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《昭和を切り開いた経営者の「逆転」する発想》

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安眠をむさぼる頭脳に心地よい一撃!  書籍や雑誌などに目を通していると、時々、なるほどと、うならせられる言葉にぶつかったりします。とくに、未成熟だった製造業・流通分野で創業し、… もっと読む
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記事一覧

3-8. 上の段階に進むには過去の失敗がノウハウになる。

 日本科学技術連盟会長 高橋貞雄  高橋は1956年、石川島播磨重工業に途中入社して以来…

梶文彦
16時間前
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3-7. 未来への鍵は、過去の歴史の泥の中にある。

  本田技研工業最高顧問 藤沢武夫  本田宗一郎社長とのコンビで名副社長と謳われた藤沢武…

梶文彦
1日前
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3-6. 裏道に徹すれば、いつか表の道になる。

  不二製油創立者 西村政太郎  西村政太郎は不二製油を昭和25年に創業した。最初に手が…

梶文彦
2日前
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3-5. 売りやすい商品を作れば、コストは安くなる。

 本田技研工業創立者 本田宗一郎  コストを下げ、値段を下げれば商品は売れる……と考える…

梶文彦
3日前
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3-4. 多様化の時代だからこそ、商品は絞り込んでお客様に提供しなければならない

  イトーヨーカ堂社長 鈴木敏文  「信用を勝ち得るのが重要」というが、信用とひとことで…

梶文彦
4日前
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3-3. カネをとるか信用をとるか、カネがほしければ信用を先にとることのほうが本当だ…

  本田技研工業創立者 本田宗一郎  ホンダが躍進するきっかけとなったのは、1958年に…

梶文彦
5日前
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3-2. 「儲けたい」では儲からず。

  ワコール会長 塚本孝一  金儲けは、したいと思ってできるものではない。 だから、小賢しく、何かうまい商売はないか、どうやったら儲かるだろうか、と策をめぐらしても、まず成功しないと考えたほうがいい。  塚本も、かつて何度か会社とは別に個人で財産を増やそうとしたことがあったが、いずれも失敗に終わったという。 「財テクでまとまった金を生かそうと証券会社に預けたら、株が暴落して3000万円ほどの損害を被った」 起業家として評価の高い塚本でさえこうである。ましてや……とは言う

3-1. 果報は練って待て。

 三洋電機元社長 井植 薫  戦後、たくさんの会社が高度成長の流れに乗って成長した…

梶文彦
7日前
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2-17.不安定こそ安定。

  NEC名誉会長 小林宏治  野球の完全試合やノーヒットノーランは、1点差とか2点差と…

梶文彦
8日前
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2-16.無借金経営はハングリー精神を弱める。

  堀場製作所会長 堀場雅夫  即断・即決をやろうとすると、決定権を自分の手に入れたくな…

梶文彦
9日前
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2-15. 人生に遅すぎるということはない。

 日清食品会長 安藤百福    安藤百福は、48歳で元祖・即席ラーメンである「チキン…

梶文彦
10日前
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2-14.インスタントな決断をすること。そういう体制を築いていかないと、商品の入れ替…

  日清食品社長 安藤宏基  石橋を叩けば渡れない、60点主義、1勝2敗の哲学、99%の…

梶文彦
11日前
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2-12. 日々の小さな破壊が創造性を生む。

  日本ケミコン会長 佐藤敏明  変えるとは、言い換えれば破壊が行われるということでもあ…

梶文彦
2週間前
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2-11. 50年後もIBMがコンピュータを作っていたら、IBMは潰れているでしょう。

  日本アイ・ビー・エム会長 椎名武雄  前回ご紹介した大島の言葉「2-10.本業大事ではいつまでも本業大事の発想では新しい事業の創造などできない」を、さらに具体的に語ったのが、日本IBMの育ての親とも言うべき椎名武雄である。  IBMの本業はコンピュータであった。International Business Machineという社名から考えても、ビジネス用にIBM360パソコンンも全盛という時代背景から考えても、当時はコンピュータのないIBMは考えられなかった。しかし、