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本文

文中に登場する人物や名称の事前情報として、本文の前に序文を読んでおくことを推奨します。






好きなバンドのメンバー脱退や解散をこれまで何度も経験した。
syrup16gの解散(後に再結成)、フジファブリック志村正彦の急逝、毛皮のマリーズの解散、椿屋四重奏のギタリスト加入と脱退、後の解散事後報告、psysalia psysalis psycheの解散事後報告、andymoriのドラマー交代と後年の解散。きちんと知った時には既にいなかったTHE YELLOW MONKEY(後に再結成)、ナンバーガール(後に再結成し再度解散)、SUPER CAR,THEE MICHELLE GUN ELEPHANT(のアベフトシ)、ピチカート・ファイブ、ボーカルが不在のフィッシュマンズ、初恋の嵐。他にも多数。
バンド以外だと、熱心なファンというわけではなかったが、Sexy Zoneのマリウス葉の不在は今でも少し寂しい。あの5人でこそだと思っていたから。
更に近年は、好きなバンドやミュージシャンが影響を受けたという方々の訃報が続いている。

出会いがあれば別れもある。唐突なもの、あらかじめ予定されていたもの、いつか来るだろうと想像していたもの。出会いも別れも色んな形で訪れて、その都度色んな受け止め方をしてきた。
今回書いたのは、私史上2番目に衝撃が大きかった出来事だ。どれくらいの衝撃かと言えば、何のプランもなく軽率にnoteに登録してこんな文章を書き始めてしまうくらいのそれだ。登録したことも、ここまで書いていることにも、未だに少し動揺している。


冒頭にリンクした序文は読んでいただけただろうか。書き直そうにも読み返すと悶絶するほど乱れた文章だと我ながら呆れる代物なのだが、どうかお読みいただきたい。
私が一体誰について書こうとしているのか、彼らが私にとってどんな存在か、踏まえた上でここから先を読んでくださると、より何かしら伝わるものがあるのではないかと期待します。











2023年9月8日18時、THE BOHEMIANSから千葉オライリー(と無法の世界)が脱退すること、11月3日のライブが最後のステージであることが発表された。








その瞬間、全てが自分にとって未知の感覚だった。何が起きたのか分からないまま時間だけが過ぎていく。どうしたらいいのか。頭が思考を放棄したとしか思えなかった。心も動くのを放棄したのか自分の気持ちが分からなかった。どうにか言葉にしたいがてんで分からない。noteに登録してから1週間、2週間と時が経ち、考えがまとまる気配はなかった。
ただ日々が過ぎるなら、その日々を書くくらいしかないだろう。全て終わってから、とりあえず書けることを書いてから、私の心の奥底を見つめることが叶えばいい。以下、時系列で書き記してゆく。



とその前に、序文を読んでいない方のために簡単な説明を。
THE BOHEMIANS(ザ ボヘミアンズ)とは。千葉オライリー(と無法の世界)とは。

平田ぱんだ[vo]、ビートりょう[gt]、星川ドントレットミーダウン[ba]、本間ドミノ[key]、千葉オライリー(と無法の世界)[dr] からなる5人組ロックンロールバンド。

Official Website BIOGRAPHYより

彼らの略歴。

2005年
vo平田ぱんだとgtビートりょうが山形県山形市で結成。
2006年
1st demoALBUM「ロックンロールショー」発表。key本間ドミノ加入
2007年
東京へ移住。ba星川ドントレットミーダウン、dr千葉オライリー(と無法の世界)加入。
2008年1st demo EP「ダーティでリバティーなスザンナお願いだから気持ちよくして」発表。dr千葉オライリー(と無法の世界)脱退。
drジンタ&THEミラクルズ加入。
2010年5月 1st ALBUM 「I WAS JAPANESE KINKS」発表。
drジンタ&THEミラクルズ脱退。
dr千葉オライリー(と無法の世界)再加入。
2011年5月29日 新宿紅布にて初ワンマンショー開催。8月 2nd ALBUM 「憧れられたい」発表。フォーライフ ミュージック エンターテイメントよりメジャーデビュー。

Official Website BIOGRAPHYより

以降ムッシュかまやつ氏とコラボしたり、レーベルを移籍したり、恋チュンを踊ったり、公式マスコットのツイッターが始動したり、故郷山形でのワンマンライブを成功させたり、平田ぱんだのウェブ連載が書籍化したり、遊園地でライブをしたり、ビートりょうがソロ活動を始めたり、2022年から本間ドミノが渋谷すばる氏のバンドメンバーとして参加したり、同年千葉オライリーが育休として休んだり、その間、茂木左(もぎひだり:the myeahnsドラマー。本間ドミノと共に渋谷すばる氏のバンドメンバーとしても活動中)がサポートとして参加するなどしていました。あぁもっと詳らかに語りたい。ラジオやポッドキャストの話も温泉の話もどんなMCがあったかも他にもたくさん語りたい。しかし我慢。全く持って本筋ではない。



要は脱退して再加入して、育休取得後復帰してその半年後に脱退する男と、所属するバンドにまつわる話です。



ここまで来て、なんぞややこしいなと思った方で更に序文を読んでいない方には、やっぱり序文を読んでいただいた方がこの先の読みやすさ理解しやすさに繋がるかと思うのですが、最低限の情報は上記で得られただろうし、無理強いはしません。
ではどうぞ。








2023/09/08


西日でアスファルトが蒸すような、夏の夕暮れのことだった。
先延ばしになっていた仕事の買い出しに、いよいよ行かなければならない期日が今日だった。百均に行くだけの用事なので、先週も先々週も機会はあったのに、残暑にうんざりしていたし、仕事のためと思うと腰が重かった。
そもそもこれは時間外労働ではないのか。仕事用の買い出しに時間外労働手当がつかないのは何故か。賃金の発生しない時間外労働ほど憎いものはこの世にない。許すまじ。
この頃すっかり夜の外出が平常になっていたが、残念ながら近所に遅くまで営業している百均はない。自宅から2キロ先に百均やゲームセンターを併設する複合型スーパーマーケットがあって、日が傾いてきた頃に散歩がてら歩いて向かった。
買い物をしていると鞄の中のスマホが揺れた。
会計を済ませ休憩スペースに腰をおろし、スマホの通知画面を確認する。大好きなバンドの名前が表示されていた。紙コップの自販機で買ったあたたかいカフェモカを一口飲んで、画面をタップした。

先ず、LINEの通知を確認した。続けてXの通知を。
どちらにも冒頭の内容を示す文章が表示されていた。

何が書かれているのかまるで飲み込めず、繰り返し文章を目でなぞってみても、一向に事態を理解出来なかった。

バンドのポストに対するリプライや友人知人のポストを見た。バンドの公式マスコット、ボグマ洋平の「すまねえ」という引用ポストも見た。延々と画面をタップした。スクロールした。どんどんタイムラインが流れていくだけで、何も理解出来なかった。何を考え何を思い何をしたらいいのか、全く分からなかった。

知らされた内容に対する言葉はまだ私の中に何もなかった。タイムラインや公式へのリプライには、「悲しい」「寂しい」「ありがとう」「謝らないで」といった文言が飛び交っていた。そうした言葉がまるで既にこのお知らせを受け入れて手を振っているように見え、自分の感情そっちのけで心底腹が立ってしまった。
今はまだいるのに何を言っているのか、と。全員が全員平気じゃないだろうけど、まるで平気みたいじゃないか、と。

春のお礼とずっと好きだということだけをリプライした。わずかでも別れを感じさせる言葉は選びたくなかったし選べなかった。
彼や彼らに対する私の気持ちと、私に出来ることと私がやりたいことは何かを改めて考えたが、いつだって彼らがしたいことをしたいようにやっているのが一番で、積極的に彼らのために何かしたいと思ったり自分の気持ちを伝えたいと思ったことは一度もなかった。新しく思いつくこともなかった。

私が好きなTHE BOHEMIANSはドラムが千葉オライリーであることが必須である。勿論他のメンバーも同じく。彼が昨年の休暇を経て、今年の春戻ってきてくれたこと、そこからのライブがいつも最高に楽しかったことに歓びと感謝を感じている。
この時はそれしか出てこなかった。



スーパーを出ると、すっかり日は暮れて、暑さの名残も消え去っていた。
涙が出るわけでもなく頭が真っ白になるわけでもなく、きちんと信号を守り自転車や自動車にぶつかることもなく、少しだけ遠回りをして帰った。夕食は喉を通ったし、夜は普通に眠った。
傍から見たら何もおかしなところはなかっただろう。何も変わった様子はなかっただろう。
私の世界は大きく変わってしまったのに。想像していた未来は今にも欠けようとしているのに。
心は乱しながら取り乱さない自分に落胆していた。そんな風に自分について考えていることにも落胆した。



9/9〜9/15


翌日はいつも通り働いていた。
目が覚めて、休む言い訳をたくさん考えながら、このままでは行けなくなってしまうといつもより早く家を出た。とてもまともに働けないと俯いていたのに、出勤して同僚に会った途端、いつもと変わらない声で挨拶をしていた。

大好きな彼らに関することを原因として仕事に支障をきたしたり他人に迷惑をかけることは避けたい。以前からそう考えていたので当然と言えば当然だった。社会人としての見栄もあった。
それに、仕事とプライベートはすっぱり分けているのだ。猛然と働いていれば気が紛れるかもしれないとも思っていた。

人と話したり共同で仕事に取り組んでいる時は良かった。一人きりで黙々と仕事にあたっていると、動きが鈍くなり心は重く溜息が出た。

夜になると悲しくなり、毎晩声を出さずにめそめそ泣いた。1週間続いた。枕を濡らすという慣用句はどういう情景なのか。あまり実感のない言葉だったが、拭う気力もなくじわじわ枕に涙を滲ませ体現しながら、なるほどこういうことなんだなと冷静に考える自分がいた。

9日の朝から、Xに千葉オライリーの好きなところをポストし、ツリーを作り始めた。
悪気はあった。
恨みつらみの感情よりも、大好きな彼らの大好きなところについて考えていたかった。それはあくまで発端で、連投の理由は別にあった。ボヘミアンズや千葉オライリーのことを、毎日のようにポストを見た人に考えていてほしかったし、好きなところを思い浮かべてほしかったし、たくさんあるはずの楽しい思い出を振り返ってほしかった。

そして少し後悔すればいいと思った。

あの時逃さず買えばよかった、もっとライブに行けばよかった、なんて風に。楽しかったこともそうじゃなかったことも沢山思い出して、そんな思い出がこれから先増えないことに悲しめばいい。

傷付けばいいのだ。
ファンも、千葉オライリー本人も。

よく言うではないか。いつか治る傷だとしても、跡が消えるまでは忘れないはずだ。多くの人が知らなくても、忘れてしまっても、誰かの記憶にある内は、それは確かに存在するのだ。

9日深夜、ボグマ洋平のブログが更新された。通知に気がついてからたっぷり間を置いて、翌日になってやっと読んだ。

↑一応貼っておきますが、ボグマのブログは基本的に長いです。そしてこの回も例外ではありません。長年の読者としては慣れたものですが、どれだけ長文か、開いてすぐ右にあるスクロールバーのサイズを確認してみてください。読むかどうかはお任せします。

15日に、Xにポストを続けていた千葉オライリーの好きなところが50個を超えた。ちまちまと続けていくはずが、気持ちが昂ぶって記憶が溢れ止められず、一週間と持たなかった。これ以上は惨めったらしくなりそうだ、悪口まで書きそうだ、と思い終わりにした。





9/16~9/22


16日、朝から体調が芳しくなかった。胃がせり上がる感覚は久しぶりだった。二度吐いて、後は寝て過ごした。日が暮れて、やっと身体が動くようになると、汚した床や壁を掃除した。これは件のことは関係なく、直前に仕事で不慣れなことがあり、そのストレスだったのではないかと思う。
ただ、一層気持ちは沈んでいた。

翌日から、眠れなくなった。

16日の夜、昼間ずっと横になっていたせいか全く眠れなかった。さらに翌日の夜も全く眠くならず、1時間も眠れたかどうかで出勤した。何の問題もなく仕事を終え、夜になるとやはり眠れない。眠くならない。毎日5〜7時間は眠る生活をしていたはずだが。

寝付きの悪いことは度々あって、寝る前に好きな香りのハンドクリームを塗ったり、昨年から眠れない時は決まってYoutubeで何かしらの音声を聴いたりして睡眠導入を図っていたのだけど、好きな香りをまとっても、何を聴いても、無音でも、眠くならなかった。
一睡もしない日もあれば2時間か3時間は眠った日もあった。
昼間はもちろん眠くないので、仕事に支障が出ることもなかった。
もう枕を濡らしはしていなかったけれど、さすがにこれは件のストレスじゃないかと思う。他に原因がない。
眠れないと色んなことを考えてしまう。この頃の何日だったか、noteに登録した。




9/23〜9/29


24日はライブがあった。盟友、旧敵、ズッ友…適切な呼び名が分からないが兎も角古い付き合いのバンド、Magic,Drums&Loveの企画する対バンイベント。チケットはソールドアウト。先行抽選がなく購入順のチケットだったので、血眼で発売時刻に備えた記憶がある。一瞬あくびをして出遅れたが、それでも前から2列めの、ステージ全体が分かる位置で見ることが出来た。大好きなバンド同士の対バンという思い入れの強いライブだったので、感想は省略する。出来れば別の機会に長々と書き記したい。

27日頃、身体に限界が来たのか、急に朝晩涼しくなって寝苦しさがなくなったせいか、スコンと寝落ちるようになった。翌週には生活リズムが通常に戻るのだが、この頃はおやすみ3秒を体現していた。

7月クールのTV番組がどれも最終回を迎えるシーズンだった。毎期のように新しいドラマやアニメなどが始まれば1話か2話まで録画してチェックするのが慣習だった。そして4,5本は毎週録画かサブスクで逃さず見るようにしていた。決してTV好きというわけではないのだが、最近の流行りの顔を知るため、気になる役者や脚本家の知らない演技や作品を見るため、職場での会話に使えそう、などといった理由で見ている。
気付けば幾つも見逃して、録画が何本も溜まっていた。そうなっていたことにやっと気が付いた。気が付いたところで見る気になれず、放置した。
来季のドラマで気になっていた作品がどの局で放送日はいつなのかも頭に入ってこなかった。ところで夏目友人帳のアニメは制作発表だけで放送時期は未定なんですか?確か7月に最初の告知があったと思ったんですが。
閑話休題。

この頃だったか、ピチカート・ファイヴのハッピーサッドやThe MuffsのSad Tomorrowなどが日々の脳内BGMになっていた。




9/30〜10/6

折角衣替えをし羽毛布団も出したもいうのに暑さがぶり返してきた、ということ以外たいして記憶がない。眠れるようになっていたせいもある。





10/7〜10/13

9日は平田ぱんだが出演する弾き語りイベントがあり、元々チケットをとっていたので遊びに行った。とある曲で、5人という歌詞をその日の出演者に準えて4人と変えて歌っていた。5人から4人になるバンドのボーカルがいきなり何を歌い出すのだと、彼の狙いに思い至らなくてショックを受け、表情が消えていた。それは10年以上聴きたくてたまらなかった曲だったのに。
一瞬のこととはいえ、表情が見えていたかもしれない。平田ぱんだ氏には申し訳ないと思っている。彼は何も悪くない。釈明させてほしい。そのタイミング以外全て、私は幸せだったのだから。イベントはとても楽しかったし、どの出演者も好きだし、毎年、何なら年に何回かやってほしいと思うような時間だった。

ただ、同じようにショックを受けてしまった人は他にもいて、帰り道一緒になった友人達とその話をした。そしてすぐに件の話題に移り、駅の改札前まできても話は尽きず、人混みの中だからどんどん喋り声は大きくなり、文句やつらい気持ちを公然と言いふらしたようなものだった。かといって、誰一人として振り返ったり立ち止まることはない。過ぎ去る彼らにとっては知らないことで、重要なことでも興味のあることでもないのだ。
私も友人も、悲しい気持ちや文句やその他色々をSNSでは呟けずにいた。公然とネガティブな発言をする友人は他にもいなかったし、友人やフォローしている誰かのタイムラインをネガティブな言葉で埋めたりこんな気持ちを共有するのは気が引けたからだ。やっとこの日初めて声に出した。言い合った。そんなふうに少しでも分かち合えたのは、当時の私をいくらか救っただろう。

13日にもライブがあった。今をときめく新星ロックンロールバンド、サバシスターとの対バン。ジャージという曲のMVがYouTubeのおすすめに出てきて見ていたし、去年と今年とあちこちで名前を見かけていた。ギターボーカルのなち氏がTHE BOHEMIANSのファンだというのは知っていたので、いよいよ対バンか、という感じだった。ちなみにライブハウスの企画で対バン相手の提案をしたのはTHE BOHEMIANS側である。
この日は休みの調整が出来ず、どうせ仕事になるだろうとチケットの先行抽選には申し込んでいなかったのだが、いざシフトを見てみたら休日になったので一般発売のチケットを取って行くことにした。

サバシスターのお客さんが多く、対バン特有の雰囲気の中でライブをする彼らが見られて嬉しかった。何よりも、初見のお客さん達が彼らのロックンロールにしてやられて盛り上がっている様に興奮した。
これが私の見たいもの!THE BOHEMIANSが繰り広げる”楽しい”に知らない人まで巻き込んでいく光景!幸せが拡大していく!宇宙が明るくなっていく!

まさしく私の大好きなTHE BOHEMIANSがそこにいた。



10/14〜10/20

17日に、序文を公開した。
9日に気持ちを打ち明け合って、行く予定ではなかった13日のライブに行って、どちらも大いに楽しんで、千葉オライリーがドラムを叩くライブはあと2本。一向に書き進められない本文を前に気が急いていた。最初に書いていた文章を序文と本文に分け、まとまらない気持ちをまとまらない文章のまま公開した。Xに千葉オライリーの好きなところを連投した時と同じく、悪意はあった。
当事者たちに読んでほしいとは思っていないが、もし読まれたら読まれたで、ほらこんなにも惜しくて惜しくて仕方がないんだぞざまあみやがれ、と思っていた。

他には、週末に大仕事がありその準備諸々で忙しかった。



10/21〜10/27

21日に大仕事が終わると、すぐに切り替えて22日のライブへ。10月22日と11月3日は、the myeahns主催のツーマンツアーなのだ。この2本で千葉オライリーはTHE BOHEMIANSのドラマーとしての活動を終える。年明けには決まっていた企画で、千葉オライリーの日程は後から決まったことだ。
THE BOHEMIANSは相変わらず楽しいライブをやっていたが、the myeahnsのボーカル逸見(へんみ)さんは気を遣ってか千葉オライリーの話題に触れ、それで涙する友人達が少なくなかった。私は泣かなかったけれど、今後直近でTHE BOHEMIANSのサポートを務めてくれる茂木左の姿を視界に入れることが出来なかった。ライブそのものはとても楽しかった。

残すはあと1本。緊張するかと思っていたけれど逆に少し気が抜けた。本文をこの時系列とすることに決め、少しずつ書き進めていた。

参考になればとnoteに他の方が公開している様々な推しに関する文章を幾つか拝読した。

すぐに出てくる記事の多くはTVでよく見るアイドルグループや歌手、ボーカル&ダンスグループ、役者などだった。羨ましかった。名前を出せば多くの人が顔を知っている。何かしら携わった作品を知っている。個人の名前を知らなくてもグループ名は知っていたりする。羨ましかった。
序文として先に公開したものは、自分にとってのTHE BOHEMIANSの魅力や好きになった経緯を知ってもらうための文章でもあるが、そもそも彼らを知らないであろう方への基本情報としての役割もあった。
それが無くても問題なく読み手が困らない文章を書けることが羨ましくて仕方なかった。


10/28〜11/3


この記事の7割は28日以降に書いた。
その日を過ぎなければ冷静に己を俯瞰するのは難しい。ありがたいことに、時間は誰に対しても等しく過ぎる。現時刻は11月2日、23時をまわっている。
いよいよ明日、千葉オライリーがドラムを叩く最後のライブだ。まだ現実味がない。言ってしまえば9月8日からずっとそんなものはない。

発表があって間もなく、私はXにこんなポストをした。サークル限定公開で。

※ポストを表示するアカウントを指定出来るサークル機能は11月から終了している

当時、落ち込んで悲しんで沈んでいる友人達の幾らかがライブに来なくなってしまうことを危惧していた。THE BOHEMIANSのライブフロアはいつだってお客さんに埋め尽くされていてほしかった。腹立ちまぎれでも何でも良いから来られる人には出来るだけ来てほしかった。
泣き顔よりも笑顔で楽しいライブにしたかった。いつも通りの楽しいライブをやってくれると思っていたので、皆にも悲しまずに楽しんでほしいと思っていた。
それだけではない。思い知らせてやるという気持ちは本心だが、千葉オライリーにとって最後の何本かのライブがどれもたくさんのお客さんの笑顔に溢れた楽しい景色であってほしかったのだ。ボヘミアンズに関する彼の思い出の締めくくりが、よいものばかりになりますように。そういう想いも込めていた。

エゴだった。自分勝手だった。他人の気持ちや行動をどうにか出来る訳がないのに。制御しようとしていい訳がないのに。
図々しく失礼なことだと分かっていた。それでもなんとか、全て打ち明けてしまえばあからさまに気持ちを強いることになりかねないと言葉を留めた程度の理性は残っていた。
言葉は既にこぼしてしまったけれど、私の気持ちに誰も巻き込まないように。せめて想いに、願いに、祈りに留まるように。



11月3日、これを書いている。ライブはこれから。
春からずっと彼らが名乗り続けていた、パーフェクトボヘミアンズの最終日だ。今のところ、清々しい秋晴れに心も穏やかだ。
今日は千葉オライリーの門出となる。









決めた通り、日にちを追って書いてみた。書き終えてなお私の気持ちはまるで定かではない。
穏やかなのもライブが楽しみなのも、現実味がないからだろう。何故なら現時点でTHE BOHEMIANSのドラマーはまだ千葉オライリーだからだ。

そもそも、どうしたいとか、何を思うとか、だいぶ前から全て後まわしにすると決めていた。下記のように。

ライブは楽しみだ。彼らのことは変わらず好きだ。
けれど落ち込んでいるし、つらいし、寂しいし、悲しいし、恨めしいし、嫌で嫌で仕方がない。9月8日からずっとそうだ。今は、自分の状態がそうであることを受け入れているだけである。Xを眺めていると、ボグマ洋平が頼もしかったし、ブログを読んだ方にはその心強さが分かると思う。他にも、ファンや友人達のポストを見ていると、私は後でもいいや、という気持ちになった。


バンドはこれからも続いていく。
THE BOHEMIANSを好きな私の人生も続いていく。
終わりではない。よってこの話に結論はない。












少々横道にそれた話を書きたいし、後から補足したほうがよかったことなど出てくると思うので、後日公開するあとがきに続きます。最後まで読んでいただきありがとうございました。


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