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はんゆなworldへようこそ!

はーーー
脳みそ興奮中です。
とりあえず言語化しないと、爆発しちゃう!!

私なにがしたいんだろう。
をぐるぐる考えていて。
やっぱり言葉は武器にしていきたい。
とは思うから、
まずは最近の脳みそを文字にしてみよーっと。

そもそもエシカルエキスポに関わり出したのと同じタイミングで
freedom ramenを卒業したんです。

freedom ramen離れたワケ

なぜかって、
私は、当事者でない人に知るきっかけを与える人でありたい。
だがしかし、活動していく中で
その層を動かすことの難しさをひしひしと感じた。

私には見えなくなった。
果たして私は、どこの層にどんなアプローチをしていきたいのだろうか。

もともと私の興味関心の幅は広くて
(ざっと挙げると、ジェンダー・ハンディキャップ・アイデンティティーなどなど。いわゆるマイノリティな分野)
ずっと食やイスラム教に焦点を当てていたいとは考えていなかったから、
今何も見えていない、小さな分野で頭を抱えるより、
もっと広い世界を知って包括的なアプローチを考えていく必要がある
と感じた。
※特に日本には宗教観がないことや、排他的な文化があるから全くの異文化を広げていくことはすごくハードルが高いと感じた。

どの層に何をしたいんだろうなー

マイノリティ分野ということは必ずマジョリティがいるわけで。
私が見えるマイノリティは格差に埋もれ、
声が届きにくい状況にあると思う。
(世の中のマイノリティはすべて不利益を被っているかはわかんない!)

いや、待てよ。
私の思考がごっちゃになってる。

ムスリムは格差に埋もれているのか?
私は人々の知識の乏しさが原因で偏見を持たれたり、今日本で共に生きる存在なのに、とてつもなく遠い存在かのように捉えられていることが悲しい。

「知らない」という言葉の意味間違えていたんだ
知らない人のこといつの間にか「嫌い」と言っていたよ
何も知らずに知ろうともしなかった人のこと
どうして「嫌い」なんて言ったのだろう
流されていたんだ

SEKAI NO OWARI  "プレゼント”より

ここなんだよな
私の根源って。根源?わかんないけど笑
小6の合唱コンクールで歌った曲
過去を振り返って、小6の私に
この曲がぶっ刺さった要因を絞り出すとしたら、
私の小学校の環境だと思う。

※詳しくはこの記事の
第2章”知るきっかけを与えたい”をお読みください笑

今ざっくり2種類見えた

私の思考整理タイム

①マイノリティが存在していること自体気づかれていない
②マジョリティがマイノリティの存在を認識している

でもこの2つはグラデーションになっていて、
完全に知らない。全く何の知識もないってところは違うのかも

いや、ちょっと違うな。
x軸はマイノリティの存在の認知度
y軸は当事者になりうる者の大きさ
かな。
うーーむ、誤った情報の拡散度とかもz軸とかで現れそう笑

脳内図解ver.

はんゆなワールドでは、
①は、ヴィーガンかな
イスラム教なんかも同じ位置感かも
嘘でした。イスラム教徒になりうる可能性はそんなに広くないから②かな

正しい知識を持たない人々が、
潜在的に一部の過激派のイメージを植え付けられているイメージ

①の難しい要因は、無意識のうちに偏見が生まれていて、
その分野の情報を素直に受け取れなくなること
そもそも情報をシャットアウトしてしまう
1度形成されたイメージを正すことは果てしなく難しい。。

③は、ジェンダーの分野だと思う
社会全体が当事者で二項対立的な構造になっている

③が難しい要因は、社会全体が当事者だということ
マイノリティ側(この場合女性)が社会の構造に声を上げるとき、
その矛先は、今までマジョリティを占めていた男性になると思うの。
マイノリティ側が社会に対して”怒り”のエネルギーが強ければ強いほど
マジョリティ側にいる男性、そこには目の前にいるあなたも含まれるから
対立が生まれてしまうのよねぇ

不平等な格差は
マジョリティ側が無意識のうちに生み出してしまうものだと思うから。

フラットな架け橋になりたいなぁ

無意識の意識から感情が生まれ
自分を守ろうとしてしまうのだと思う。
いかに静かに歩みより、抵抗感・拒絶・バリアを生まずに
論理的に唱えられるかがカギなのかな。

特定の分野に絞れていないことに
コンプレックスを感じていた時期もあったけど
このままでいいや。

私自身が偏見まみれのモンスターだからこそ、
どういったところが抵抗感・拒絶・バリアを生んでしまうのか
そこを考えられる気がする。
これはfreedom ramenにいるときも感じて、
当事者ではない私のポジションって溝を感じさせにくいから
届けやすい

これから何しようか。

まずは感情ベースで行動するのではなく
歴史や不利益な格差を生んでいる社会構造を学んでいきたい。
もう一つは、人間の感情
何が拒絶を生むのか
すーっと人の魂に語りかけるにはどうしたらよいのか
(いやー、私も頑固だから反論したくなっちゃうんだけど)
この辺りかな。

と同時進行で
未知との発見を続けたい。

知らないことは怖いこと、
無意識の意識には実際の体験や対話の中で
圧倒的な違和感を感じることでしか気づくことができないということ
この2つを捉えており、未知への発見にわくわくできる
そんな私だからできることだと思うんだ。

これを続けた先に
私がフラットな架け橋である未来が、
社会が対立するのではなく、
自分と違った立場・背景を持つ他人のことを想える
そんな未来がくれば素敵だと思う。

やっぱり弟子でありたいカモ

私はまだ、私より少し視座の高い人の側にいた方が良い気がする
その先に何があるのかは分からないけど、

きっとあの好奇心MAXの子供のような期間は
すごく必要だと思う。

というか、
そこが心地よくて、
今後もそんな人でありたくて

そのために私はそれを続けられる環境が必要

人との対話は必要なんだけど、
それは今後も続けていくんだけど。

自分は、はんゆなworldという球の核にいるんだ。

こんなイメージ

対話の目的は、
私の中の圧倒的な違和感に出会うこと
はんゆなworldの球を大きくしていくこと

私が見える世界、想いを巡らすことのできる範囲は
私が知っている範囲でしかない。
そういう意味でいろんな人と対話して
はんゆなworldを拡張させていく必要があると思うんだ。

視座の高い人との対話の目的は
(対話じゃないかも、質問責め?笑)

私の好奇心を満たすため
私の向かいたいゴールに向かうため

はんゆなworldを大きくさせながらも
手探りでその球の進路を決めていくことは難しい。
時々球から飛び出てはんゆなworldを俯瞰して
正しい進路を進んでいるのか確認しなきゃいけないから。

私と同じベクトルで少し先を歩く人との対話だと、
私は球の核にいたままでゴールに向かっていくことができるイメージ
まあ、たまーに確認しなきゃだけどね!

私の人生今のとこ白紙になったからさ。
これからどんな絵が描かれていくのかわくわくだけど
やっぱり怖くなることもある。

常に”俯瞰”を頭に入れながら試行錯誤で進んでいくことは
無駄な恐怖のエネルギーを引き出してしまう気がした。
ここ1ヶ月を振り返ったときに。

そんなこんなで、私はまだ師匠が必要だなーって感じた

最後に

私が大事にしていきたいキーワードは、
調和/harmony

以上2024.01.24・25のはんゆなでした!

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