【連続小説】初恋の痛みが消えないまま俺はまた恋をする第2話-春、始業式〜瑞穂①

 最悪な気分だった。
県境を2つ越えて引っ越してきて1週間。そして初登校の朝。
 私立如月中学校の編入試験に合格し、成績順で決まるクラス分けのために校内統一の実力テストを前学年1年分受ける間に春休みが終わった。引っ越しの後片付けと試験しかこなしていない春休みが終わって、土地勘も知り合いも皆無の状況で…
 自転車で人を轢いてしまった。
 下り坂で速度調整のために握ったブレーキレバー。握力の限り握り込んだレバーには、制動時に挟み込むタイヤの厚みが全く感じられなかった。
 ブレーキが効かない!ヤバい!
 とりあえず「危ない」と声には出したが、気づいてもらうより先に、前カゴが歩行者のリュックにめり込んでいた。そして相手は吹っ飛んで行った。
 どうやら同じ如月中学校の制服を着ている男子生徒のようだ。
 友達もいない状況。新生活の中心となる場所で、同じ学校の生徒を豪快に自転車で突き飛ばす状況。
 終わった…
 彼女は口元に手を当てて目まぐるしく脳内で回転する感情に振り回されていた。
 ようやく振り絞った一言は「ごめんなさい」
 いや、ごめんなさいじゃないわ…怪我させてたらどうしよう。大丈夫かな?また色々な感情が頭を駆け巡る。
 振り返る男子生徒。長い前髪の隙間から覗く切れ長の目が自分を睨みつけていた。
「ごめんで済むかよ」男子生徒の低い声がチクリと刺さる。
 起き上がった男子生徒が制服のホコリをはたきながら体をこちらに向けた。
「怪我したらどうする?一体何なんだよ、お前」静かな問いかけ。感情の起伏が感じられない冷たい物言いに、彼女…福原瑞穂(ふくはら みずほ)の全身は固まってしまう。
「怪我は…ない?……ですか?」
 何台も車が通り過ぎる間にようやく絞り出した一言。
 男子生徒の目線は冷たいまま。
「怪我はない…ちょっと自転車見せろ」
 つぶやいて瑞穂の前にひざまずく。
 引っ越しの後で購入したスポーツタイプの折りたたみ小径車に前カゴを取り付けた、新生活の相棒を男子生徒が観察し始めた。
「ブレーキ…一回外したんだろうけど、ちゃんと固定できてないぞ」
 スポーツタイプの自転車はタイヤの取り外しがレバーひとつでできるようになっていて、その際にタイヤが引っかからないようブレーキを外すこともできる。
 どうやらタイヤを戻した時に、ブレーキをタイヤのリムに噛み込むように直せていなかったようだ。
 購入時に説明は受けていたが、まさかこんな事故を起こすなんて…
「自分の乗り物くらい、ちゃんと理解して点検してから乗れ…ちょっと降りろ」
 ごもっともです。瑞穂は男子生徒に促されるまま自転車から降りる。
 ブレーキを所定の場所、本来の形に戻して、男子生徒は、ブレーキの効きを調整し始める。
 気がつけばリュックから手袋を出して、外れてしまったチェーンをはめ込んで動作もチェックしている。
「工具はいらないな…これで後は大丈夫か」
 独り言を言いながら、素早く自転車を安全な状態に導いていき、瑞穂はその姿をポカンとした顔つきで見つめるしかなかった。
 何…この人?轢いた相手に対する言葉ではない。
「俺は怪我はしてないし訴えるつもりもないけど、運が悪かったら人殺しだからな」
 男子生徒の目線が冷たい。
「ほら直ったぞ…今度は人じゃなくて、ハンドル切って車にぶつかれ」
 男子生徒の声は低い。
「車にぶつかってくれれば人を傷つけずに済むし、馬鹿が一人この世からいなくなってみんな幸せだ」
 いやいや車の運転手は不幸だよ!そんなツッコミが頭に浮かんだものの、遅れて怒りがこみ上げる。
「それ…私に死ねって言ってるの?」
 自分が悪いものの、相手の物言いにはさすがに腹が立つ。
「馬鹿は死んだほうが世のためだ」
 自分の怒りなど全く意に介することもなく言い放ち、男子生徒は振り返る。そして無言で通学路を歩き始めた。
 その背中に、「何よ、あんた!ああ、嫌な奴!!」自分のことは棚に上げて、瑞穂は大声を張り上げていた。
 腹が立つ、腹が立つ、腹が立つ…
 自転車で轢いてしまった申し訳無さも忘れて歩き出す。でも自転車は怖いから乗らずに押した。
 そしてたどり着いた学校。
 駐輪場に自転車を置いて教室に向かう。
 誰も知っている人のいない教室。
 全部で7クラスある成績順で決まる彼女のクラスは3年4組だった。
 その扉の向こうには知っている顔などいない。扉をくぐった先に、いるはずのない知っている人がいた。
 長髪の男子生徒の姿がそこにはあった。
 最悪の気分だった。
 瑞穂はため息を付いて席につくのだった。

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