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【知られざるアーティストの記憶】第12話 サムゲタンにリボンをかけて

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第2章 入院2クール目と3クール目の間
 第12話 サムゲタンにリボンをかけて

ワダさんへ
昨日、三男(ハヤテと言います)との公園帰りにお会いしました。やわらかく ほほえみかけてくれるあなたに、ああ、いつまでもそこに居てください、と思いました。強く。
1ヶ月は、どうにか辛抱しますから、帰って来られたら、もうどこにも行かないで下さいね。
当事者じゃない私が、しかも釈迦に説法のようなこと申し上げるのも気が引けますが、再発しないように暮らしてゆくことができると思っています。
しない、と決めて生きたらよいのだと。そっちの可能性だけを見ていてほしい、と私は感じました。
(中略)
 力になりたいです。が、何もできることがないので、差し入れします。これでも、やりすぎにならぬよう我慢しているんですよ……。?
あなたの好きなもの、嫌いなもの、食べられないものがまだよくわからないので、滋養になりそうなものを選びました。このサムゲタンは、少し味が薄めなので(私には)、生姜や好きな野菜を足して、塩などで味を調えて食べます。温まるので、少し寒い日に食べてください。
 いっぱい話したいことがあります。またおしゃべりしに行かせてくださいね。その日を楽しみに、1ヶ月間お待ちしています。

(抜粋・要約)マリの手紙より 2021.6.6.

それはカルディコーヒーで売られている、3,4人前はありそうな大きなレトルトのサムゲタンだった。サムゲタンが好きだけれど自分で作りはしないマリが時々食べたくなると買うものだった。半透明の袋に入れて細く赤いリボンをかけ、天使のレターセットに書いた思いとともに彼のポストに押し込む。

彼が自分で作ったと言っていたポストを初めて開けると、美しく敷かれた赤い毛氈が清潔に色鮮やかに保たれていた。まるで今、敷かれたばかりのように。マグネットでカチッと気持ちよく開閉できる蓋はDIYの域を超えるクオリティの繊細な作り付けであった。真ん中に掘られた文字はデザイン性が高くて彼の名字と番地だということに初めは気づかなかった。
(手作り風のかわいらしいポストだな。)
と思うだけでそれ以上は気に留めていなかったが、彼の作品だと思ってよく見ると、作り付けのクオリティだけでなく、ポストらしい形とあたたかく可愛らしい色合い、その雰囲気を壊さないながらもアイデンティティを持って鋭く掘られた文字が個性と調和を兼ね備えていた。このポストを見てマリは、あの人はなんて美しい人なのだろうと思った。

彼とおしゃべりする機会は、1ヶ月待たずともその翌日に訪れた。2021年6月7日にもまた、彼の玄関で1時間半ほど話した。それはマリにとって、どんな用事よりも優先したくなるほどの至福の時間であった。彼にしてみても、前回話したことで堰を切った思いを、もっと聴いてほしくてたまらなかったのではないか。

彼は前回の会話の時には、自分が何をする人なのかはっきりとは明かさなかった。ただ、
「私は机に向かってテガキをしている」
と言うので、趣味で文章を書いていたマリにはそれが「手書き」と聞こえて、
「あなたは文章を書いているのですか?」
と訊いた。
「文章も書いているけども……。」
という曖昧な答えが返ってきた。

彼の作品の分野が漫画であるということは、二度目の玄関であっさりと伝えられた。初回には一旦は秘密にしておいたものの、会話するうちに、この人に隠す必要性はないとすぐさま感じたのであろう彼は、むしろ話したくてしょうがなかったのだろう。

ちなみに彼は、二人が会話をするようになる前のことについて、
「私のほうが先にキミのことを見ていたんだよ。そうしたらキミが、見返してくるようになった。遠くからキミのことを見て、あの人は同業者かなあ?と思った。」
と、二人がつき合い始めてだいぶ経った頃に私に打ち明けた。互いに相手のことを、自分と同業者なのではないかと感じていたというのが可笑しい。

「あなたは何をしている人なんですか?」
と彼は真っ先に問うた。
「私は……、子育てをしていますよ。」
「そりゃ、子育てをしているだろうけど、それ以外に何かしていることはないんですか?」
マリは少し答えに窮してから、
「ただの趣味ですが、最近文章を書いています。」
と答えた。自分の趣味の中で彼が一番満足しそうなものを無意識に選んだようにも思えるが、それはその時のマリが家事育児の他に最もエネルギーを注いでいるものに他ならなかった。
「どんな文章を書いているの?」
「私はもっぱらノンフィクションです。」
彼はマリの創作に興味を示しながらも、それ以上は訊かなかった。

「生まれてから一度もパソコンに触ったこともないんだけど、作品が完成したらそれをインターネットで発表しようと考えているよ。」
彼は目をきらつかせ、やや自虐の笑みを浮かべながら野望を語った。
「あなたはパソコンはできるの?」
「できるにはできますが、その時には長男を連れて来ますよ。きっとお役には立てると思います。」
マリはさらに、こう付け加えた。
「私はインターネットのnoteというサイトで文章を書いています。もしご希望だったら、あなたの作品を私が代わりにそのサイトへ投稿するということもできると思います。」

それに対しては彼は首をかしげた。「その時」には大がかりな機材を導入し、パソコンもマスターして、自分で自分の作品を世に出すビジョンがすでに彼の中にできあがっているようであった。


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