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CUTBOSS MAGAZINE 2019年7号(3月3日号)

「守護霊」の存在について外国人と話をしていると、どうも日本の方がそういった「転生」や「先祖の霊」に敏感なような気がする。仏教が多いからだろうか。私は霊感が皆無なのでスピリチュアル的なことは全く信じていないのだが、この「守護霊」だけは、どうにも信じてしまう出来事があった。

東京に住んでいたとき、ほぼ初対面の女性から、「凄い強い武士の守護霊が私を警戒していて、睨まれていて怖い」と言われた。突然何だコイツ……と思って、ディテールやその存在背景を一通りその女性が認識できる範囲で聞いてみたのだが、「そいつはすげーや」ってな感じで、私は全く気にもしなかった。それは要するに、この女性が私に抱いたただの第一印象で、つまりは私が警戒していて攻撃的な面を抱いていることをこの女性が見透かしたに過ぎないと思ったからだ。そこに空想で「守護霊」というバックボーンを面白可笑しく語っただけだ。だからすぐに、そのこと自体を私は忘れた。

何年か経って、大阪に移り住み、しばらくして、またほぼ初対面の女性から、「あ、ちょっと、強い守護霊がついています、武士の」と言われた。東京で同じことを言われたことがあったな、と私は思い出した。ディテールやその存在背景を一通りその女性が認識できる範囲で聞いてみたのだが、今度は「そいつはすげーや」では済ますことができなかった。どんどん甦る記憶、東京で言われたことと全く同じ内容だった。

東京の女性と大阪の女性は何の関わりもない。職業も違うし、年齢も違う。生まれ育った土地も違う。何の接点も見つけられない二人の女性が、宗教等の勧誘ではなく、天気を話題にするかのような日常会話の延長でそう言ってくるこの現象を、私はどうしても無視できなかった。これは偶然なのだろうか。偶然で、こんなにもデタラメが一致できるものだろうか。私が二人から知らされた主な内容は以下だ。

・武士として自分を律して生きてきた為、精神が強い
・この武士は何世代も前の先祖
・身に纏う強固な鎧兜は、他者への強い警戒心と敵意の表れ
・殺すか殺されるかの修羅で生きてきた為、常に言動が攻撃的
・精神を追い込んで生きてきた為、自由に生きられなかった後悔がある
・守護霊に転生したのは、その後悔を子孫で解消する為

人生を振り返ってみれば、当て嵌まるんじゃないか?と言われて、私は閉口するしかなかった。この女性とはまだ生い立ちを話すような間柄ではなかったし、私は実際、何かに縛られて黙々と鍛錬することが何よりも嫌いだった、それこそ物心ついた頃から。「3号」でも語ったが、目標すら持つことが大嫌いだ。友人は皆無で、私が口を開けば教師や大人相手でも喧嘩になり、社内ではパワハラさんと呼ばれていた(上司のみに手当たり次第に噛み付いていたので、パワハラではないだろと反論していたのだが)。だからか、自分の中で凄く納得してしまった。この面倒くさい自分の攻撃的な精神衝動は、これが原因かと。他者を寄せ付けず絶対に腹を割らないで生きてきたので友人は未だに一人もいない。目標やルールが嫌いで全て自分の意思で自由に決めてきた。大阪に移り住んだのも理由が全くない、「あ、大阪に行こう」っていう旅行感覚の気まぐれだ。

守護霊は宿主の精神性をそのまま表している。守護霊の影響で宿主の精神が顕現するし、宿主が成長すれば守護霊も成長する。そういう表裏一体の存在なのだそうだ。スピリチュアル的なことは全く信じていないし、霊感も皆無だが、妙に説得力を感じてしまった。

今から一年ほど前に、久しぶりに大阪の女性と再会した。開口一番、挨拶もなしに、「あ、守護霊、強くなっている、レベルアップしているよ」と言われた。宿主が精神的に成長すると、守護霊も成長する。私にはその自覚は全く無かった。忙しくアプリ業界を生きてきて、今は外国人エンジニアに囲まれる毎日だ。

強くなっているってのは、何か変わるのか?稀に、守護霊自体が別人に変わる人もいるらしいのだが、基本的にはずっと同じ人が憑くらしい。強くなっている……武士の守護霊がレベルアップしたら、どうなると想像するだろうか。私は侍とか、剣豪とか、将軍とか、そういった者を連想した。武士の上位職というか。社内でエンジニアたちに聞いてみたら、皆、同じような答えを返した。中には、「殺人鬼になったんじゃない?」「他人の守護霊を片っ端から殺す人になったんじゃない?」とか、より攻撃性の増す方向への進化じゃないかと言う人らもいた。それは……攻撃力はアップしているが、精神的な成長ではないだろ、むしろ、精神はレベルダウンしているだろ。

女「鎧兜を脱いだよ、もうそれらが必要なくなるくらい、強くなった」
私「肉体が?」
女「精神が」
私「服は?」

「着てる」
「袴みたいなやつ?」
「青いワンピース着てる」
「??????????」

……あ、守護霊が女性に変わったのか。私は当然、そう理解した。

女「違う、武士が鎧兜を脱いで、代わりにワンピースを着た」
私「ただの変態じゃねーか!!!」

その理由までは分からないという。基本的には武士で、私の精神性は大きくは変わらない。警戒心も武士として持っているし、強い攻撃性もある。だが、ワンピースを嗜むくらいには、心の変化があったし、これは変態へのレベルダウンではなく、間違いなくレベルアップなのだと力説された。間違いなく霊的に強く変化していると。

私にワンピースを嗜むだけの精神的な変化・成長があったはずだ、それは本人にしか分からない、と言われたのだが、思い当たるフシがない。何かヒントを得たくて、社内でこの話をすると、それは「優しさ」の表れではないかと言われた。

いやいや、ワンピース着た変態オジサンのどこが優しいんだよ!!!

優しくなりたくて、でも不器用で、その方法が分からなくて、徐にワンピースを選んでしまったということか。咳き込むくらい爆笑した。守護霊は生前に悔いを残したことを子孫にやらせる為に転生するという。このロジックからすると、俺に女装でもさせたいのか???恥も外聞もなく、変態になりたかったのか???自由、どこまでも深遠なる自由を手に入れたいのか……何か間違っていると思うのは私だけか。私は嘗て、出会う人出会う人、厳しくて怖い人だという印象を抱かれ続けた。それで別にいいと思っていた。今もそれは変わっていないのだが、私は鎧兜を脱ぎ、ワンピースを身に纏うようになって、その第一印象はどう変わったのだろうか。最近、新しく出会った人は殆どいない。

優しさの象徴であるワンピースは、実はその衝撃が大きすぎて、詳細を確認することができていなかった。社内では、ババアのワンピースみたいな感じじゃないか、と言われたのだが、何それ?分からん。私のイメージは、まさに以下みたいなイメージだ。

筋骨隆々の毛むくじゃらなオッサンが、このミニのワンピースを着ている。変態以外の何者だ!

その守護霊が見える女性に会わせてほしいと、この話をするとよく言われる。私は、必ずそれを断っている。私は、守護霊が知りたくてこの女性を訪ねたのではない。何気ない日常の中で、偶然の縁で、出会っただけだ。東京の女性もそうだ。全ては、巡り合わせの縁だと、私はそう思って生きているので、自分から敢えて求めるものではない。



猫の「恩知らずさ」が堪らないのよ

2月22日は猫の日だった、にゃんにゃんにゃん(にんにんにん、で忍者の日でもあるらしいが)。そういえば、久しく野良猫を見ていない気がする。居るのに気がつかないくらい、私は猫に興味が無くなってしまったのだろうか。東京にいる頃に捨てられた子猫を拾って、しばらく育てていた。もうすっかりバアサンだが、まだ現役だ。

会社で、猫を飼ってみたいと言う子がいる。猫が大好きだが、飼うまでには至らなかったらしい。日本に来て、自立したので、飼いたくて飼いたくてしょうがないらしいのだが、NPO的な団体の里親募集だと、外国人というだけで審査に合格できないというのだ。私もそういう団体から猫を貰おうとしたことが嘗てあったが、確かに、日本人ですら厳しい審査だった。とにかく身元や経済的基盤がしっかりしていないと一切譲ってくれない。

子猫がその辺りに捨てられていれば拾って育てればいいので、最近、キョロキョロしながら道を歩いているのだが、流石にまだ寒いのか、猫は一匹も見掛けない。猫が足りない猫が足りない、とその子が嘆くので、私と猫の思い出を聞かせて宥めている

私が餌を用意し、トイレを片付け、爪を切り、全ての世話としつけを私が行っていたのだが、私が寝ているときにこの猫は私の顔面を踏みつけ、私の母親の布団で一緒に寝る。私の母親が目覚ましで起きる時間を猫が覚えていて、目覚ましが鳴る寸前にニャンと鳴きながら猫手でぽんぽんと私の母親を優しく起こす。ちょっと、その人、私の母親なんだけど

私には懐かなかった。お腹が空いたときだけ、私にすり寄ってきて、餌を用意すると、また私の母親の膝の上に戻る。ちょっと、その人、私の母親なんだけど

小さい頃、近所の野良猫が死んでいたのが、妙に悲しかった。寒さと飢えで死んだのだろう。冬にカチカチに固まって死んでいた。また、子猫の時によく遊んでいた別の近所の野良猫が、すっかり界隈でボス猫になっていて、それも妙に嬉しかった。名前を呼んだら振り返ったから、覚えていたのかもしれないが、すり寄ってくることはもうなかった。そういえば、猫との思い出は、いつまでも覚えている

マクドナルドの以下の「ニャッピーセット」は、マジで心が踊った。そして「実際には販売しておりません」に相当に落胆した。これ、同じ思いをした人、かなり居たみたいで、マクドナルドはこのジョークでだいぶネガティブな感情を買ってしまったんじゃないだろうか。私も腹いせに、敢えてモスバーガーで食事したから



「変な人」という差別教育

実家の近所に、日本で随一の獣医が住んでいて、子猫を拾ったとき、真っ先にその人の所へ連絡した。ちょっと変わった人だと噂で聞いていたのだが、電話口で、「何でボクが診ないといけないの? その理由は? 他所の動物病院に連れて行きなさい」と電話口で何十分も拒まれた。いやいや、ちょっとじゃない、相当な変人だよ。

でも、その何十分のやり取りに引かないで、最終的には子猫を診てもらった私も同じく、変わり者だったのだろう。確かちょうど二十歳くらいのときのことだ。あるとき、私がどうしても行けなくて、代わりに母親にこの病院に行ってもらったことが一度だけあるのだが、「あんな変人のところ、二度と行くのをやめなさい」と言われた。相当に嫌味を言われ、かなりの口喧嘩をしてきたらしい。

「変な人と付き合うな」は母親からよく言われたことだ。「悪い人と付き合うな」なら理解できるのだが、変な人は、悪い人と同義ではない。自分の判断基準が絶対で、自分は変な人ではないという確かな証明が、一体、どうやってできるのか。私は小さい頃から友人も作らず一人で行動していたので、家でも学校でも「変な子」と認識され、距離を置かれてきたから分かる。私は別に、何も悪さをしていない。むしろ、関わりたくないから距離を取っていたのに。そして逆に、私の視点からは、皆の方が「変な人」に見えるわけで、「変な人」だから付き合うな、は極論、戦争を生む危険な思想だと思っている。

この獣医は、その後、親しく付き合うようになってから知ったのだが、世界で初めての手術方法を確立させた獣医学会では名の知れた権威で、自宅に看板を掲げずに、知人のペットだけを診るという隠居に近い形を取っていた。もう爺さんだったから、私みたいな新参者を排したかったと言っていた。そういう事情も知らず、私は強引に押し入って、悪いことをしたなと後から思った。でも、やたら嬉しそうに医学部生でもない私(理学部生)を手術の見学に誘ってくれたり、結構、お互いに楽しかったんじゃないかと思っている。大阪に移ってからもしばらくは連絡を取っていたのだが、もう久しく連絡していない。

「変な人だから付き合うな」という刷り込みは、非常に危険だと思う。自分に理解できない人は皆が変な人で、理解できない人とは付き合うな、ということだ。これから日本は、外国人を大量に雇用するのだろう。基本、文化の違う外国人は、理解できないはずだ。その理解できない違いを楽しみ愛すのがダイバーシティであって、それを排除するような教育・刷り込みは、やはり戦争級の問題だと思う。

私はずっと武士の精神性で、周囲を強烈に警戒し、先手で殺す勢いで攻撃的に生きていた。それは幼少の頃から親や教師に疎まれてきたからよりそれが顕現したのだろうし、その精神性の為に、周囲がそうせざるを得なかったとも言えると思っている。それはお互いに仕方がなかったのだと。今、私は鎧兜を脱いで、青いワンピースを着ている。生来の「変な人」感が表に出てきたのだろうか。むしろ、この獣医とキャッキャ言いながら手術の話で盛り上がっていた頃の楽しさが、日常に戻りつつあるような気がしている



きっと、全国民がエンジニアにならないと解決しない

IT業界がブラックなのは、開発という仕事を世間があまりにも知らな過ぎるからだと私は思っている。どれくらいの金額で、どれくらいの期間でアプリが開発できるのか、サービスが開発できるのか、エンジニア以外には想像ができないからだ。

それ故、悪徳な開発会社は無知な相手に高額な費用を請求することがあるし、発注する側は無知故に開発に無理難題を要求する。黙々とプログラムすることが好きです、と自己アピールする求人応募者は絶対に採用しない。何故なら、開発はコミュニケーションが一番重要だからだ。本当に、発注側は無知なので、開発の大変さを説明し、金額の妥当性、期間の必要性を、常に理路整然と説明し続けなければならない。それができないエンジニアは邪魔なだけだ。

納期が間に合わないから、残業し、徹夜し、何日も連勤する。何故、間に合わないのか。発注側が提供する製品仕様と、開発側の技術的な判断が、噛み合わないことが多々あるからだ。開発中、逐一説明するのが理想だが、それができなかった場合、納品間際で、発注側がプレ動作を確認したとき、「これではない、間違っている、作り直してくれ」と言うことが多々ある。

要するに、コミュニケーションが不足していて、お互いに頭に描いていた完成形が、全く別物になってしまっていたのだ。契約書上には、完成形が既に言語化されている。その言語の解釈が、人によって違うというカラクリだ。だから、揉めて揉めて解決しない。お互いに、その解釈ができてしまうからだ。その解釈も、捉えように拠っては、お互いに有り得るのだ。だから余計に質が悪い。

こういったトラブルが非常に多い業界で、保険屋や弁護士を探してみたが、一人として見つけられなかった。理由は、皆、同じことを口にした。「良し悪しが第三者には判断できない、技術的な難しさも含めて、決着させるのが非常に難しい、長期戦になった結果、お互いに損にしかならない可能性もある」だから、案件として引き受けたくもないそうだ。これを解決できるような保険屋や弁護士が誕生したら、物凄く稼げると思うのは私だけだろうか。是非、厄介になりたいのだが。本当にトラブルだらけで困っている。真剣に誰かやってほしい。

この件も、発注側の傲慢でグチャグチャに掻き回されていると言えるかもしれない。開発陣にもプライドがあり、リリース後に酷評されるようなアプリは作りたくないから、ユーザのことを第一に考えれば、この製品仕様は変更するべきじゃないか、などと都度進言するのだが、全く聞いてはもらえず、こちらも金を貰っているので、言われた通りに作って見せると、やっぱり変更したいと言ってきたり、しかもその変更も明後日の方向に仕様を変更してくるし、完成形が描けていないのに、自分たちのコンテンツの誉れだけで、そこにこそ価値があると信じていて、それ以外のことは何も考えられていない

この件で一番恐れているのは、これも非常に多いのだが、最終的に納品されたものが、自分たちの思い描いてたものではなかったからという理由で、金を払わないと言い出すことだ。これは信じられないが、本当に多いトラブルだ。弁護士が引き受けるのを嫌がるのは、納品したものが、契約書の言語に沿ったものであるかを、技術的にも検証し証明しなければならないからだ。それは専門職である私たち当事者でさえ、難しい。日々のコミュニケーションですら、それがお互いに適切に伝わっていないのだから。

食費入力のみ家計簿アプリ「食費簿」、自慰管理アプリ「アイナーノ」、どちらも御陰様で好調です。より良いアプリ開発に役立てます。