見出し画像

留学するための学校時代

高校卒業後、"留学する人が1年間行く学校"に通った。今回はそのときの話。


高校にて

私は海外に興味があるタイプではなかった。それでも留学した理由はこれだ。

上のとおり、高校に入った時点で、私はアメリカの大学に行くつもりだった。
高校で大学案内本をみんなもらったとき、最後の最後に"その他"というかんじで、この学校が載っていた。そして、説明会も定期的に地方でやっていたため、私は早速会いに行った。このときの担当の人は、印象も良かったので、とりあえずこれで行こう、となった。高1のときである。その後、何か聞きたいことがあってもう1回説明会に行ったのだけど、このときの担当者は特に良くはなかった。

そういうわけで…そもそも日本の大学受験対象外だった私は、高校3年間をもてあましたというか…勉強ができるに越したことはないし、その後にも活きることはわかっていたけれど、必要性がなかったんだよね。

Summer

この学校は、夏に体験入学をしていたので、高3になってこれに行ってみた。そのときの仲間は、多くがその学校に入って、今でも友達だったりする。
中身は、こんなもんなんだな、というかんじ。特に賢そうな人もいない印象だった(失礼)。

この終わりに、"うちの学校に来る?"面談なるものがあった。
なんでそうなったのかは思い出せないのだが、親元を離れること・一歩踏み出すことの恐怖、当時の自信のなさなんかで、
「この学校はやめます。親友もいるし、〇大に行きます」
と言っていた。実際に行く気なんてなかったんだけど…

その後は、圧迫面接のようなもので、私は泣かされた。高校生を責めて泣かせるってとんでもないと思う。子供を脅していいわけがない。
泣かされた言葉は思い出せない。
「心理学は、アメリカと比べて、日本は10年遅れてるよ」
「本音が出るときに人は泣くから、泣いてもいいの」
そう言われたが、ふーん、だった。私はこの時から、
「転校前に戻りたい。でもそれは叶わない。だから私のほしいものは手に入らない」
と言っていた。相手はカウンセラーでも教師でもないわけで、そんなことにきちんと答えられるわけはなかった。この人も卒業生で、留学経験者ではあるのだけど、文科省も通っていない、ただの"専門学校"扱いの学校のスタッフである。

この学校には毎月AO入試があったので、10月に受けて、問題なく受かった。いろんな奨学金もあったのだが、生徒会長だった私でも、リーダーシップ奨学金とか、特に優秀とか、そういうものはもらえなかった。私はここでは評価されないんだな、という予感は、この前からあった。

入る

高校の卒業式には出たものの、卒業旅行をするときには、私はすでにhead startというprogramでこの学校に入っていた。正直この1カ月でhead startが切れるかといえば、終わってみればそんなことはないのだけど、時間を持て余していたし、私は元々一番上の英語のクラスからのスタートだったので、それ以上上がりようもなかった。
そうして、私はこの学校に入った。日本なので3学期制で、1学期目で英語は終了。その後は、すぐ近くにあったアメリカの大学のJapan Campusにて、東京にいながらアメリカの大学の単位が取れる、という状態になった(実際その後transferできて単位になり、私は4年で大学を卒業している)。
英語のクラスが一番上だったので、tutorとしてバイトをして、下のクラスの子たちの宿題も見ていた。ここで友達になったり、知り合った子もいた。なぜか毎回ケーキを持ってきてくれたりもした(姫?)。

熱血主義

Summerから、いやその前の説明会からそうだったけど、この学校とは合わなかった。先生たちやCurriculumは問題なかったし、友達もできた。問題はmanagementのなんか合わない感覚と(敬語を使わないsloppyなかんじと、私たちの顔をしっかり覚えているのが怖かった)、「死ぬ気で勉強しても死なない」という主義。なんというか、強がりの強さ、乱暴な強さのようなものがあった。
「目から血が出るほど勉強しろ」と、もりかんにも似たようなことを言われたが、そのときは、無理をしない範囲で、というのが伝わった。反面、この学校で受けた印象は、危しい、だった。

死なない…に関しては、関係者が子供を亡くしていることから言っているのだけど、当時は重みがわからなかった。今も、やっぱり主義が合わないと思う。

「こういう子が理想」という像も、この学校にはしっかりあったと感じた。それぞれの好きなものや性格はそれぞれでいいものの、社畜の学校版のようなものを良しとしていて(校畜?)、学校に関係する何か(部活…)をやっていれば良し、英語ができなくても懸命なら良し、としている印象を受けた。
「その、みんなと一緒に盛り上がれないかんじ、よくないよ」
という趣旨のことを、これはsummerで泣かされたときだったのか、そのあとだったのか、言われたが、

  • そういう問題じゃねえよ!

  • っていうか、そんなこと言ってどうなるもんじゃねえよ!

  • 個性として多様として見られないてめえのものさしが小さいんだよ!

と思う。"誰よりも早く電話に出ること"=がんばっている、と評価していた、単純な都庁の人たちを思い出す。。。
このあたりは、結局留学せずに終わったり、辞めることになった人たちが毎年いたところから、私個人の問題ではなく、もっと大きな問題なんじゃないかと思っている。

"どうせ私は学校が理想とする人とは違いまっせ"と思いながら、私は東京生活を謳歌していた。

Japan Campus

そういうわけで、合わないところを1学期で出て、違う学校で学べたことは、良かったと思っている。先生たちもcurriculumもやはりおおむね良く楽しめたし、英語も伸びた。ただし、学生は、私が所属していたところのほうが、やる気があってまっすぐだった。Japan Campusの人たちは、日本語で普通に話していたり、"がんばっていると浮いてしまう"感はあった。私はといえば、"すごい枠"として扱われていた(転校前の既視感)。

所属は合わない学校のままなので、時々イベント…学校行事に行かないといけなかった。これもまた、上の主義をあおるようなマッチョな精神論な内容で(本気だと思っているよりも本気が出せる、というやつ)、感想も書いて出させるのだが、黙秘権!と書いて出していた。苦笑
スタッフ中に共有されているであろう怖さがあったけれど、私はあまのじゃくである。暑苦しくて男くさいものは嫌いなのである。

さっきHSP/ロングスリーパーの記事を書いたんだけど…こういうタイプの人にとって、体力的に無理をしろ!っていう教えって、害しかないんだよね。休む時間が必要なのよ。
それに…女性性な私としては、がんばるって言葉自体も嫌いで、嫌なんだよね。

もうひとつ印象に残っていることは、エレベーターで友達と話していて、"私は努力よりも能力だから"と言ったら、「そんなことない。努力の方が大事」とJapan campusのstaffに言われ、気まずい思いをしたこと。
まずいかもな…という予感はしたのだが、私は当時まで、本当にこれが信念で生きていたから、まったく信じられなかった。努力や準備について実感するのは、NYに行ってからである。

その友達は、家庭で苦労しており、その後何があったのか、留学はできないまま、高卒のまま働くことになっていた。数年後も変わらず苦労している様子だったので、早くきちんと解決してくれるといいな…と思う。

もったいない

この学校の人たちは、見る目がなかったというか、私に嫉妬していたのかもしれないし、わからないけれど、うまくやれば私をもっと伸ばすことができたと思う。私はいい大学に行って、連絡を取り続けて、とwin-winだったはずだ。
ほかの記事に書いてきたとおり、自信のなさや、自分を責めることに忙しく、努力するとか、好きなことを考えるとか、「そもそもそれどころじゃない」状態だったのだけれど…それでも、期待とsupportがあったなら、私はもっと遠くに行けたと思う。

定期的にTOEFLを受けさせられたのだが(当時はPBTだった)、私の点数は帰国子女1→帰国子女2→日本の大卒→に次いで4位だった。もちろん英語は点数だけではないのだけれど、大学1年生の段階で、大学院に入れる点数を取っていた(直接言われたことはなかったけれど、私の高校の先生が見学に来た時に、スタッフが言っていた)。Japan campusで難しいと有名なclassでも、私はAを取って評価されていた。

それでもスタッフは誰も私を褒めなかった。私が行きたいと言った大学に、行けると言ってくれた人もいたが、笑った人もいた(それは直接ではなく、友達伝いに聞いた)。
そんな環境だったので、学校で奨学金の募集が来ても、私は応募せず、私よりも下のクラスで、私よりも英語のできない子たちが表彰されているのを見た。"なんで応募しなかったの?"と言われたりもしたが…私は評価されないと思っていたし、当時お金は親が払うもので、私は価値がわからなかった。RCCでも同じようなものがあったが、金額があまりに小さかったので応募しなかった。金額が大したことなくても、CVに書けるということだけでも価値があるんだけどね。(それだけで面接や仕事にプラスになるかは微妙)

勧めるかどうか

留学用の学校に行ったことについては、後悔はないのだけれど、私としては合わなかった、ということになる。精神主義が合いそうで、勉強はできないけど気合いとやりたいことはある、authorityに従える、疑問を持たない、という人にはいいのかもしれないねえ。(遠い目)

進学校出身じゃない子も、一番上のclassmateにはいたが、そもそも1年間英語だけで終わってしまう人のほうが多かったので、入る時の英語力次第ではある。Japan Campusでは、prof.の都合上、取れるクラスが限られていた。RCCには体育なんかもあったから、直接行っていればメリットはあった。学費もRCCの倍だった。
その反面、友達は今でも続いているし、transferもできたし、まずは一人暮らし(寮だったけど)から、1年間東京を楽しめたことは、NYCでさらに都市を見てみたい、と思うことにもつながった。それから数年後、私は都市の仕事をして、勉強もしている。

あまのじゃくの正体

わからない人にはわからない、そういうものさしの人には伝わらない、ということなんだろうけど。私の場合は問題というほどでもなかったけど、問題行動があるってことは、その裏に理由があるわけで、

  • 成績は良いし、英語もできるのに、みんなと一緒にいないのは何故なんだろう?

  • 家庭で何かあったのだろうか?

  • この子の良さを引き出すにはどうしたらいいだろう?

と、考えてほしかったなと思う。どう見えていたのかはわからないけれど、私は苦しかったし、学校に通っていたわけだから。
この学校は、成績が良い子よりも、一生懸命な子を選ぶ、というか、私のことは捨てる、という決断をしたに等しいのだろうと思う。反面、帰国子女でほぼ英語の勉強なんかいらないような子は、とても評価されていた。
その結果、私は今でも、この学校とは連絡を断っている。定期的にrequestsが来ていたが、拒否している。私は都庁に入ったので、いい広告塔になっただろうという気もするのだが、関わりたくないのである。

書いていて思ったのだけど…私はスタッフと学校に不信感を持っていたので、相手がかまえてもしょうがなかったかもしれない。見透かしていたのだからしょうがないけど。
だけど、好かれてsupportしてもらえて、うまくやってくれれば、問題なかったような気もする。そして奨学金は応募しておいて、いくらかもらえれば少しは違ったような気もする。今となっては。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?