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アライとしてできること

現状の社会に違和感を覚えつつも、自分自身ジェンダーのことがあまり分かっていないということに自覚的である友達と会話していた時、ふとした流れで「ジェンダーについて自分の考えを持って発信している人とそういう会話をするのは避けてしまう」という話を聞いた。
理由を聞いたら、空気が悪くなったり口論になったらどうしよう、と思うらしい。
ジェンダーについて何か分からないことがあって、たとえば私(筆者)に聞いたら教えてくれるだろうけど、日々の発信の語気が強い(と感じている)人相手だと、自分がちゃんと学んでからじゃないと聞けないなと思う、とのことだった。

後半については、めちゃくちゃ正しい感覚だと思った。
日々社会のことを考えている人、特に当事者の人たちは、説明を求められることにとっくにうんざりしているし、「無邪気」で「無知」な人との会話に傷つききって疲弊しているはず。
語気が強くなることなんてあって当然と思う。こんな社会だから。マジョリティの無知でずっと傷ついてきたんだから。
なので、分からないならまず黙る、という感覚はまともだし、必要だと思う。

とはいえ、私は多くの人がこの社会や差別構造やジェンダーや今起きている虐殺について、もっと盛んに会話してほしいと思っている。
私がアライとしてできることは、前半部分の「避けてしまう」話題について、会話や気づきのきっかけを散りばめたり、私になら話してもいいんだなと思える関係を身近な人と築いていくことだな、と改めて思った。
でもこれができるのは、私が「当事者じゃない」という特権があるから、というのは大前提だけど。

フェミニズムは学問なので、エッセイ本だけを読んでいるのは危ういという話、心から同意なんだけど、多くの人に関心を持ってもらうため現状「共感」から入れるエッセイはやっぱり必要なんだよなあ・・・と思った。
共感できないと理解や賛同に至れないのは教育の失敗であり、大問題ではあるけど・・・。

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