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横浜の洋館

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1859年の開港以来、横浜港は生糸貿易で日本の近代化を支えてきました。生糸商人たちが活躍した時代を感じさせてくれるのが洋館です。明治-大正-昭和の時代に作られた横浜の洋館をご紹介… もっと読む
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025.横浜貿易協会ビル・海洋会館ビル

≪3.生糸貿易をささえた横浜の洋館・建造物018/みなと地区≫ *大桟橋入り口交差点に面して…

梶文彦
8か月前
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059.山手234番館

 ■日本人設計の暖炉付きの震災復興洋館アパート  港の見える丘から歩いていくと、横浜山手…

梶文彦
1か月前
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058.ベーリック・ホール

■公邸も兼ねた?スペイン風の大きな洋館 一見して、みたことがあるような既視感にとらわれそ…

梶文彦
1か月前
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057.山手80番館遺構(ブラフ80番メモリアルテラス)

 ■関東大震災で壊滅した石造り洋館  元町商店街をウチキパンの方に入って、そのまままっす…

梶文彦
1か月前
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056.エリスマン邸

■横浜市内の洋館1戸保存の先駆的なケース 元町公園を登った上、木々に囲まれて山手本通りに…

梶文彦
1か月前
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054.山手資料館(旧中澤邸)

         山手本通りに面して建つ山手資料館。館内は西洋瓦や          文…

梶文彦
1か月前
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052 横浜市イギリス館(旧英国総領事公邸)

《横浜の洋館・山手地区》 ■当時のイギリスの繁栄ぶりを彷彿させる 元町から谷戸坂を上りきると左手に港の見える丘が見える。右に行くと外人墓地の前を通って山手本通り。右に曲がらずにそのまままっすぐ進むと、すぐ左に、洋館に続く門とアプローチが見える。横浜市指定文化財の横浜市イギリス館(元英国総領事公邸)である。 隣に山手111番館があり、庭を奥に行くと大佛次郎記念館からさらに日本近代文学館につながる馥郁とバラの香るこころ休まる散歩道だ。 関東大震災後の昭和6(1931)年に、イギリ

『横浜の名建築をめぐる旅』

『横浜の名建築をめぐる旅』菅野裕子+恩田陸 エクスナレッジ 2021.7.12 1600円+税 建物の…

梶文彦
2か月前
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051.桜道橋・山手隧道

≪3.生糸貿易をささえた横浜の洋館・建造物050/その他地区≫  *山手隧道を抜けた麦田町側の…

梶文彦
7か月前
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050.浦舟水道橋(旧西の橋)

≪3.生糸貿易をささえた横浜の洋館・建造物049/その他地区≫ *横浜市南区役所裏の中村川にか…

梶文彦
7か月前
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049.霞橋(新山下橋・旧江ヶ崎跨線橋)

≪3.生糸貿易をささえた横浜の洋館・建造物048/その他地区≫  *淡いカラーリングが青空とマ…

梶文彦
7か月前
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048.ジェラール地下貯水槽遺構

≪3.生糸貿易をささえた横浜の洋館・建造物047/その他地区≫  *ジェラール水屋敷地下貯水…

梶文彦
7か月前
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019.不二家伊勢佐木町店

≪3.生糸貿易をささえた横浜の洋館・建造物046/伊勢佐木町周辺≫ *フランク・ロイド・ライ…

梶文彦
7か月前
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018.横浜松坂屋西館(旧松屋横浜店 )

≪3.生糸貿易をささえた横浜の洋館・建造物045/伊勢佐木町周辺≫  *伊勢佐木町に面して建つ横浜松坂屋西館。現在はJRAエクセル伊勢佐木(場外勝馬投票券発売所)として使われています。デュオグループの「ゆず」がデビュー前にストリートで歌っていたのは、隣にあった本館前でした。  ■伊勢佐木町全盛期の建物  昭和6(1931)年、前身の越前谷百貨店として建てられた建物で、横浜市民には松屋横浜支店(33年間)、横浜松坂屋(14年間)としてのイメージが強く残っています。隣に、