ハラスメントとか
嫌なものは嫌だと主張出来る世の中は度を越さなければいいと思う
今思うとあれはハラスメントなんて事が私は多々思い出す
学生時代で言えば関係性が出来てないのに人格否定の言葉を言われたり好き嫌いで応対が変わる先生が沢山いた
学校は理不尽を学ぶ所というがなら世の中の理不尽を受け入れろということなのかと不思議に感じてた
更に社会人では先に帰るけどタイムカードを押しておけや仕事を与えないとか飲みに行かされるとか
今となっては良い経験なんて全く思えない
所詮会社なんて終われば無かったことのようになる
関わることはないのに生きるために働く
これは私の考えだけど
カスハラの話を聞いた
お客の横暴な態度のことだけど昔接客業をやってたとき同僚が機械のような接客していて全く愛想がなくて寧ろ居丈高で客から文句を言われていた
しかしその同僚は上司にお客から酷い対応されたと泣きついていた
多分今だとカスハラだとなると思う
でも元は接客態度の悪さが原因
ハラスメントを叩く力が大きくなりすぎないことも必要な気がする
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