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障害者雇用の面接結果待ちの心境3



「そういったクレーマーはうちにも来ますよw」


私は同情してくれるのではないかと面接官に対して淡い期待を抱いていた。何故ならこの求人は障害者雇用だ。きっと障害者へ理解を示し、支え、助けてくれるのだろうと。

理想とは違い私は怯んだ。
もうその後は何を聞かれたのか、あまりうまく思い出せない。私の志望動機や得意なことといった前向きな質問ではなく“精神障害”だけに焦点を当てた質問だけが続いていたような気がする。

「今日の面接はこれで終わりです。お疲れ様でした」

ようやく待ち望んだ終わりの合図が明瞭に聞こえた。
逆質問も用意していたがそれは聞かれなかった。

私はそこできっと不採用なのだろうと察した。

これからは赤の他人となる私からの質問にわざわざ答える必要も意味もないのだから。

「本日は貴重なお時間を頂きありがとうございました。」

とにかく一刻も早くこの扉の外へ出たい。
さっきまでは面接官の目を見て話せていたが、面接はもうこの時点で既に落ちたことを想定し、最後は半ば投げやりな態度になっていたのではないかと思う。

ガラス張りの厚い扉を手前に引いて面接官の前から退出する。
入室時、期待と共に自分の体重を扉にかけて開けた時と比べると、退出時は脱力感で指先に力が入らずこんなにも重い扉だったのかと私を落胆させた。

面接会場を出て駐車場へ向かい車の中で一時間は動くことが出来なかった。
当初は面接が終わったら自分へのご褒美にカラオケにでも行こうと浮ついた気分であったのに、全くその気にならない。
お昼を知らせる町の音楽が流れてきて今は12時なのだと気づかされる。
“お昼になったらご飯を食べる“という世の中の固定概念に対して疑いもせず、帰ってお昼ご飯を食べなくてはという使命感から車のエンジンをかけ、自宅へ向かった。

決して私は佐々木希や広瀬すずみたいに誰もが声を揃えて美人と言うような外見ではないのだが、正直あの面接での無様な有様で採用されるとしたら顔採用としか思えない。
これまでの数少ない就職活動経験では書類選考の時点で落とされることは数回あったが、面接まで行くと必ず採用されていた。お世辞であろうとも周りから可愛いと言って貰えることは多かったのだが、それが自分の自己肯定感とは比例しない為、可愛いなら大丈夫なのかと歪んだ認知を持ち合わせてしまった。だから私は面接の控え室に入室した時に「この中で1番私が可愛いから大丈夫」と、道重さゆみさんが唯一言っても許されるであろう言葉が真っ先に浮かんだ。そんな腸の腐った思考に固執しながらあわよくば採用されることを切に願っている。




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