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こんなふうに生きていけたなら 映画『PERFECT DAYS』:【知られざるアーティストの記憶】番外

Amachanのこちらの記事を読んで、映画を観てきました。

私は人様の映画の評を見て、観てみたいなあと感じることは多いのですが、行動力が0に近いので実際には観に行かないまま上映が終わってしまうことばかり。

ところが、あっと思うものは、わりとすぐに観に行くのです。観に行くものは、初めから心が決まっているいるように思います。

意識はしていませんでしたが、観てから「やっぱりそうか」と思いました。
役所広司扮する孤独なトイレ掃除夫は、私の彼、知られざるアーティストとどこか似ているところがあるんじゃないかと、私は直感していたのでした。
彼と似ているかもしれない男の姿を、私は観てみたかったのでした。

たんたんと、変わらない男(=平山)の日常が描かれていきます。
ずっと彼の目線で、辿られてゆきます。
彼は最低限しか人と口をききませんが、几帳面で規則正しい日常を丁寧に味わい尽くしています。
人を一切自分の世界に踏み込ませませんが、人々に興味がないわけではなく、むしろ人々に向けられる眼差しはとてもあたたかなものです。
自分の人生に必要なものと、不要なものを明確にわかっています。そして、それを守り通して生きています。時に、他人にかき乱されながらも。
彼がどんな人生を辿って今の生活にたどり着いたのかは、語られません。
それは、彼が日々行っている営みや、見つめるものや、ときどきこぼす微笑みや、毎夜見ている夢の欠片の中に観る者の想像を掻き立てるのみです。
このような生き方は、一度絶望を味わったのち、新たな人生を生き直すものの生き方を思わせます。

知られざるアーティストと平山は、どこまでもそっくりであると感じます。
ただ彼は、平山に比べるともっと人々に対する眼差しは閉ざされていました。
平山のように、あそこまで孤高を保ちながらも、人々にオープンである生き方ができるものだろうかと思いながら観ました。彼も稀有ですが、平山も稀有な生き方だと思います。少しの違いは、平山は人々との関わりを持っていたことでしょう。

平山がひとりでいるときにときどきこぼしている微笑み。あれは孤独に生きられる男の、孤独を愛し、孤独を楽しみ、孤独に誇りを持つ者だけの、自立した心の証です。
知られざるアーティストも、ひとりで過ごす時間に、おそらく空想を楽しんでいるのか、ひとりで楽しそうに顔をほころばせていました。
彼らの微笑みは、涙と裏表なのです。(ラストシーン)

そして、もう一度タイトルをふり返ると、パーフェクト。
そう、これはまさにパーフェクトな生き方だと思います。

平山の姿にも、彼と全く同質の、自立した男の美しさを感じました。
この映画は、私が書いている物語を、別の形で描いたものだと私は感じました。

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Amachan、この映画を教えてくださり、心より感謝いたします。
感想をどのようにお伝えしようか迷いましたが、やはり彼と似ていたため、【知られざるアーティストの記憶】番外編として書かせていただきました。

非常に成熟した目線から人生の根幹を描いた名画だと思いました。
そして、私は「こんなふうに生きていけたなら」と感じましたよ。
私もどちらかというと、こういう質の人間(つまり、変人)なのです。

※ヘッダー画像は映画ポスターより拝借いたしました。


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加筆:
タイトル「PERFECT DAYS」について。
「完璧な意思というのは存在するが、
 完璧な行動というのは存在しない。
 常に“より良い”行動が存在するのです。」

と言っていた人がいて、私もそう考えています。
その意味では、「完璧な日々」は存在しないのでしょう。
ただし、多くの人から見ると、「遥かに完璧に近い」、「完璧に見える生き方」ということなのかもしれません。

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