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初恋の日 ☆72

小1の頃、好きだった娘はいた。名前も今でも覚えてる。漢字で書ける。

けど、それは何となく自分で思い込んでいただけで、何のアクションもとらなかったし、想い焦がれて煩悶した、などという記憶もない。

昭和40年代1965~74年くらいの話だが、我が家では父母から一切の性教育を受けた覚えがない。(他家の事情は全く知らない)

ただ、昭和のテレビ番組では、規制が緩く、女性の裸を結構見せていたし、濡れ場も大胆だった。『8時だョ!全員集合』は子供番組である。エンディングで加藤茶が「歯磨けよ!」「宿題やったか?!」なんて言ってそのあと良い子は21時に寝るのである。

でも、21時以降のテレビドラマを茶の間で家族と見ていると、急に濡れ場のシーンになったりして、誰も何も言わないが気まずい空気が流れた。そんなシチュエーションはよくあったが、その時、我家では父も母も「寝なさい」などとムゴイ事は殆ど言わなかったから、あれはもしかすると性教育の一環と思って黙認してくれたのかも知れない。

それから、時々行く銭湯には、堂々と日活ロマンポルノのポスターも貼られていたし、街中にも貼られていた。ポルノ雑誌も道端に捨てられていたような気がする。

でも、私は性に関する知識がほとんどなかったのだ。そんな環境だったから、薄っすらとは分かっていたが、本当にそれを知ったのは、小6とか、中学に入ってからだった。

だから、女の子と話をした記憶すらほとんどなかった。奥手も奥手だった。


中学の時、私は水泳部に入った。水泳部は人気はなく、私を入れて男子6人、女子3人だった。

その女子の中の1人を、1学年上だったが、可愛くて、優しくてちょっと好きだったのだが、

それとても「いいよなー」と何歩も離れた所から見ていただけで、話をする機会すらなかった。

ある日、部活が終わって帰えろうとすると雨が降って来て、

その先輩は傘を持っておらず、帰り道が同じだったので、図らずも相合傘で帰る事になったのである。

中学から家までの道のりは結構長いのであった。

しかし、先輩は静かな人だったし、私も年上の女性に提供する話題が見付からなくて、何も話せず、

それでも気まずいから、何かどうでもいい事を話したような気もするが、ほぼ、お互いが無言で歩いていたのであった。

本当は嬉しくて、ドキドキしていたのだが、何もできず、家に送り届けて、絶好の機会は終わってしまった。

いや、絶好の機会も何も、もし間違って仲良くなれたとしても、当時の私では何も出来なかったから、

やっぱり関係は続かなかったと思う。

あれで良かったのだろう、とても奥手な男の子を神様が哀れに思し召して、与えてくれた贈り物であったのか?

それでも青春の、貴重な1コマだった。


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