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【初学者のための世界史(幹)】2-19.イギリスの強大化と政治の動き

前回は、大航海時代により調子を付けたスペインがオランダ独立により衰退した流れを解説しました。
今回は、スペインのあとメキメキと力をつけたイギリスのついて解説します。


スペインがオランダの独立を防ごうと戦争を起こしているときに、イギリスはオランダ側を援助していました。大西洋の覇権を握っているスペインをつぶしてイギリスが台頭しようと考えたのですね。

スペインの海軍は、ヨーロッパの恐怖の大玉であるオスマン帝国を破った(レパントの海戦)ことから無敵艦隊を意味する「アルマダ」と呼ばれていました。かっこいいですね。

レパントの海戦

イギリスがオランダ独立を支援していることに腹を立てたスペインはアルマダをもってしてイギリスに攻撃を仕掛けました(アルマダ海戦)。対するイギリス王はエリザベス1世です。

エリザベス1世


エリザベス1世

「わたしはイギリスと結婚した」と、生涯を政治にささげた彼女はイギリスの繁栄を支えた優れた女王です。先ほどの肖像画の右手を見てみると地球儀の上においてますね。世界を視野に入れていたことが伺えます。
ですが、当時のイギリスはまだまだ弱小国です。そんな国が無敵艦隊に勝てるはずもなく、、、とはいかなかったんですね。
イギリスはスペインに勝利しました。これより、イギリスは海洋大国として歩んでいくことになりました。

イギリスの興隆を支えたエリザベス1世の死後は、彼女に世継ぎがいなかったためスコットランドからジェームズ1世が迎えられました。

ジェームズ1世

ジェームズ1世

彼は国王の権力は神から与えられた絶対的なものだとする考え(王権神授説)を唱えました。
ですが、イギリス(イングランド)は議会の力が強く、王に絶対的な権力を与えることにアレルギー反応を示します。ジョンのように好き勝手されてま困りますからね。

続くチャールズ1世も王権神授説を唱えました。

チャールズ1世

チャールズ1世

ここで議会は不満のピークに達し、国王を排除する革命が起こりました(ピューリタン革命)。
この革命の指導者はクロムウェルです。

クロムウェル


クロムウェル

彼は鉄騎隊という、名前のかっこいい騎馬隊を編成して革命を進めていきました。
最後には国王チャールズ1世を処刑し革命が完了しました。
国のトップである国王の処刑ですからね。。今の常識で考えるととんでもないことのように思いますが、そこまで民が苦しめられていたとも考えられます。

国王なき後のイギリスはこれで伝統の議会中心に政治が回るかと思いきやクロムウェルの独裁が始まりました。これでは、勝手やる人が国王からクロムウェルに代わっただけで何も嬉しくないですね。
結局、王のいない政治もダメだと判断され、彼の死後は再び王政に戻りました(王政復古)。

ちなみに、クロムウェルの遺体は死後バラバラにされ、今でも首がクロムウェルの出身校で埋葬されているようです。彼のデスマスクもネットで見ることが出来ます。

再び王政になったイギリスですが、二代続いて議会を無視して勝手な動きをしました。
そこで議会は、今度は王を処刑せずイギリスから追放し、新たな王をオランダから招待することで混乱を治めました。ピューリタン革命とは違い、一滴の血も流れなかったことから名誉革命と呼ばれています。
これによって、議会政治を中心とするイギリスの立憲政治が確立しました。

ここで気になるのが、イギリスの王様にオランダ王を選任したことです。イギリスとオランダは、海洋国のライバル同士で戦争を起こしたりもしていました。仲がいいとは言えません。

イギリス=オランダ戦争


実は、フランスの生まれた絶対王政の化身であるルイ14世に対抗するために協力したのですね。ルイ14世はフランスを拡大しようと侵略戦争を繰り返し、ヨーロッパを荒らしていました。

次回は、そんなフランスの様子について解説していきます。

最後までご覧いただきありがとうございました!



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