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半世紀前から普通の人生に挑戦して、普通のおばあちゃんになった車椅子ユーザーの物語㉖

「雪の日、普通に2児の母になりました」


初夏の公園
広い芝生の広場のベンチで
初めてできたママ友と楽しいおしゃべり
「実は、来年の2月が予定日なんだけど」
と、そこまで言った瞬間
「え、ええっ」
とママ友
「え、どうしたの」
「私も来年の2月」
「え、ええっ」
「鳥肌立ったわぁ」
彼女も2月に第二子を出産予定だったのです。
お互いに無事女の子を出産
それぞれの二人の子供を連れて、よく一緒に遊びました
下の子が幼稚園を卒園した春に、ご主人のお仕事の都合で
ご実家へ戻られるまでずっと仲良くしていただきました。
ママ友とのお付き合いは子供が中心です。
私の車椅子は二の次なのに
新しい挑戦をしようと思うと
いつも、いつも
「車椅子だけど、大丈夫かなぁ」と気にしてしまいます
でも、なんでもやってみると気が付きます
「どうってことないな、気にし過ぎ」
そして、また普通のことに挑戦したくなるのです。
 
私のお腹は、長女が頑張って住み心地を良くしてくれたので、
二番目の赤ちゃんは切迫流産もなく
順調に育っていました。
けれど、二人目は早めに生まれることもあるということで
念のために予定より早く入院が決まりました。
長女は平日は私の実家で、週末は自宅で夫と義母と過ごしていました。
2月の寒い日、長女が母や妹に連れられ面会に来てくれましたが
長女はさみしさを必死でこらえている様子で笑顔が見られません
母に抱かれ、白いウサギの毛皮のケープを着て
おとなしく何も言わずに、私の顔も見ずに帰っていく姿が
今でも目にうかびます。
母が
「家では絶対にママって言わないのよ」
「顔を見るとかえって可哀そうだから、もう退院まで連れてこないほうがいいかもしれないね」と言い
娘は泣かないで我慢しているので、わたしも涙をこらえて
「そうだね」というのが精いっぱいでした。
 
1994年2月
いよいよ第2子誕生です。
前の晩から大雪が降り病室の窓の外には真っ白な雪景色が見えました
 
バレンタインデーの翌日お姉ちゃんより大きく育った妹がいよいよ
生まれます。
(高齢出産ということで、事前の羊水検査で性別はわかっていました)
 
実は、出産のとき助産師さんが
「背中の局所麻酔でしましょうか」
「誕生の瞬間がわかって感動しますよ」
と言ってくださったのですが
私は即答で
「あ、感動は大丈夫です、全身麻酔でお願いします」
だって、こんな歪んでねじれた背骨に局所麻酔の針をさして、これ以上何かマヒでも起きたら救いようがないですからね。
 
さあ、これで普通に2児の母になりました。
ごくごく普通の物語はまだまだ続きます
 

 


 


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