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【日本滞在記録#1】お正月は関西に滞在【令和6年能登半島地震】

2024年1月6日に石川県小松市へ親族訪問目的でいきました。
市内の観光施設もチェックしてきました。
石川県小松市の観光は、十分にできます。
小松市は、おだやかで平和な日常でした。

全員生存ルートです。


2023年08月

おばあちゃんから、結婚のご祝儀を受け取る。
おばあちゃんは石川県小松市にいる
ご祝儀は高額だった。年金生活のおばあちゃんにとって、高額だと判断した。

年末年始はおばあちゃんに会いたいと思った。


ついでに、私のフォロワーさん

この方のホーム画像が、石川県小松市である。ついでに、その写真も撮りたいと思った。



2024年1月06日~2024年1月13日まで、石川県で観光する予定をたてる

石川県の地理を少し解説


石川県 だね

今回、私が行ったのは、石川県小松市

実際には行くことはなかったが、
金沢市と七尾市の宿も予約していた。

地図を見ればわかるが、七尾市の上に島がある。その島には水族館がある。そこにも行くつもりだった。(実際には行ってない)

で、1月6日現在、
観光していいのは、金沢市より南です。ざっくりしてますが。とにかく、金沢市より南です。
金沢市はいつもどおりの生活です。

金沢より北は危険です。

通行止めマップ
金沢より北は 行っちゃダメ


 

2024年01月01日

大阪の住吉大社神社にいた。

お参りして→お守りをかう→おみくじという順番だった

16:00頃

家族4人でおみくじの列に並ぶ

16:06

石川県 最大震度5強(まだ知らない)

16:10

石川県 本震 最大震度7(まだ知らない)

16:11

おみくじの列の人がスマホを見ながら、けっこう慌てて「石川県…地震…」と話す。すぐさま私はスマホで情報収集する。すぐに正確な震度は分からなかった。このとき見つかった情報は本震ではなかった。16:06 の地震(最大震度 5 強)だった。

「石川県に最大震度 5 強」情報をそのまま母に伝える。このときは、「またかー」みたいな「ちょっと心配かもねー」みたいな温度感だった。私も家族もそんな感じだった


思い出話

実は、2007年にも石川県に大きい地震があった。当時の小松市の親戚たちは「車に乗ってて大きい風がふいたなーと思ったら地震だった」的なのんきなエピソードを話していた。その記憶が根底にあった。


16:12

 母がおみくじの列に並びながら、石川県小松市の親戚と電話する

16:13

おみくじの順番がきた。おみくじを振るために、一旦、母は電話を切った。

16:14

まずは大阪のホテルにいる旦那にメッセージ。外国人の夫は、地震の経験が少ない。まずは、安心してほしいことを伝える。石川県の旅行の計画は後々考えようね、とも伝える

次に、石川県小松市の親戚にもLINE(まだ大災害だと気付いてない)

16:16

どうやら、16:06の地震ではなく、16:10の地震が本震らしいと気づく。当時の情報は「輪島市が震度6強(実際は震度7)」とでていた。わたしは勝手に輪島市で震度6強なら、小松市は震度5(実際も震度5強)くらいと判断した。

「ちょっと不安だから、家に帰ってテレビを見ようか。」と駐車場に向かう。

16:17

石川県小松市の親戚LINE返信あり

クソみたいなやりとり

16:25

家に帰る車の中のテレビをつける。津波3m、5mの予想を見る(実際の津波の高さは3mっぽい?)。

「っっっっ?!?!?!」

津波が3mという文字を見て、ここではじめて、私と父が「やべぇ」となる。妹と母は津波3mという情報にピンと着ていなかった。

テレビで「震度7 」を確認。家族4人全員が震度7の大災害だと気づく。「やべぇ」となる

ここから、家族を代表して、母のみ石川県小松市の親戚と連絡をとることになる。やべぇ。


ここで母の紹介
石川県小松市出身50代


17:14

石川県小松市に住む親族の生存確認(生存確認30名ほど)このとき、親族からは友達の友達が行方不明or亡くなったという話が出てこなかった。実際に全員生きていた。奇跡だと思った。避難所で集まったという。

母から聞いた当時の被害状況
・オール電化の家が停電
・トイレの花瓶が落ちた
の2点しか分からなかった
母も小松市の親戚もパニックだ。
情報の伝達ができていない。

とりあえず、生きていて安心した。

18:00

輪島市の定点カメラYouTube配信で火災を見る
強いショックをうける。知っている人は全員助かったとはいえ、これは死者がでるなと感じる。暗い気持ちになる。
定点カメラといえば、岐阜のポーズ。年末は楽しかったのにな。とも思う。

父は小松の友達とLINEで短い生存確認
ここでも全員無事だった

2024年01月02日

お昼ごはんを食べながら、宿を確認。地理に強い母と相談。小松市の自動車博物館は臨時休館、金沢ハイアットキャンセル、七尾市加賀屋は営業再開の見込みなし。七尾市の小島の水族館情報に至っては調べる気力すらもなかった。とても観光できる気分ではなかった。

母とめちゃくちゃ相談したのが、小松市の旅館「喜多八」の予約だ。予約を残すか、キャンセルするか。母、相談に乗ってくれてありがとう。

情報を探していると、喜多八の公式ブログにたどり着いた。

行くしかない。応援の意味をこめて

当初の予定は石川県に7泊するつもりだった。震災があって予定を変更して、石川県小松市に1泊だけすることにした。親戚に会ってすぐ帰ることにした。

私「なんか親戚に支援物資とか、もっていきたいと思ってるんだけどどう思う?」
母「全然いらないんじゃない?電話してるけど、普通に生活しているっぽいけど?」
父「こっちの友達も大丈夫っぽいよ」
私「親戚に1人幼稚園児がいる。せめて子供には何か物資を渡したい。」
父「このあと、買いに行くか」

ユニクロで110cmのもこもこフリースと120cmのアウターを購入する。110cmとか、そういう数字を見て、まじでかわいいなと思う。子供は奇跡だなぁ。と何回も泣きそうになりながら選んだ。地震を生き延びた生命に感謝。震度5強を経験した園児よ。大きくなれ。

2024年01月03日

母が血相を変えて支援物資を買い込む。父も運転手として巻き込まれてる。昨日と真逆じゃーん。と思う。巨大スーツケース3つ分。持てないので2つに絞った。

水ガス電気はあるので、とりあえず、菓子。
電気毛布とアウター
こころの健康を優先する

旦那と相談して、旅行の行動計画表が完成する。旦那には「大きめの余震もあるかもねぇ」と伝える。「東日本大震災の時、群馬にいて慣れてる。大丈夫」と返された。行動計画表を母に見せる。地理に強い母のチェックが入る。合格。母ありがとう。

 

2024年01月04日

夜中に眠れずにiPhoneにメモをする。不安すぎて眠れない。一回時系列で整理してみる。自分の行動が正しいのか判断できない。「地震なのに、石川県に行くのは、不謹慎じゃないか?」「石川県の親戚はどう思ってるんだろう」の葛藤。ひたすら客観視がしたい。何が正解なのか分からない。客観視がしたい。


このときのメモを参考にいまnoteを書いてる。ここより後は、メモを随時とっているので、より正確になっている。



お昼に京都の八幡神社に行く。ひたすらに祈りたいと思った。自分の中の日本人魂が暴走した。
はじめて、お正月の時期にこの神社にきた。7年ぶりだ。いつもは、静かだなぁという印象の神社だ。この日は、お祭り使用に様変わりしている。めちゃくちゃ屋台が入っていた。とんでもない人だった。長年工事中だった門もキレイに修復されていた。7年前にこの神社で今の旦那と絵馬を書いた。ハートの絵馬。まずは、結婚したことを報告して、感謝を伝えた。信頼度マシマシ。そのあと祈った。マジで祈った。

1/1の大阪の神社でお祈りした内容と全然違うことを祈った。かなりの心境の変化がある。固く祈った。こうでもしないと、次の日の晩も泣いてしまいそうで、涙目で、祈った。とまらなかった。

帰り道、夕方に石川県小松市の親戚に1月6日の車の手配を頼むことにした。

あえて、この日に連絡した。
遅くても早くてもダメ。この日じゃないとだめだなー。って

タクシーが空いているか分かんないし、バスもお休みかもしれないし。


実際、1月7日にタクシーを利用してみたら、運転手さんが「めちゃくちゃ暇」って言ってました。JR小松駅昼にはタクシーが3台並んでいました。バスも1月7日時点で、定刻どおりきちんと動いていました。


親戚(30歳)に電話をかける

「あいてる?」「うーん。この日映画を観にいくんだよねー。」「えー、めっちゃいいじゃん。」「何みるの?」「コナン。」「コナンかー。」「めっちゃえええやん。そっかー。じゃあ、ok!楽しんできてね。他の人に頼むわ。」

コナンを見るという日常に涙が出そうになる
めちゃくちゃ安心する

別の親戚に連絡する。車の手配ができた。

「あいてるー?」「あいてるー」「安宅の関に行きたくてー。安宅住吉大社。」「スミヨシさんねー。やってるかなぁ」「なんか、Xみたら、やってるっぽい。駐車場ガラガラだってよ。」「北國新聞(石川県の新聞)には、灯籠が半分倒れたって書いてあったけど、まぁXを信じるわ」


実際、安宅住吉大社、営業していました。
お守りめっちゃ売ってました。


夜、不安になって、小松市のサイトをみる。死者の確認。
死者0。そうか。よかった。安心だ。災害関連死がこのあとでるかもしれないけれど、ちょっと安心した。

ヒカキンの切り抜き画像を見かけた
募金方法の動画だ。

私は「ふーん。」と思った。

2024年01月05日

神戸の西宮神社でお参り。

なんか、まだまだ足りない。祈りが足りない気がして、もっと他の祈りもでてきちゃって、こんどもめっちゃ祈った。マジで祈って、祈って、祈った。「やばい、泣きそう。」って手を合わせて、この文章書きながら、今も泣いてる。

あらためて、神戸のメリケンパークにある阪神淡路大震災の遺物を見に行く。胸がざわざわする。

「ちょっと待てよ?コナンの映画に見にいけちゃう空気感ってことは、オシャレを楽しめるってこと?」って思った。震災に負けず、化粧を楽しんでほしいなっておもった。「日常をとりもどしてほしいゾ」という魂を込める。ファンデーション用のスポンジを買った。流行りのメイクアイテム。&beのブラックスポンジ。10人分買った。


(後日談)
親戚の20代~30代女性 10人に配りました。
菓子よりもこっちを喜んでくれました。良かった。


おまけ

石川県公式HPです。
義援金(募金)はこちらから


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