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016.インペリアルビル

≪3.生糸貿易をささえた横浜の洋館・建造物035/山下地区周辺≫
*インペリアルビル。連続窓が印象的なカーテンウォール工法のビル。屋上にはペントハウスが作られています。
 
 
■外国商人のための長期滞在アパート
 KAAT(神奈川芸術劇場)/NHKの先を海岸通りの方に入った2本目の左にあるビルで、昭和初めにモダニズム建築界をリードし、若くして亡くなった川崎鉄三の作品のひとつです。
外国人商社員が長期滞在できるような事務所兼アパートとして昭和5(1930)年に建てられたもので鉄筋コンクリート4階建て。各部屋にはベッドのほかに若干の生活スペースがあり、場合によっては、持ち込んだ商品を部屋に広げて、日本人を呼んで展示するなど、簡易ショールームなどとしても利用されていたようです。
 
 関東大震災で、町ごと倒壊したことを受け、行政は復興建築という名目で丈夫なビルの建設を奨励しました。このビルもそんな流れの中で昭和の初めに耐震性を基本に設計・施工されたため、行政からも地震に対して安全なビルであることの証明を受けています。
 2011年の東北大震災に際しても、揺れる周囲をしり目に全く問題はなかったそうです。90年前たってもまだしっかりと機能する耐震性は驚きです。戦前の耐震設計のビルとしても他に類のない貴重な存在で、2011年に横浜市の歴史的建造物に指定されています。

エントランス、何とも言えないレトロモダンの雰囲気。不思議と懐かしい思いがあります。

 戦後米軍に接収されて4階部分が増設されるなど、少し改造されてしまいましたが、このビルの特徴は、現所有者の祖父が建設して以来、入居者は変わっても、所有者が変わらないこと。だから、用途も、貸事務所・店舗などの複合ビルとしての性格は強くなりましたが、基本的な部屋の間取りはほとんど昔のままで残っているという貴重なビルなのです。
 米軍の接収中はホテル ニューグランドに滞在するマッカーサーを護衛する将校たちが滞在し、のちに根岸や本牧に住宅を作った際に、備品などを一部持ち去られてしまったために接収解除後は宿泊施設として営業を続けられず、オフィスビルに転じざるをえなかったといいます。
 備品があのまま残されていれば、外国人セールスマン用の長期滞在型の、商品展示室を兼ねたウィークリーマンション?として高度成長期にも継続できたのではないかと惜しまれます。需要はあったはずですから。
 裏通りにあり、昭和初めとは思われないモダンな意匠のために、いまでは目立ちませんが、これが90年前に建てられたビルと言われてあらためて見ると、実に味わい深いビルであることに気づきます。
 ひっそりと控えめながらここぞという要所できらりと光る技を披露し観客をうならせる、年季の入った老優の芝居を思わせるような建物です。

受付窓口の上や階段の降り口などに戦前戦後の商品やたばこの箱などが
並べられています。これだけでも一見の価値があります。

 ■丸ごとすっぽりタイムカプセル
 空襲にも焼けず、接収されていた期間を除いて事業が継続されているので、備品や什器だけでなく、ビルの図面や取引の書類なども残されているという、エアポケットのように残された、まさにまるごとすっぽりアンティークそのもののビルなのだ。
 ここもホテルニューグランドに近く、マッカーサーの指示によって意図的に空襲に会わなかったといううわさもあり、山下公園側に出れば、すぐ裏にやはり焼け残ったイギリス7番館(032)があります。

階段スペース、装飾も目立ちませんが、よく見ると、
非常に細かい神経が使われていることが分かります



 写真のように、階段の飾りに真鍮などの金具が使われています。戦争中の金属徴収からも免れて、そのまま使われているのは珍しいですね。中に入ると、階段や廊下、ドアのデザイン、さらには部屋の中の備品まで、まさに昭和初期の息吹がタイムカプセルのように保存されて息づいています。
 外観は、全面の水平に連続したカーテンウォールの窓がユニークで、その内側は、サンルームのようなベランダ空間になっています。現在も現役で1階には店舗が、2~4階にはファッション関連の店舗や設計事務所などのオフィス、スタジオが入っています。
 独特のレトロモダンなイメージを活かして、映画などのロケにもよく使われています。派手な洋館とは一線を画す、しっかり時代がそのまま保存された一見に値する落ち着いた洋館です。

1階は貸しギャラリー。置かれているテーブルもイスも昔のまま。
このセットを生かした展示が人気の秘訣のようです。

●所在地:横浜市中区山下町25番地







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