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杉田弘子「漱石の『猫』とニーチェ」白水社

「ツァラトゥストラかく語りき」は俺にとって途轍もなくでかい壁だ。ニーチェの哲学のエキスがぎっしり詰まったこの本を明治の知識人たちは格闘しながらひも解いていった。実に面白い切り口だ。高山樗牛、坪内逍遥、夏目漱石、新渡戸稲造、和辻哲郎、萩原朔太郎、森鴎外、芥川龍之介など文豪と呼ばれる面々が捉えたニーチェが克明に描かれていて面白い!哲学者としてのニーチェではなく、詩人としてのニーチェにこれだけ多くの魂が感化されていたわけだ。ということは知らず知らずのうちにニーチェの詩情と哲学は近代文学を通して俺たちにも届いていたってわけだ。なんかゾクっとくる。
俺は中でも漱石と芥川のニーチェ体験がかなり印象にのこった。

<メモ1 ニーチェの思想>
・「ツァラストウトラ」でいう超人は人類の未来に対する希望に生きている者である。
・過去に対する嘔吐を過去に対する熱愛に改造すること!過去を肯定することで真の自由人になる!これが永劫回帰の思想だ。
・ニーチェは否定に次ぐ否定の末に絶対肯定の心境に達した。
・ニーチェの反平等思想は社会主義者や民主主義者に潜む欺瞞を見抜いていた。
・初期のニーチェを支えていたものは①古代ギリシャの精神②形而上学③芸術である。
・超人という言葉はニーチェのものでなく、もともとゲーテ「ファウスト」が初めである。ニーチェは熱烈なゲーテ愛読者であった。
・ニーチェの女性観がわかる一節
 「女性はいまだに猫である。鳥である。最善の場合でも雌牛である」
 「女にとっては男は一つの手段である。目的はつねに子供なのだ。
  男にとって女は何だろうか。」 ニーチェは最も愛した女性ルーとの仲を妹にズタズタに引き裂かれた。この背景を知らなかった漱石には理解しがたい一面があった。


<メモ2 ニーチェの作家・作品への影響など>
・日本へのニーチェ移入に大きな役割を果たしたは高山樗牛
・日本のニーチェ論争を沸騰させた立役者は坪内逍遥
・「猫」の中でニーチェが登場する場面は2か所あるが、一つは銭湯に現れた
・大男=超人。この大男は平等を嫌う人間性の観察から生まれた。一つは苦沙弥先生と迷亭と独仙の話の中で西洋批判のつまみに出てくる。これはニーチェの賤民論(軽蔑すべき敵)を漱石はイギリス批判と結び付けており、強いシンパシーを表している。
・「ツァラストウトラ 市場の蠅」にある「逃れなさい!あなたの孤独の中へ!」というニーチェの警告は漱石の小人論の発端になっている。事実漱石が読み込んでいた「ツァラストウトラ」英語訳にはTRUE!といった書き込みがされている。
・漱石とニーチェの共通点は強烈な独立心、自己を恃む気概と誇り、古典的教養の重厚さである。一方決定的な違いはニーチェを駆り立てていたのは認識への情熱であり、キリスト教価値観を否定して世界の価値観を真っ二つに割る者という認識に至って発狂した哲学者であり、漱石は西洋文明の受容におけるプロセスにおいて苦悩していた先端的知識人であり、文学者であったことである。社会性も漱石のほうがある。
・漱石はニーチェ流の精神貴族である。高みに登ろうとする人である。ある意味神経衰弱を代償に超人の域に限りなく近づいた人である。
・ニーチェ関連の研究者は漱石人脈が多い。代表者は生田長江(ツァラストウトラの初完訳者)。
・ニーチェの哲学は電気力のようなものだ。だれでもそれに触れた者は強い雷雲の中で寸断される(萩原氏)。
・ニーチェの批判の矛先が向かうのは彼が憎悪の天才、復讐の天才と呼んだパウロである。特に「コリント全書」は著書「アンチクリスト」の中で徹底的に批判されている。
・芥川は「侏儒の言葉」冒頭の「侏儒の祈り」は「ツァラストウトラ」の「おしまいの人間」から発想された形跡がある。「西方の人」の中の「善悪の彼岸」はニーチェの言葉である。


<メモ3 情報>
・芥川が本郷の古本屋で1913年に買ったドイツ語の「ツァラトゥストラ」は現在、東京駒場にある日本近代文学館の芥川文庫の中に大切に保管されている。→ 見に行くぞ!

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