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004.ナイルレストラン|ナイル善己|CURRYgraphy

初めて来た日のことはよく覚えている

 最近夫が懸垂にはまっている。少し遠い公園へ行って、うんうん唸りながら「うんてい」にぶら下がる夫と、ベンチに座って眺める私。20代の頃よりかなり太ってしまった私こそ運動しなくてはならないんだけど、私の興味はもっぱら斜め向かいの酒屋にあった。而今パトロールの名目なのに、手ぶらで帰るのが惜しくていつも何かしら買ってしまう。つい先日まで、獺祭とか十四代しか知らなかったけど、未知のお酒との出会いは楽しい。
 年明けの週末、公園に先客がいたので酒屋へ向かおうとしたその時、ふと、小さな書店があることに気が付いた。看板に本とホップが描かれていて、そりゃもう、吸い込まれるようにお店へ入った。広くはない店内の棚の一面分は「短歌」に割かれていて、なんとなく手に取った最初の2冊を気づいたら購入していた。そして翌週には入門書まで追加して、頭が短歌でいっぱいになっている。啄木や乱れ髪で知識が止まっていたけれど、今、同じ時代を生きる若者の短歌に陶酔中。
 脈々と紡がれてきた文化に、時代を超え出会う体験。専門知識がなくても面白さをのぞけるように、難しいことは言わないけど、いいモノを揃えて待っていてくれるお店のおかげだ。酒屋でも、本屋でも、流行り廃りではなく伝統と出会える場所ってすごく、貴重。
 そしてそんなお店はカレー界にも存在する。日本でインド料理の文化を守り伝えているお店、「ナイルレストラン」。今回は三代目・ナイル善己さんにお話を伺った。


ずっとそこにあった、偉大な存在

 初めて訪れたのは、2013年のこと。dancyuの巻頭グラビアを飾ったムルギーランチを食べに、銀座へ出かけた。東銀座駅のA2出口から十歩くらいでたどり着いたのがナイルレストランだ。当時はG.M.ナイルさんがお店を仕切っていて、雑誌に載っている通りの原色柄シャツで迎えてくれた。
 席に着くか着かないかのタイミングで「ムルギーランチですね?」と聞かれ、頷く前に厨房へ消えるインド人のおじさん。瞬く間にムルギーランチが運ばれてきて、目の前で鶏肉の骨を外して去るおじさん。スプーンを持ち上げた時にはG.M.ナイルさんが瞬間移動してきて、自ら「まじぇて、まじぇて」と熱血指導。これがもう本当においしくて、あれ、カレーってこんなに楽しいのだっけ、って、思ったのをよく覚えている。
 のちの善己さんの料理教室で、この形での提供は、日本で最初のミールスだったのではないか、と伺った。食事を混ぜて食べる習慣のない、口内調味が基本の日本人に、米・チキンカレー・キャベツのサブジ・マッシュポテトを一緒に盛りつけることで皿の上で混ぜて(=調味して)食べるよう促したとのこと。ずっと昔から守られてきた日本最古のミールスと出会えて、感動したのだ。

代がかわる、ということ

 そんな二代目を、70年の歴史あるお店を、受け継いだのがナイル善己さん。エキゾチックなお顔立ちにスラムダンクみたいなごつごつのスニーカー、料理教室をひらけば親衛隊が前の席をがっちり固めている、銀座でブイブイ言わせている王子様の印象だったので、正直に書くと、かなりビビっていた。
 しかし、そんな偏見は早々に打ち砕かれた。歴史の守り人はこう話す。
「ナイルレストランのカレーは、70年前の伝統を継いでやってる。ちょっとある意味古臭いっていえば古臭いんですけど。そういう伝統技術をやっているから、これは大事なことだと思っています。」
「常連様に『いつ来ても変わらないよね、美味しいよね』って言ってもらえるのが一番じゃないですか。だから、なんでもかんでも変えちゃいけない」
「我々お店がお客さんと一緒に育ってきているので、お店のコンセプトを変えずにひたすら守る。僕の代は」
 こちらにまっすぐ向けられたくっきり二重の瞳には、決意と覚悟の光が見えた。

気弱な少年が、社長になるまで

 意外にも、子どもの頃は引っ込み思案でおとなしく、友達も少なかった。インド人の祖父(A.M.ナイルさん)の血を引き、父親はハーフ。善己さんは日本生まれで、母親と祖母は日本人。普段の家庭料理は和食が中心。とはいえ、食卓にはピクルスがならんだり、おやつにハルワやケララのバナナチップスが出てきたり、必ずどこかにインドのエッセンスはあったという。
 「当然、学校へ行けば給食のカレーも食べるし、普通に日本のカレーも食べてるんですけども、やっぱり親がインドカレーを作ると、いきなりインド料理じゃないですか。普通に子供の頃から、サフランライスがあったりベジタブルカレーがあったり、両方のカレーを食べながら育ったので、ある意味いいとこどりですよね。だから、小さい頃からスパイスは食べ慣れていました。インドにもしょっちゅう連れて行かれていたので」
 跡取り息子としてナイル家に生まれ、小さいころからお店を見てきた善己さん。心のどこかに、いつかは継ぐのかなという思いはあったが、若いころは反発して辛いものやカレーを避けた時期もあった。

料理の道はまっすぐではなかった

 高校生の時に将来について聞かれ、「跡を継がないなら」と家を追い出された。立ち食い蕎麦屋に住み込みで働きながら定時制高校に入り直し、自分で授業料を支払って卒業した。蕎麦屋では、マシンで切っていた玉ねぎを手で切るようにして、包丁使いを覚えたという。
 インド人の叔父に言われた「三流大学へ行くくらいなら料理の勉強をしなさい」という言葉もあり、母親が取り持ってくれた二度目の家族会議で料理の道に進むことを決意。
 1年半ほどイタリアンで修業をしてフライパンの技術を習得したのち、ゴアに住む叔父からの紹介でインドの料理学校「アカデミー・オフ・カリナリー・エデュケーション(A.C.E)」にて料理を学びつつ、ファイブスターホテル「シダ デ ゴア」の厨房で働き、経験を積んだ。
 「有名店のボンボンで楽して生きているのかなと思われがちですけど、意外と苦労しているんですよ。笑」

自分だけの、スパイス感覚。

 当時のインドでの料理修行といえば、花形は北インド料理。バターチキンカレーにナン、タンドリーチキン。当然善己さんもそれらをメインに修業を積んだという。
 「インドで学んできた知識はナイルレストランではあまり活かせないんですよね。でも70年前の伝統技術を守っているからこれは大事。それなので、自分の持ってるテクニックというのは、基本的に発揮する場所がないんです。だから、裏メニューであったり、夜のコース料理とか、レシピ本、外部のイベントで自分のカレーを表現するということはやってますよね」
 スパイスの基礎はインドのセオリーを勉強して身に着けた。当然ながら、インドの料理学校に来る人は全員インド人。スパイスのことは最初からわかっている前提なので、個々の説明は一切なかったという。初めはついていくのが大変だったけれど、最終的には「この料理にはこのスパイス・この材料」という感覚が身に着いた。そして、善己さんの”らしさ”はスパイス使いではなく火入れに出る。
 「パウダースパイスもホールスパイスも、しっかり加熱するということは意識しています。ホールスパイスは眠っていた香りを蘇らせるとか、油にホールスパイスの香りを移して、スパイスアロマオイルを作るようなイメージじゃないですか。パウダースパイスの場合は、しっかり炒めて加熱すると、粉っぽさがなくなったり、苦味が抜けたりするんですよ。それで、香りも立ってくる。でも、焦がしやすいので気をつけなきゃいけないから、そこもテクニックとしては難しいんですよね、特に大量に作ると。その辺は、意識してやってます」

ナイルレストランの三代目として

 実は、善己さんの得意料理は「ビリヤニ」と「ケララチキン」だ。
「ちゃんと作ったら誰にも負けないような自信があるんですけど、やらないんですよね。やりたいなって気はするんですけど。もしやるなら、ナイルレストランじゃないところで、やるかもしれない。だって、お店のコンセプトを壊しちゃいけないので。
 でも、世の中って流行りがあって、人間って成長とともに、そして時代とともに、味覚って変わるんですよ、必ず。だから、それに合わせた、気づかれない程度のアップデートはしてます。例えば、昔は割とあっさりしてて、さっぱりめだったんですよね、家庭料理だから。でも今は、ニンニクを増やそうとか油を増やそうとか、唐辛子を入れて辛くしようとか、あと旨味を出すためにココナッツを増やそうとか、こう時代に合わせて分からない程度のアップデートは繰り返してます。でもメニューは変えずにっていう、そんな感じです」

今週の雑記

 善己さんがナイルレストランに入ったのは20代の若い頃。すぐにお店を継ぐわけではなかったけれど、初代が偉大なインド独立の革命家であったり、二代目G.M.ナイルさんは「コメディアンっぽい不思議なインドおじさん」であったり、とにかく背負うものが大きかった。
 ”ポッと出の若造”にならないよう、善己さん自身は料理を主軸に置いたキャラクターを意識し、三代目としての立場を自ら築きあげてきたという。

 ポジショニングとかマーケティングとか、そんな言葉を意識してみると、私は江部拓弥さんという編集長が作る雑誌を思い出す。旧dancyuを経て、今はあまから手帖に。大阪の情報より東京のおいしいものを知る方が実用的、なんて思って未読だったのだけど、先日ふとカレーの特集号を見つけて買ってみた。うっかり電子書籍にしてしまったのだけど、スマートフォンからあふれ出す、食事のあたたかい空気と、「召し上がれ」と言われてるようなオレンジ色の空間に圧倒される。こういうことを書くのはおこがましくてとても気が引けるのだけれど、私は江部さんのお店の選び方が好きなんだと思っていたら、おいしいと思う気持ちの伝え方が好きだったと気づいた。よく知らない関西のお店でも、おいしいよって、好きなんだって、気持ちがまっすぐ伝わってくる。グルメ情報誌は数あれど、こんなに読んでいて胸がドキドキする雑誌は他にない。

 料理人だってたくさん、たくさんいるけど、ナイル善己さんは、唯一無二の存在だ。きょうの料理や池袋コミュニティーカレッジで料理を教えてもらったり、東京スパイス番長として拘りの写真を使ったトークショーの観覧に行ったり、一方的にすごく長く知っている。異国情緒漂う見た目に、軽快なおしゃべり、でも調理の技術はピカピカの本物。お店を想う気持ちも本物。
 カレーの道も、本の道も、前を走る人はいくらでもいるけど、ただ追いかけるだけじゃなくて、自分の道を切り開きたいと思った。ナイル善己さんも、江部拓弥さんも、遠すぎて星のようだけど、私も地道に前へ進みたい。

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