めめしさ考 ㊵

昨日は3月29日金曜日で、30日と31日は土日なので役所が開いている、本年度最後の日になる。

なので税務署に行って、猶予してもらっていた税金を全部払って来た。


3年かかったが、やっと帳尻合わせが間に合った。

その他の用事もあって、朝から銀行へ行き手続きを済ませ、
1年ぶりに歯医者へ行き、
郵便局へ行き、
税務署へ行ったので、流石に疲れたし、自分にとっては文字どおり節目にあたる日なので一休みしていたら夜も過ぎて、朝になっていた。

前記事の『ないものねだり』にも少し書いたが、去年は試験に向けてずっと勉強していたが、合格していたので次の勉強に進みたい。

今年わたしは59歳になるが、勉強が楽しい。
強制されてする勉強は拷問みたいなものかも知れないが、道楽の1つと考えればこれ以上のものはない。

本居宣長(もとおり のりなが)という人がいて、彼は医者であったが国学者として名を残しているが、仕事としては『古事記伝』のほか、『源氏物語玉の小櫛』『玉勝間』などがある。『古事記伝』は34年かけた大仕事だ。

本居宣長の元には沢山の弟子が集まり、宣長は私塾を開いて講義もした。彼は教師としても優秀だったようで、その講義は「ため息が出るほど面白い」と弟子から評される程だったという。

弟子には商人が多く、彼らは金を持っていたので所謂ふつうの遊びも十分分かっていた。

♪ 
達磨さん、こちら向かんせ世の中は、月、雪、花に、酒と、三味線・・・♪

そんな遊びを一通り覚え、味わった筈の商人達が、結局たどり着いたのは、学問だったという訳だ。

本居宣長が現れるまで、当時の日本人には『古事記』が読めなかった。『古事記』が書かれた時代の日本には文字がなく、中国から伝わった漢字を使って日本語の発音を当て字にして書いていたり、漢字本来の使い方もしてごちゃ混ぜ状態だから、後世の人にはチンプンカンプンだったのだ。

それを34年もかけて仕事を完成させた宣長の執念というか、日本に対する想いは深すぎて軽々には語れないけれども、

結局は、「大和魂」=「もののあはれ」なのだと証明したかったからだと、私は思う。

つまり、「雄々しさ」とは輝かしく、立派に見えるが、そんな価値観よりも、わが国の人々は「めめしさ」をこそ大事にして来たのだと、宣長さんは『源氏物語』を読んで気が付いたのだ。

『源氏物語』の評価も「淫乱の書である」とか「性をテーマに見せかけて政争を描いているのだ」などと言う解釈がなされていたが、宣長はそうではない、そのまま読め、「もののあはれ」を感じなはれ。と、言いたかったのである。

最近、日本の文化が他国から高い評価を受けるようになった。『鬼滅の刃』『SPY×FAMILY』『薬屋のひとりごと』『葬送のフリーレン』にしろ、共通する価値観はなにかと言えば、「めめしさ」なのではないかと思うのだ。

めめしさを尊ぶ文化は、他国ではなかなか見られない、特に米国の価値観では強いものが偉く、尊く、弱いものが蔑まれてしまう。

ハリウッド映画はハッピーエンドが多いというのが一般認識だが(そうでない作品もいろいろあるけど)、正義が勝ち、悪が滅びる、だけでは何かが足りなかったのだ。

偽装家族を本当に好きになってしまうスパイや、消滅する鬼に情けをかける戦士はめめしい。

けれど違う、そこが良いのだ! 「めめしさ」こそ、大事にしなくちゃいけないものなのではないかと、

世界は日本を見て気が付いて来たのではないだろうか?


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