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優しさは結婚と失恋に無関係?

私は修士1年目から、博士課程の先輩である田淵さんのお世話になることが多かった。

田淵さんは、学部は慶応で、修士は北山大学、そして博士で八雲大学に入ったという、変わった経歴の持ち主だった。

北山大学にもかつてはいたこともあって、心やすく接することができたし、非常に後輩に対しては広く面倒見のいい人だった。

既に、修士の段階で結婚して、子供もふたりいた。

田淵さんは、奥さんの弟夫婦と同じ家の一階と二階に別れて住んで、家庭教師をしながら、家族を養っていた。

かなが上京した時も、ふたりを家に招いてくれて、励ましてくれた。

ふたりにとって、田淵さん夫婦のようになるのが、目標となっていた。

田淵さん家族との友人家族に、八雲大学の博士の先輩二人、修士の1年後輩一人と私らふたりが加わって奥多摩の河原でキャンプすることになった。

昼間はみんなと川で泳いだが、かなは水着を用意していなくて、眺めるだけだった。

夜はバーベキューをしながらキャンプファイヤーになった。

小さな子供達がいっぱい参加していたので、私たち若い者は「かもめの水兵さん」を歌いながら踊ったりして、喜んで貰った。

田淵さんは写真もしっかり撮ってくれて、後にそれを貰ったが、かなの表情はずいぶんと柔らかくなり、笑顔も写っていた。

カメラを意識せず、自然なかなの姿が写っているのは、この時のものだけで、楽しかった思い出をよみがえらせてくれる。

その後かなはやっと仕事に就くことができるようになった。

私が家庭教師をしていた篤の父親は、実は中小企業の社長であった。

かなが仕事を探しているのを聞いて、雇ってくれることになった。

篤はひじょうにやんちゃで、私がよく面倒を見てやっていたこともある。

去年は一緒にキャンプにも行ったりしたが、口も悪く雇って貰ったときに、私をヒモと言ったときにはさすがに頭にきた。

自分でも自覚はしていたが、人に言われると嫌なものだった。

因みにX先生にも、結婚を報告すると「君はヒモになったのですか」と言われたのをよく憶えている。

家庭教師をして、多いときには月に15万円近く稼ぐこともできたが、妻の収入に暮らしを支えて貰うことになるので、ヒモに違いなかった。

このヒモという言葉はジゴロよりも、自分では色男として自慢にできる言葉にもなるが、人から言われるのはシャクである。

仕事に慣れるまでは、心身とも疲れて大変そうだったが、慣れて行くにつれて、仕事に楽しみを感じていくのがよく分かった。

私はバイトも減らせて自由に使える時間も多くなったが、かなは仕事の時間に縛られるようになった。

それでも、安定した収入によって、ふたりの気持ちは楽になり、一緒になって良かったと感じ始めていた。

そんな時にやってきたのは、失恋したアキラだった。

アキラはフィールドワークを一緒にしていた仲間の幸代ちゃんに恋をして、付き合うようになっていた。

幸代ちゃんは北山大学の短大から、わざわざ私たちの大学のサークルに参加した学生だった。

短大なので私たちより早く卒業して就職していた。

アキラは何とか彼女と結婚するために、大学院には進まずに京都の教員採用試験に合格して国語の高校教師になっていた。

そうなると、彼女は名古屋でアキラは京都ということで、簡単に逢えなくなっていた。

去年の段階で、幸代ちゃんは東京に出てきたついでに、私の下宿に来てアキラのことの相談をしていた。

どうも、アキラの思いが強すぎて、結婚を早く迫られて困っている様子だった。

そして、アキラは教職について1年半後に振られてしまったのだった。

アキラは8月の夏休みを利用してうちにやってきた。

そしてその失恋の話に付き合って、3日間アパートで二人で飲み続けた。

アキラは相当ショックを受けており、死にたいとまで言ったので、かな以上に長いつきあいの友達に惜しみなく付き合った。

アキラは私と違って、いつも冷静で、理詰めで動く方だったが、恋愛はそれとは上手くいかなかったようだ。

幸代ちゃんが去年相談に来た話をしたら、私に惚れていたのだとまで言って嘆いた。

実際は、幸代ちゃんは自分の仕事に楽しみを見いだしており、あえてアキラを頼って生きる必要が無かっただけだと思う。

私は後にかなに見限られて、同じように別れた時に、アキラからは映画の「道」の主人公のザンパノと同じだと言われた。

「道」は大切な女性を失って、それまでひどい扱いをしていたことを悔やみ、そしてその女性に自分が支えられていたことを思い知る物語だった。

幸代ちゃんと結婚することをひたすら夢見て、孤独を耐えてきたアキラだが、哀しいかな、ザンパノにさえなれなかった。

だいぶ後になって、アキラは教育実習に来ていた実習生の指導が縁で恋仲になり、その実習生と結婚した。

私は既に教職についていたが、京都の街で飲んだ後で、アキラ夫婦のアパートに泊まらせてもらった時のことである。

明け方まで飲んで、結局同じ部屋で眠りこけてしまった。

朝になって、奥さんがアキラを起こす方法におののいた。

私の見ている目の前で、寝ているアキラの枕を足で蹴飛ばしたのだ。

私ならその時点で、大げんかで離婚したかもしれない。

しかし、この夫婦は今でも別れずに暮らしている。

夫婦というのは、人それぞれである。

敬虔なクリスチャンであるアキラは、キリストのごとく寛容な心を持っているから、仲良く暮らしていけるのだろう。

そういう優しさの半分でも当時のかなに対してあったなら、その後の別れはなかったと今も悔やんでおり、やはりザンパノそのものだっと思う。

その反省もあって、妻の道子には、アキラの半分くらいの優しさを心がけている。






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