文系大学生による卒論完成までの経緯

大学4年生冬、今現在全くやることがなくなり後は卒業を待つだけである。暇なので卒論の備忘録でも書いてみることにした。
というのもつい先日あった卒論の試問で教授に文章をべた褒めされて調子に乗っているからである。
「○○さんは文章がとっても上手なのね。ゼミで二番目くらいには上手いの。読ませる文を書くんですよ。面白く読ませてもらいました」
こんなことを言われたもんだから、教授室から出た瞬間スキップで帰った。
(同時に「一番ではないよもっと上はいるから。一番じゃないけど」と念を押されてマスクの下で笑ってしまった。そんなに言わなくてもいいだろ)

ここまでハードルを挙げてしまったが、私の卒論は大分カスである。
何が教授のお眼鏡にかなったのか……。ただ普段怠惰極まれりの生活をしている割には、卒論は頑張った方だとは思う。
そういうわけで未来の大学四年生に参考になるか分からないが一応文章に残しておこうと思う。

ちなみに私は文学部であり、近現代文学専攻、漱石について卒論を書いた。私の大学は激ゆるだったため文学部なのに2万字以上でOKという素晴らしい規定だった。別の大学の友人は経済系で4万と言っていて可哀想だった。


春 テーマだけ決めた

怠惰極まれり学生のため、本気でやる気がなかった。なのでテーマはほぼ適当に決めた。
昔から中勘助の「銀の匙」をやりたいなあとぼんやり考えてはいた。
文章の雰囲気というか……曖昧な関係性が自分好みというか……。波瀾万丈なドラマチックな展開のものより、日々を淡々を生きていく中でささやかな出来事が起こる方が好きなのだ。(中学生のときに読んだのであまり内容は覚えてない)
しかしその話をしたら、教授との面談のとき普通に却下された。
仕方ないのでじゃあ師匠だし有名だし無難に夏目漱石にするか~と漱石にした。
「坊ちゃん」「こころ」「吾輩は猫である」くらいは読んだことがあったし、どうにかなるだろうという短絡的考えである。

漱石をやるなら、「こころ」の先生とKが気になっていたのでじゃあ「こころ」がいいです、と言ったら昔から散々論じられてるんだから違うのにしなさいと小言をもらいまた却下。
三角関係が気になるなら「それから」にすれば?と言われたのでじゃあもうそれでいいです、となった。教授の言いなりである。

そういう訳であれよあれよという間に私は漱石の「それから」について卒論を書くことになった。
当時は本気で「それから」に興味がなかったが、今考えるとこれが最前だったと思う。「銀の匙」はほぼエッセイなので書くことがマジでないのである。
私は最後も最後、水蜜桃のシーンがすごい好きだっただけで論は別に立たなかったので、ほんとうによかった。教授もそれが分かっていて却下したのだと思う。漱石はすごい。分かりやすいし資料も大分ある。ありがてえ~

とりあえず卒論概論提出が迫っていたので、文庫本を買って読んで論を立てることにした。
だが「それから」って進展がマジで遅いのだ。読むのにすごく苦労した。
代助(主人公)と三千代(ヒロイン)の章と代助と父の章が交互に来るのと、うっすら社会情勢が透けて見えるからこんがらがって訳分からなかった。

結局ネットでネタバレを見た。その中で「漱石ってなんで不倫をテーマにしたんだろう……」と思ったので、丁度いいやとこれをテーマにすることにした。次の面談でその話をしたら微妙な顔をされたが「それでいいならいいんじゃない」と言われ、そのまま卒論概論を適当にでっち上げ終了。

その後、ゼミで卒論の一部の発表課題があったため、適当に人物像を取り上げた。それを増やして第一章にして前期の期末課題として提出した。5000字くらいだったと思う。

夏 何もやらず

後期始まるまで何もやらなかった。既に2万字中6000字は完成しているので余裕ぶっこいてマジで手を着けなかった。参考文献も探さなかった。
友達と一週間くらい韓国に行って、母親と母親の友人と旅行行って、ライブ行って、社畜(バイト)していたら夏が終わった。
楽しかったので悔いなし^^

秋 まさかのテーマが既出

後期でまた卒論一部発表があったのでそれまでにやろう……と思ってやっとここで一章のあと何を書くか考え始めた。卒論提出の2、3ヶ月前である。
しかしここでめちゃくちゃに路頭に迷うはめになった。
なんとなぜ漱石が不倫を書いたのか、それに関する書籍が新刊で出てしまったのである。私が書きたいテーマとまるっきり同じ。
え?もうこれ答え出ちゃってんじゃん。私が論じることないじゃん。これ見たら解決じゃん。

ガチ詰みである。

にっちもさっちも行かなくなって、その本とほぼ同じことをゼミの発表で取り上げてしまった。だってどうしたらいいかわかんないんだもん。
案の定、教授に激詰めされ普通に叱られた。
剽窃ですよ!とゼミ生の前で言われ普通に恥ずかしくて死のうかと思った。
バカすぎる。マジで単位出ないかと思った。

うちの教授(というか大学)は生徒にアホみたいに優しいので、もう一回発表のチャンスをくれた。ありがとうございます。
ただ、締め切りは確か3週間後とかで、同時に卒論一章分提出の締め切り日でもあった。
3週間で発表分と卒論一章分を書かなくてはならなくなったのである。
(内容は同じでもよかったのかもしれないが、添削してもらえる最後のチャンスだったので敢えて違う章をやろうと決めていた。発表と合わせて四回くらいしか添削の機会がないという鬼畜仕様だったのだ)
ヤバいってマジで。
夏の自分、参考文献集めくらいやっとけよ!!

それからどうしたかあんまり覚えてない。
とりあえず「それから」を今度はきちんと読み直して、疑問点を見つけて、参考文献を出来るだけ読んだ。
ネットで見つからなくなったら、図書館で漱石に関するありったけの論文と注釈書を借りた。(普通逆かもしれない)
参考文献は、とにかく極端な論を書いてる人を引用するというちょっとリスキーな使い方をした。それに対して反対意見として論を述べる方法だ。
元の参考文献をこれでもかと本文から引用して叩きのめして、なんとか文字数を稼いだ。
発表分の論は、私がほぼ丸パクリした本をまたちゃんと読んで、本当にこの人と同じ意見なのかよくよく考えた。
その上で共感できる部分もあるけど、ちょっと違くないすかみたいな感じで論を立てたと思う。
本文読み返したり参考文献を読んでたら、結局章の内容をめちゃくちゃ変更することになった。

こう書くとものすごく一生懸命にやってる人みたいだが、3週間ずっと頑張れるならそもそもこんな切羽詰まったことしない。この間大阪に旅行行ってるし、サークルの本番もあった。
あと普通に3週間あるし余裕っしょと思って大分舐めた感じだったので、結局書き始めたのは提出2日前とかだった。バカすぎるって

今思い出してもこの2日間は地獄だった。
書いても書いても終わらない。書く言葉が思いつかない。
真夜中TWICE、IVE、IZ*ONE、NewJeans、fromis_9、NiziUとか聞きながらパソコンを打ち続けた。死ぬかと思った。
よく10,000字も書けたと思う。

荒みすぎ



結果、参考文献集めと本文読み返しで大まかな論たてるのにほぼ3週間使って、2日間で卒論一章分10,000字と発表分2000字書いた。

こうして何とか提出と発表には間に合った。これが12月初旬。

この時点で20000字中17,000字完了。ということでまた私は余裕ぶっこき始めた。
福岡にライブ遠征行って、またサークルの本番もあって、あとはバイトがケーキ屋なのでクリスマス年末年始バイト戦士をした。
まあ3000字、なんとかなるっしょ!

ならない、これが。

冬 爆焦り

結局再開したのは1月2日。
しかも最初の2日間は一、二章、三章第一部の旧字体直しや誤字直しをしていたので(提出後発覚したが、直しきってなかった)手つかずの三章第二部をやり始めたのは4日とか。
加えて、第二部では新しい本を登場させることにしていた。夏目漱石「門」である。
「それから」の続編ということで、「それから」のその後を論じるにあたり必要だったのだ。
それはいいのだが何が問題かって、この本を引用するのにまだ何も読んでいなかったのである。

提出1週間前なのに。

これほどギリギリの大学生はいるのだろうか?
よく提出できたと思う。
大学の図書館で借りた参考文献やら注釈書やらは延滞して(最悪)手元にあったのが不幸中の幸いといったところか。
しかもこんなに切羽詰まっているのに家にいるとやる気が出ないときた。
もう終わりだって人間としてマジで。

しかし、こんな私にも神はいた。サークルの友人たちである。
「卒論やるけど一緒に来ない?」
最高。持つべきものはあんたたちだよ。

「いや友達と卒論とか絶対はかどらないでしょ(笑)」
その気持ちは分かる。私も中高生のとき友達とサイゼやらで勉強したときがあったが普通に話して終わった。そんなもんである。
しかし今回は違う。みんな卒業が掛かっている。やるしかないのだ。

そういうわけで、私は友人の集まりに合流することにした。
さすがに友人と一緒にいて「門」は読めないので、それは家で読んで、大まかな構成を立ててから行った。

結論から言えば、とんでもなくはかどった。
途中話すこともあったが、私の友人は私以外軒並み優秀なので(大学の偏差値は私が一番低い)すぐ卒論に切り替えるので非常によかった。
話すのは気分転換にもなるし。

とはいえ卒論を全部書き終えたのは提出前日夜だった。さすがに終わらなくて泣くかと思った。
ここから参考文献を全部書いて注釈をつけるのだが、注釈のつけかたが分からず恥を忍んでゼミのグループにLINEしたりした。
ゼミ生私以外みんなもう製本も終わってて、マジでびっくりした。
そんなことある?卒論なんてギリギリでやるのがセオリーじゃねえのかよ。

終わったのは提出当日午前2時。お疲れ様でした!!
というわけにもいかない。
文学部だからなのか、印刷しないといけない。
オンラインで出させろよ……
なので朝ろくに眠りもせずセブンで60枚、がしゃこんがしゃこんコピーした。
しかしここで表紙のミスが発覚。
「令和5年度卒業論文」なのに普通に「令和6年卒業論文」と書いてたのだ。
あーもう
なのでまたセブンでコピーして、穴開けて、綴じて、完了!

今度こそ終わった。卒業論文終了である。

卒論が終わらなすぎて叫び、終わった瞬間代助を煽る私

えっちらおっちら大学に出しに行って、受領されて、一安心♪
と思って駅に向ってる途中、はたと気づいた。

あれ、私もしかして目次のページ書いてなくない?

教授に口酸っぱく体裁のことを言われていたのにも関わらず、である。
ざっと血の気が引いた。
でももう提出しちゃったし……
今からやっぱり返して下さいはまずいよな……
え、メールとかしとく?それもどうなの?

しかし、もう私は疲れていた。
どうにでもなれとそのまま友人とご飯食べに行きました。

運命の結末は卒論試問で対峙することに。

運命の卒論試問

あの後、ちゃんと卒論を読み返したらちょこちょこ体裁ミスが見つかった。

目次のページ数忘れ、「」『』のミス(これをミスったので表題もミスった)、注釈つけ忘れ、旧字体忘れ、などなど……

ワンチャン卒業できないのでは?と気が気でなかった。
ギリギリすぎではあったが結構それなりにやりきったので、それならそれで仕方ないとも思った。
が、やはりストレートで卒業はしたいものである。
神様仏様教授様、の気持ちで試問を受けた。

再三言っているが、うちの教授はとんでもなく優しい。
それはもう、神のごとく仏のごとく。

そう、素晴らしいことにあれだけの体裁ミスでも難なく卒論の単位が出たのだ。
試問も散々にこき下ろされるかと思ったが、全然平気であった。
「も~しっかりしてよ~」と笑われる始末。
というか何なら引用の参考文献読み間違いにより解釈ミスってる箇所もあった。
それでも大丈夫だった。すごすぎ。てかいいのかこれで。
あー、緩い大学でよかった。心の底からそう思った。

これにて卒業論文完全終了。お疲れ自分。


いかがだっただろうか。

何も参考になることはないだろう。
しかしギリギリでもなんとかなることは証明出来たと思う。
普通にバカほど面倒くさかったが、終わってみれば結構な自信にもなった。自分の論文があるってなんだかかっこいいじゃん♪

この時期に見てる優秀な大学3年生はきっと余裕で終わる。
ぜひとも頑張って欲しい。陰ながら応援している。


でもあんなに褒められたのに卒論の単位、良だったのマジで何


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