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自然は「みんなで」守るのが自然な形


2月23日からの3日間、普段一緒に活動している友部コモンズのメンバーや大学の仲間と「コモン」という概念や環境課題解決への取り組み方について学んできた。
(たびたび「コモン」という表現をするかもしれないが、「お金にはならないけど大切なもの」というイメージで読んでいけば問題ないと思う。)   

2/23(金)コモンフォレストジャパンのシンポジウム
2/24(土)高尾の森の手入れ
2/25(日)笠間を生物多様性豊かな地域にするためのフィールドツアー

コモンフォレストジャパンというのは、森を「コモン」と捉えて共同管理している団体。
シンポジウムで、多くの人が関わって「コモン」を管理していく重要性を感じ、24日には実際に森の手入れをし、25日には自分たちの活動拠点の茨城県笠間市で、生物多様性の専門家の坂田さんと地域の環境団体や住民の方などをお呼びして勉強会を開いていた。
コモンフォレストジャパン (canva.site)


今回森に絡めて話を聞き、体験をしてきて、移動中などに仲間たちと対話をし続けた。そんな中で、今ある社会の不自然さを実感し、なぜコモンフォレストジャパンが森を扱い、「森を共有財産としてみんなで共同管理」しようとしているのかが見えてきた。そして、実際に森を管理するならそれが一番自然な形のように思えた。

根を張ろうとしているドングリ@笠間市の森



不自然な社会

社会の不自然さというのは、「森の所有者は、土地を守るための税金を負担し、土地を守る責任を追っている一方で、森の恩恵を受けているのは私たちみんなであるということ」だ。

森の所有者は多額の固定資産税を、相続した人は相続税を払わなければならない。そのことについて、
「土地の所有者なのだから当たり前なんじゃない?」
「だったらとっとと売ればいいじゃない」
と思う人が多いのではないか?
自分もその感覚(=今のあたりまえ)に慣れていたことに気づいた。

一方で現代は、森から材や薪、食糧といったものを取って使う価値を見出す人も、お金にならない森林を生業として管理しようとする人も減り続けている。今の社会では、森から採れるものの使用価値も、商品としての金銭的価値も感じにくくなっているのだと思う。それなのに一部の人が負担と責任を負っている。

しかし、そんな森を買い取る人もいる。森は現状のまま残していてもお金にならない。だからこそ買ってくれる人の多くは、何かしら手を入れてお金を得るための投資として土地代(+税金)を払う。
そうして売られた森が、住宅地やソーラーパネルになっていくこともあると聞く。実際、「森」や森ではないけど「耕作放棄地」に並んでいるのを見ることが多いソーラーパネル。
そのことに関して、森や田舎の景観が好きな人たち、森の大切さを聞いたことがあって守りたいと思う人たちは「なぜ森を売るのか?」と疑問に思い、森を守るため、開発する企業を批判する。

一方で
「森を守ることで得られる食や環境、防災、景観といった恩恵を享受しようとしているのは誰だろうか?森を守ることで救われるのは誰なのか?」
それは自分たち自身と、これから生まれてくる次世代の子たち。

生物の環境を守っていくために、気候変動を抑制するために...
そんな風に社会や地球のためを思って「森を守るべきだ」と主張してきただけの自分がいた。それもただ声を上げるだけで社会が変わっていくと思ってきたような…

(ここら辺は聞いただけの話だが、)生物多様性豊かな森は、生き物たちへの食と住を作り出し、森の恩恵を受けた生き物たち自身が生物多様性豊かな森を作るピースでもある。森の植物と動物たちは、食って食われるような関係で深く密接に関わり合っているのだろう。

そして、生物多様性豊かな森は、これまで豊かな食や生きるためのものを人間に供給してきたのだと思う。それは過去の話などではなく、今現在も、森から「水」や、川を通して「森からの栄養」を「流域の植物や海の生き物といった食料」として得ている。いくら養殖をできるようになったからと言って、また植物工場のように野菜が育てられるようになったからと言って、水や豊かな肥料・養分などがなければ食べ物を作れないのはこれから先も変わらない。人間が錬金術によって、ゼロから元素を生成できるようにならない限りは。

くどくど説明してしまったけど、森の大切さを感覚的にでも知っているから、森を守ることが大切だと認識している人は多いのだと思う。けれど自然の創り出す恵みの恩恵を受けていて、他人事のように自然を壊す人たちを批判しているだけでは何も変わらないのだと感じた。

「いま森を守っているのは誰なのか?」
「これから森を守っていくのは誰なのか?」

今は気づいた人たちや、林業を引き継がなければと感じているほんの一部の人たちが、負担と責任を負いながら守っているのだと思う。
これからは自分たちが少しずつ手をかけて守っていきたいと自分は思う。

この3日間で、今は不自然な状態である社会・自分に気づくことができた。


森はみんなで管理するもの

そんな、不自然な社会に対して「森はコモンだ」と言っているのがコモンフォレストジャパンだった。「コモン」を今の自分なりの言葉で表現すると、「意思決定の権利も、管理するための知識負担も、そこから得る価値も、コモンに関わる全てみんなで共有するものというのがしっくりきている。

薪を取るための広葉樹林が減り、お金になる材を育てて利用するためだけの林になったのは高度経済成長期のあたりから。それまでは森を利用するのではなく、恵みを受け続けられるように自然な形で管理してきた。そんな大衆的だったらしい文化は、悲しいことに今の自分には想像できない。

また、24日、高尾の森の手入れでとても印象的だった姿があった。

それは大人たちが手入れをしているそばで
ずーっと笑顔で遊び続ける幼稚園児

コモンズ農園での、農作業の時もそう。子供たちは気まぐれに手伝い、飽きたら自由に遊びまわっている。森が身近な場所だったころは、森の中でのびのびと育っていた子供たちの姿が想像できる。そうやって遊びの中で自然に、森や生態系を体感として感じ取っていくから、昔の人は誰でも森の手入れができたのではないかとも想像できる。


森が本来は「コモン」であって、今の状況では一部の人だけが大きな負担と責任を感じている。ならば生業としないにしても自分自身で、「現在の森はどんな状態で、どんな手入れを必要としているのか」がわかるようになっていきたいと感じた。
それによって、少しでも生き物が住みたい森を作り出せる一員になっていったらとても嬉しいだろうから。

笠間市の森の手入れ

2月25日のフィールドツアーで専門家に見てもらった、友部コモンズが市から借りている森。
どう手を入れていけばよいかが見え始め、今はまだ無知に等しい自分たちにもできるような気がしてきた。
まずはそこの手入れに関わって試行錯誤をし、生態系の変化を体感することで、森について知りたいと感じている。そして何よりも、自然が好きだから、共同作業が楽しいと知っているからこそ関わりたいと思う。


2月27日 森の手入れ 



実は一昨日(2月27日)、急に一人でも始めようと思い立ち、仲間たちに声をかけて手入れをしていた。また、友部コモンズのメンバーとこれからどう手入れをしていくのかを詰めているところでもある。

近いうちに告知も出ると思うので、自然に触れたかったり、森が大切だと感じたりする人がいれば、是非一緒に関わって頂けたらなと思っています。


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