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【続いてる写経 798日め】〜牛も出向いた甲斐善光寺

甲府に用事ができ、道中にあった御開帳中の甲斐善光寺様にもご参拝

戦国時代、上杉謙信と武田信玄が川中島で争っていた時、信玄は善光寺の秘仏である御本尊・一光三尊阿弥陀如来様を戦火から守るため、甲斐へ移送し、この善光寺を建立したのでした。

秘仏は信玄公亡き後、織田、徳川、豊臣と、戦国武将のもとを転々とし、最終的には豊臣秀吉が信州に戻したのだそうです。
秘仏を手元に置くと、その持ち主のところへ”あの世からのお迎え”が来てしまうのだそう。絶対秘仏恐るべし

現在の甲斐善光寺様では、12世紀に善光寺で秘仏の”前立ち”として作られた阿弥陀如来像が、御本尊となっているそうです。

金堂内に入ると、御本尊様が遠目にもよく見えました。この阿弥陀如来様「例外的に大きい等身大」なのだそうです。通りで!
阿弥陀仏を唱え、改めてご縁を祈願しました。

金堂には「鳴き龍」の天井絵もあり、日本一の規模で有名なのだそうです。手をたたくとビリビリビリと振動音が鳴ります。周囲がにぎやかなので、鳴ったのかはわかりづらいかも。

信州では断念したご戒壇巡りもチャレンジ。
甲斐善光寺のものは、「心」の形になっているのだそうです。
歩いてるとわかりませんが、ぐいっと変わったカーブでした。
本当に暗闇だったので、前の人が親切に「ここにありますよ〜」、と御本尊と結縁できる鍵の位置を教えてくださいました。ありがたや。

暗闇から出て、宝物館へ。
今は教科書の定番になっている源頼朝像や、本田善光・弥生夫妻の木像など小さいながらも見応え十分。その中で、目についたのは牛の角。

この牛の角は何でしょう?
解説(撮影禁止だったので概要)によると、

江戸時代に芝の運送業者の牛が、3晩続けて主人の夢に現れ、「私を甲斐善光寺へ参詣させてください。そうすれば、必ずこの家は末長く栄えるでしょう」と告げました。ある日牛は小屋を抜け出し、甲州街道を直走り、甲斐善光寺へ参詣。7日間首を垂れてお参りし、8日目に江戸に帰りました。江戸に帰った牛は30日後に亡くなりましたが、そのお告げ通り主人の商売は繁盛したそうです。

主人はその牛の角一つを甲斐善光寺に寄進、それが今宝物殿に収められていたものだそうです。

信州善光寺では「牛にひかれて善光寺参り」と言われる通り、人を連れ出して参詣させたわけですが、甲斐では牛が自ら主人の代わりに出向き、一家に富をもたらしたのでした。
なんていい牛さんなんでしょう〜。こんな牛なら飼いたいなあ。(笑)

この話、事実かどうかはさて置き、牛にちなんだエピソードが、甲斐善光寺にもあることが楽しいですね。
例え対抗意識から作られたフィクションだったとしても、良くできた逸話と思います。

善光寺で牛がキーポイントとなっているのは、秘仏の遠い故郷・インドの文化の流れを汲んでいるからですかね?

つづく


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