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ナンパと乞食はガン無視で

私の勘は、まったくないわけではなく、少しはあるほうなのだろう。

思い出すのは、ある面接に向かうとき、最寄り駅を降りて地上に出た瞬間に、ここに通うことはないという直感が下りてきてしまい、魅力的な会社だったのでどうしようかと思ったことだ。その後面接に向かってみると、実は今年度業績がよくないので、人をとる余裕がないのだという話だった。

それから、ある奴とデートしたりしなかったりしていて、行く末が不安になったけれど、この人とは何があっても大丈夫ーとわかっていたこともあった。それは、心配しなくてもうまくいく、なのか、心配しなくても、そう傷ついたり気まずくなることなる収まる、なのかはわからなかったけれど、とにかくそう思った。実際、その相手とはつきあうことはなかったが、何の問題もなく同僚だったりする。

一番困るのは、今日はなんだかついていない要注意の日だ、とわかるときである。防ぐことはできないし、自分の調子も悪いので、予想通り何かあって傷つく。翌日もなんとなく思い出して、2日たてば忘れる。ただ、そういう日が定期的にあるものとして、こんなもんで済んでよかったじゃないか、と思うしかない。


今日の調子は

目に入るもの、つまりは注意が行くものは、精神状態を表しているらしい。だから怒っている人を見かけたら、自分も怒っているかな?と考えるのだ。今日は、調子はよいほうだけれど、なんだか噛み合わないような、そんな日だった。楽しそうな親子ばかり目についたし、店員さんとも話した。

で、何が起きたかというと、駅のホームで声をかけられた。狭くて、混んでいて、私は違うホームに向かっていて、声をかけてきた人はおそらくちょうど電車から降りてきたのだろう。で、いつも通りガン無視をするわけだけど、相手は私が聞こえていなくて反応していないと思っているので、なんか触られて(今回はひじ)、相手がいないであろうところに行って、しばらーくしてからひじを払う、という、いつもの展開だった。ホームで待ち構えて、乞食なり片っ端から声をかけるというのは、混み具合からしても考えにくいので、まあ、突発的な?ナンパだったのだと思う。

無視すべき人はすぐわかる

日本ではアメリカのように電話番号を聞かれない=モテないと思う、というのは、留学した女友達あるあるなのだけど、それがナンパだろうが、客引きだろうが、なんかそういう"魅力的だから声をかけているわけではない"系なのかはわからないけれど、そういう風に声をかけられることは、私は日本でもある。夜7時でも、ひとりで歩いていると声をかけられる…という道は、避けるほどじゃないけどちょっと構えるし、改札で声をかけられたり、前を歩いていた人が振り返って、めっちゃ可愛いっすね、と言ってきたこともあれば、私は荷物で両手が塞がっているのに、"俺の手を取ってくれよ"と腕を差し出されたこともある。本音を言うと、手塞がってるのにそうやってくるって、バカだよね。笑 

で、いつから私はそういう輩を、ガン無視するようになったんだろう。笑

上京あるあるだと思うのだが、東京のティッシュ配りは、引き下がらない。笑
そういうわけで、声をかけてくる人は、ビラやティッシュだから、怖いし無視、ということになったのだろう。ちなみに、アメリカの乞食は、段ボールになんか書いて、お金を入れるものを置いて座っていることが多く、ネパールの乞食は(子供ね)、紙幣を乗せた紙をしっかり体につきつけてきて、通り過ぎるまでしばらくやめなかった。格差の話…ではなく、今日は私が断る話だ。

アメリカでは、道で物を配る文化がなく笑、いわゆる道でのナンパもなくて、店員だったり、タクシーの運転手だったり、少しやりとりをした人から電話番号を聞かれる、という形だった。だから、道で声をかけてくるのは、本当に、乞食だった。お金がなくて家に帰れない、とGrand Centralで言われたこともあったし(通勤後っぽい女性だったけどね)、かわいいとか何とか言ってきて、結局Can I have a dollar?と言ってくるおばちゃん、ということもあった。あとは、客引きで、ニイハオとか、ココロノトモヨーとか言われる、という具合だった。笑

ただまあ、いわゆるゲットーに住んでいたこともあり、留学してすぐの時期に、どうしてもガードが緩んでいるので、というか、新鮮な環境を楽しんでいる時期に、ナンパやらなんやらが起こったので(弱い人がつけこまれる図ね)、”話しかけんなオーラ”を出すようになったことはあると思う。道をたずねるを装ったナンパも、そういえば、あったなあ…

ちなみに私は道もよく聞かれる。こういう場合はガン無視はしないで教えるし、何なら”いかにも迷っている人”を見ると(複数で地図を見ているとかね)わざと様子を見ながらゆっくり通り過ぎるのだけれど、道を聞いてくる人というのは、話し方に”誰でもいいから声をかけている”感がないので、わかるのだ。

どうやって見分けているのか

乞食でも客引きでも”寄付のお願い”でもいいけれど、誰にでも声をかける人というのは、まず、立っている。つまり、大半の人と違って、どこかに向かって歩いているわけではないし、場合によってはほかの人と話している。その様子が、”知り合いが話している風”ではなく、話しかけているんだなーとわかれば、繊細あるあるなのか、周りが見えるタイプだからなのか?、私は気づく。相手はといえば、道行く人の中から声をかける人を探しているわけで、相手が私に気づいて、話しかけようとしているのもわかる。

で、通り過ぎるときに、話しかけてこないといいなーと思いながら、ガン無視で通り過ぎる。見えないふりをするし、実際相手のことは見ていない。見てもいいんだろうし、手を振るとかしてもいいのかもしれないけど、見たことで追いかけてきても困るので、とにかく無視している。ただただ、怖い。
で、配る・声をかける人ならそのまま立ち尽くして次に行ってくれるわけだけど、たまに、ちょっと追いかけてきて、触ってくる人がいる。あとは、挙動不審ではないが、”普通の振る舞いではないないから関わらないほうがよさそうだな”、という動き方をしている人も、できるだけ避ける。

で、このあたりのことは、日本でもあるのだろうけれど、違う国にいれば、”あの人見た目は〇人っぽいけど振る舞いが違うな”という経験をするので、わかるようになったのかもしれない。ちなみに、サンプルを配っている人なんかは、”狙いを定めてる”かんじではなく、ちょっと気弱そうなのでわかる。笑

ついでに人混みの話

人混みも、調子の悪いときは、衝突しそうになったり、よけてくれなかったり、もうちょっとよけてほしいなあと思う距離感だったりするよね。スキーでも運転でもないが、流れを見て動くのではなく、この方向に行くんだ、という方を見て進むのが良い気がする。そして、こういうことが、人が多くてストレスも多い場所に住むconであると思う。なんなら家を出て角を曲がっただけでも、人をよけない人に出会ったりするくらいで(私も気に食わないからよけないしね)、そうなればもう、家にずっと籠っていたくなるのも、というか、外に出るのが怖くなるのも、わからないでもないと思う。まあ、私はそもそも、違う環境に行きたいと思っているので…というのもあれど。

私は日本の男子が怖いので

日本の男子との恋愛について、留学女友達と話すと、

  • (こっちをどう思っているのか)わからない

  • (こっちの好意は)わかってくれない

  • こっちにそんな気は一切ないのに、勘違いする

  • 受け身

  • 体見てくる

  • 顔で選んでくる

とまあ、いろんな意見を聞く。私としては、どれも当てはまっている気がするけれど、最近後輩と話す機会があって、改めて、言っていることじゃなく、本当のところ、私は日本の男子に対してどう思っているんだろうかと考えていたところだった。で、私は日本の男子が基本的に怖いし(道の人じゃなくても)、信用できないと思っているし、興味もそこまでないので、近寄ることがあまりなかったということになる。その中でも信用できそうなのを見つけると、行ってみたりするけどね。自分で選ぶタイプなのね。

ちょうど、面倒で暑苦しい系のboss達に、私はクールだと言われたのだけれど、それは勘違いで、

あんたらが面倒な存在だから距離を置いているんだって。人の性格のせいにすんなや!

だったりする。笑
こっちのほうが幸せだし標準的な考え方なんだろうけどさー、自分に一切非がないことを前提に考えている人の意見だよね。女性は基本的にいつも心配してることだと思うんだよねー。

だって日本のおっさんってデレデレして調子に乗って触ってくるじゃん!!!好かれたら怖いことばかりなんだって。その気ないのに勘違いされるし。好かれるし。怖いし。断らなきゃいけないし。というのが本音だったりする。まあつまり、あんたらを信用しておりませぬ、わかってもらえると思ってないから説明もしてないの、ということである。
そういうわけで、声をかけてくる♂に対しても、怖いから固まって無視してとにかく立ち去る、になる。苦笑

これが、違う国の人が相手で、英語環境だったらどうなのかというと、正直、私の性格も違うし、きっといい人なんだろう、と思いながら話を聞くし、道で声をかけられたとしても、相手の顔くらいは見る。笑
で、無防備に、いや、構えることなく話したり笑ったりして、5分も話せば電話番号を聞かれる、ということになる。だけど、そうやってはっきり聞いてくれれば、なんとなく断れるし、日常的に顔を合わせる相手でないかぎりは、あまり罪悪感も持たないで済む。普通に話すことは楽しめるので(怖くないので)、それはそれ、にできる。なんか魅力的だと思ってくれたらしい、ありがとう、となる。もちろん、"あなたが私に見てくれたような価値を、私はあなたに見ることはできません。ごめんね"、という思いにはなる。

まあ、断るのも大変なわけで、、、今日は調子が悪いな、変なのに当たらないといいな、と、まじめに怖がりながら町を歩いている人も、いるんだよね。



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