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高齢者が活かされる街づくり

こんにちは。
今日は72歳の私のリタイア後の話を聞いてもらおうかな。
長年公務員として地元の市役所で働いてきたのよ。
それまでは職場と家の往復、
案外公務員と言っても部署によっては遅くまで残業しなきゃいけないところも多いんだ。

私は忙しい部署が多かったなぁ。
定時で帰れると言うのはほとんどなかった。
子供3人育てながら、まぁ同居していた義母にかなり負担はかけたけど、
どうにか38年の仕事を終えることができたのよ。

あと少し定年まで働くことはできたが、義父が途中で急死したもんだから、私が2年早く辞めたわけ。

日中、預かってるひ孫の世話でトイレにも思うように立てない💦とこぼしたことが頭に残ってたのよ。

しかし辞めたとき、義母は言ったね。

私が頑張ってるんだから、あなたが辞めなくても私も家のことをする張り合いがあったのに、もうちょっと私に任せて欲しかった💦とね。

辞めなかったらやめなかった。で、ひ孫の世話とかでトイレに行く暇もない、と小言言われてたかも?

でも無理して母親が倒れたらどうしてたのかと、、、
いやいや後悔をするよりも、
ちょっと余裕を残してやめたほうがお互いに良かったと今でも思ってる。
やがて母が歳をとって、体の身動きが鈍くなった頃、まぁ私も60歳過ぎ位から地元の自治会のお世話を始めたのよ。

やめた翌年に時間はあったからね。それで充分だったんですが、
やはり地元の市役所に行ってて、そのまんま何もせずに家に居るっていうのは、環境的にも無理だろう。

地域で何かお世話しなきゃいけないなというのは常々思ってたからね。

自治会の区長の補佐という形で関わったのが、13年前。

そしてそれから2年経った頃
民生委員の依頼があったので、
民生委員を2期6年勤めてね。

今まで働くばかりだったので、地域が急に区画整理とかで大規模に発展したもんだから、よそから引っ越してきた人たちで賑やかな街となっちゃった。

そこで私なりの地域への恩返しということで、自治会の役をしながら、子供たちの朝の登校見守りを始めたのね。

ちょうど60歳前の時でした。

最初に見守った当時、10歳だった子供が、もう結婚してね。
赤ちゃんが生まれることとになったのよ。

なんと言っても感無量🙏

まぁそういう形で地域とのつながりが強くなった。

毎朝の登校の見守りと、子供たちの長期休業の時に、公民館で勉強をできる時間を作ろうと、元教師の仲間と一緒に朝の学習室を開いたのよ。

公民館で学習室

途中コロナとかで縮小したけども、今年で10年近くなったね。
うれしいことにその子供たちを
スタート時に教えていたんだけど
今では第一期生の子供たちが、
将来先生になろうと思ってるって、ボランティア教師に自ら手を挙げてくれたのよ。とても嬉しかった❣️

少し話が長くなったけど、リタイアした私がどのようにして少しづつ、アーちゃんと慕われて地域の子どもたちと仲良くなったのか?

次にお喋りは持ち越しましょう😅🙏

#子育て支援
#自分の楽しみ
#地域のおばあちゃん
#登校見守りも
#学習支援

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