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高野山、熊野古道への旅(3)


最終回


高野山奥の院から和歌山
そして帰路北海道へ


ふたたび高野山へ

朝5時半に目が覚める。
前日の過酷な熊野古道、大門坂を登りきったせいかなんとなく熟睡できたような気がした。

7時半くらいにルートイン橋本の朝食バイキングに向かった。

野菜の種類も多くバランスの良い料理に友人も満足する。9時にホテルを出発し高野山に向かった。

朝食のバイキング
ロートイン橋本



橋本方面から高野山に向かうので険しい山々の中を通り抜ける。谷底のような道もある。ひたすら1時間くらい走り抜けるとやがて峠のようなところにさしかかる。
高野山だ。大門を通過し奥の院の駐車場に車をおく。人々が白い門の方角に歩いてるので後ろに続いて歩く。

奥の院入り口
奥の院


杉が空を多い隠し、あたりは薄ら暗い。人間界と彼方の世界との狭間のような奥の院。なんという荘厳な雰囲気なんだろう。おもしろいことに大企業の一族の墓も沢山あった。歴史上の名を連ねる人物達の墓の群集。さらに進むと豊臣秀吉や織田信長の墓所もあった。


豊臣秀吉の墓所
織田信長の墓所



さらに奥に進んだ。橋が横たわりそこから先はカメラ、帽子、飲食はNGの神聖な場所らしい。歩みをさらに奥へと進める。ついに奥の院灯籠堂が真正面に近づいてきた。

厳かに歩き続けると階段の上からお経が流れてくる。偶然に木の箱を担いだ僧侶が通り過ぎる。瀬戸のお椀のような物が見えたのでおそらく精進料理を運んでいるのだろう。


奥の院灯籠堂



燈籠堂は薄暗く、闇の中央に鎮座しているお坊さんのお経が館内に共鳴している。
また天井には無数の,灯籠が散りばめられ、まさに宇宙空間を思わせる雰囲気だ。

弘法大師は平安時代初期の僧侶で、真言宗の開祖、優れた書家,土木の達人でもあった。その弘法大師の最後の修行の場に自分はいるのである。地面から天井から物凄いパワーを全身で感じる。


灯籠堂の外も見たくなり外に出ながら深呼吸をした。少し緊張感が取れてきた。
ちょうど灯籠堂を半周した所で線香を買い火を灯し弘法大師に祈りを捧げた。もう一度灯籠堂内に戻り目に焼き付け階段を下りた。


社務所のような所で御朱印帳に書いてもらい御守りを買ってもと来た道を戻った。途中に親鸞道中の碑もあった。


親鸞道中




そのあとは少し離れていたが徳川家墓台を訪れ祈りを捧げる。

徳川家墓台


過去、現代の人々が弘法大師に尊敬と畏敬の念を抱き、長年に渡ってこの高野山の地に深い思いを抱いてきたのである。そのような場所に今立っているだけで崇高な気持ちにさせてくれた。




和歌山へ

12時半くらいに和歌山方面に向けて出発する。まっすぐ西に向かう国道。2時くらいに和歌山市に入る。

どうしても和歌山ラーメンを食べたく、友人がガイドブックで見つけた井出商店に入る。地元ではラーメンのことを中華そばと言うのが一般的らしい。テーブルの上に赤いどんぶりのラーメンが運ばれてきた。


あっさりしてとても美味しかった。昔、子供の頃食べたラーメンを思いだした。


和歌山ラーメン井出商店
和歌山ラーメン


食べ終え井出商店を出たが、まだとても暑い。もうすぐ3時だが気温は35度に近いような気がした。
次は最後の訪問地、和歌山城に向かった。


今まで過去に見た城はほとんどが山の上や丘の上だったがこの城は市内のど真ん中にあった。


緩やかな坂道を登り城の入り口に入る。


豊鳥秀吉の弟が作った城だが一度も入城せず徳川家と紀伊家がここに君臨してきたようだ。

和歌山城



階段をさらに登る。
ついに頂上に出た。

天守閣は風通しがよく和歌山市内が一望できた。


和歌山市内




関西国際空港から帰路へ

帰りの飛行機出発の時間が近づいてきた。

関西国際空港に向かった。



トヨタレンタカーで荷物を下ろし空港第一ターミナル行く。

今回は小学校からの友人との旅だった。坂道も多く歩き旅で疲れたがとても有意義な旅だった。弘法大師の御心に触れ、さらに古代日本の原型とも言える熊野古道周辺を散策することができた。歴史の重み、計り知れない先人達の苦悩を肌で感じることができた旅だった。
日常を忘れ、静かにゆっくりと内省する時間もあった。

非日常の旅体験が豊かな思い出、豊かな人生をもつくる。

そう確信しながら北海道苫小牧の夜景を上空から眺めていた。

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