寝る、というかんじだった。翌朝すっきりしていればいいものの、引きずっていると上のように辛かった。

カウンセリングはそれほど高くなかったので、相性のいいカウンセラーを見つけたら、お金を払って利用するつもりだった。のだが、話しているうちに問題が変わっていき、転職して気力が落ちた、から、不安であることや恋愛になり、問題によって相談したい相手が変わった。まず同性に頼り、異性に頼れるようになると回復が進んでいる証拠だそうだ。そういうわけで、私は女性に限っていたけれど、男性にも話すようになった。母とは和解していて、父とは連絡を取らないままでいたことや、ちょうど美容室で男性に担当してもらい、男性に委ねることを思ったこともあったと思う。そして回復が進むにつれて、特に大きな問題はないと言われた。仕事以外の話もして、整理し終えた感覚もあった。もちろんこれから利用することがあってもいいのだけれど、今のところは足りている。

同時に、サービスのブログ講座やYouTubeも見ていて、ブログは最初は意味不明なのだけれど、YouTubeを見るようになってから状態が良くなったと思う。ポケモンをやりながら、倍速で聞きながら、毎晩過ごしていた。腑に落ちたことがあればメモして自分に許可をしていた。

効いた内容は、

  • 過去に家庭事情があり、自分が傷ついたのは事実

  • 子供のときに、もっとこうしたかった!こうしてほしかった!実は悲しかった!がある

  • 自分は愛される価値がない、罪悪感を持つにふさわしいと思っている部分がある(生きている限り、だれにでもある)

  • 子供の私は、親を助けるために、しっかり者になった(それが今、人を頼れない自分になっている理由でもある)

  • 親は当時ひどかったかもしれないけれど(うちの場合はneglectだった)、それぞれの事情があったことが、大人になった今ならわかる

  • それでも、親には親にできる愛し方をしてくれて、それに気づいていない・愛を受け取れていない部分もある。そこは、受け取っていい

  • 親を許す必要はないし、仲良くする必要もない。事情があったのかもなーと考えるだけでいい

というのが、家庭まわりの話で、

  • 学校事情いろいろあって傷ついたのも事実で、振り返って認める・手放していくことができる

  • 投影するので、自分から気持ちよくふるまわないと、変わらない

  • ただし、前提として、みんな私を(私に限らないのだけれど)愛したいと思っているし、気持ちよくふるまうのは自分も気持ちがよい(これを実践した1日の話は、別に書きます)

  • 自分ではもう過去のことと思っていて、普段思い出しもしなかったことが、影を落としていることがある

こと恋愛に関しては、

  • 気持ち悪い人に好かれたり(ex. ハナタレ小学生)、告白してふられたり、告白されても自分が理解されて好かれていると思えなかったりで(以下記事参照)、”間違った学習”をしていた

  • 自分をわかってほしい、信頼できる人がほしいと思いながらも、自分を全部出していいとは思えなかったし、思いもしなかった。私の外見が好きなだけだろう!と思いながら断ってきたけれど、じゃあ私を説明しよう、とは思わなかった

  • ありのままの自分を受け入れてもらえる幸せと、愛を与える幸せを、自分に許可する。自分の夢がかなって本当に幸せになってもいいし、気の合う人が見つかってもいい。そうなったらどんなに幸せだろうと、自分に許可する

というあたりだった。

結局何が起こっていたのか?

心理学的な説明しかできないんだけど、依存→自立→相互依存に行く過程で、相互依存ではなく超自立に行ってしまい、行き詰まっていた。ということらしい。

もちろんうまく相互依存に行ける人もいるけれど、大人になっても自立できない人もいるし(想像つくよね)、私のように自立を極めてしまい、相互依存にいけない人もいる。自分が我慢しているという意識はなかったし、むしろ我慢なんてできないタイプだと思っていたけれど、とにかく何でも1人でできてしまうし、やろうとする。できないことは解決できないまま、人を頼れない。というより信頼できない。怖い!そうして超自立してしまい、デッドゾーンに入ってしまった。孤高の岩の上にひとりでいる感覚。たしかに気力が落ちて、死んだようであったよ。

一般的に、何か昔ひっかかったことや経験があって、人って作られていくものだと思う。これはうまくいかなかったから、静かにしておこう、みたいな。傷ついたから、すぐに信頼しないようにしよう、気を付けよう、みたいな。そのやり方が、うまくいかなくなったということなのだろう。

なぜ転職したタイミングでこうなったのか?といえば、

  • 今までは準備ができていなかった。だけど今は、夢に向かって羽ばたく準備ができた

  • 同僚が男性ばかりで、男性的な頑張り方をしなくてよくなった。甘えられる恵まれた状態になった。傷ついた女性性を癒すチャンス

なんて言われた。私としては、

  • 新しい環境で、頼らないとやっていけなかった。だけど、頼れなかった。前にも不安だった状態が蘇ってきた

  • 仕事の担当メンバーが、子供のときの家族構成・役割と酷似していて、子供に戻ったような気分になってしまった

だと思っている。つまり私はとんでもない転機の中にいたらしい。だけど、25-35歳あたりで多くの人が、すべてがうまくいかなくなった!という経験をするものなのかもしれない。

カウンセリングを受けて自分で取り組んでも、自分の性格や傾向が変わるわけではない。ただ、それで苦しまなくて済む。同時に、悟れば問題がなくなるわけではない(悟ったことはないけれど)。友達ができるかもと期待してイベントに行ったけれど、なんか合わなかったのであれば、私のせいではなくただ単に合わなかった、でいい。信頼できる関係がほしいけれど、しょっちゅう連絡してくる友達はうざい、でいい。すべてを深く見つめなくてもいい。そう思えたあたりで、私は大丈夫になったんだな、と思った。もちろん気力も戻ってきていた。

自分の中の♂♀

人には誰しも男性性・女性性がある、という考え方をするらしい。興味があれば見たり読んだりしてもらうということで、説明はしないけれど、自立!競争!というのは、男性的な頑張り方だった。dead zoneにいるときに、自立に戻ることは解ではない。これからも男性性を発揮することはあるけれど、それだけでやっていくことはもうできないし、しなくていいらしい。

女性性を癒すと言われても、私はすでにピンクの花柄のワンピースを着るし、どうすればいいんじゃね?と思っていた。メイクを工夫したら楽しかったのだが、私にとっての女性性とは、どうやら愛すること、感情を深く感じて表現することらしい。

Aceだから愛されない?

Aceでもallosexualとつきあっている人はいるし、Partnershipは可能なはずだけれど、どうやら私はaceだから恋愛は無理、本当に愛されることもない、愛されるに値しない、と思っていたらしい。

サービスでは男女関係の例え話が多く、おもしろいと思うものの、そのたびにaceの私には関係のない、わからない話、と思っていた。私はやはりだれかに性欲は向かないと思う。愛に飢えていない今、恋ができるかも怪しい。Love songに書くほど、相手が一番だと思う気持ちというのは、どういうものなんだろう。ほしいけど、求められない。私にはわからないものだ、と思ってきた。

ただ、男性に好意を向けられるだけで怖いのも事実だった。どこまでがaceで、どこまでが近い距離や男性が怖いのだろう。そう話してみたら、Aceをどこまでわかっているのかわからないけれど、私は本質を見る人、と言われた。自分を隠しているわけではない。隠さなきゃいけない、これを知ったら私を嫌いになる!と思っていることはないけれど、初対面で私の何がわかる!ちゃんと私がどういう人か知った上で好きになってよ!と思っているのは事実だった。

私にとって好かれるってことは相手にcontrolされるということで、自分のすべてを犠牲にして、尽くさないといけないことだった。だから怖かった。しっかり者の私は、親の悲しみや負担を背負い、すべて自分のせいにして、責めて生きてきたのであった。それだけに、親を救いたかった優しい子なのであった。だからこそ、私がどういう人か理解できないでしょ!また利用しようとしてるんでしょ!と思っていた。

許可

私が惹かれる人には、いつも相手がいた。その反面、かなりの数をお断りしてきた。自然消滅した人だって、1番にほしい人じゃなかった。つまり自分に愛される価値なんてないと思っていた。そもそも満たされていなかったので、与えてほしいと思うばかりで、与える余裕なんてなかった。

だけど許可をしていいのだそうだ。私が興味を持てる素敵な人で、私にも興味を持って、大切にしてくれる。私が愛を注いでもいい。そんな人がいたら、どれだけいいだろう、と、楽しく想像する。そんなこと?と思うようなことだそうだ。

「怒ると怖いところも。時々気分が沈むところも。全部好きです。」

そう言ってくれる人がいたら、どれだけ嬉しいだろうと、想像して泣いてしまった。そう言ってくれる人を見つけるためには、まずは私はこういう人です!と、罪悪感なく、表現することだろう。私は愛を感じても、表現しても、恋をして強い感情を感じても、いいのだから。

そして、”シングルで素敵な人もいていいよね”と思った途端に、不思議と浮かぶ顔があったのだった。愛したい気持ちも出てきたし、これだけ人がいるんだから、合う人は絶対に見つかる。ましてや私はmultilingualで、見た目のタイプもないわけで、範囲も広いのだから。笑

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