小説 (仮)被災者になるということ~能登半島地震より 第8話

日本国憲法 25条1項
すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する

1月8日

朝は寒くて、みんな動き出すのが遅かった。

横になったまま、ふと、今の生活は生活保護の人と比べてどうだろうと考えた。
さすがに生活保護の人だって、一人分のスペースはもう少しあるだろう。
着替えができないこともないだろう。
お風呂だって、一週間も入れないことはないはずだ。
今の日本でお風呂が一週間に一度では、間違いなくいじめにあう。
(私はそんな社会でいいとは思っているわけではない。
何らかの理由で一週間に一度の人がいても、いじめていいはずはない。
それに昭和の初めの日本は一週間に一度しか入らなかったという話を聞く。
いつから毎日お風呂に入ることができない人を
さげすむような社会になってしまったのだろう。)
もちろん、今の能登半島ではお風呂に入れない人が圧倒的に多いわけだから
いじめられる心配はない。
憲法の「健康で文化的な最低限度の生活」は生活保護にも
かかわるわけだけれど、被災者の場合はどうなるのだろう。
健康的でも文化的でもない。

起きると、5cmほどの雪が積もっていた。
朝は惣菜パンと水が配られた。
カセットガスコンロを使ってお湯を沸かしている家族がいた。
今は使ってはいなかったが、フライパンも持ってきていた。

私の携帯電話が鳴った。
隣の家の人からだった。
今は私たちとは別の避難所に、家族でいるということだった。
地震のすぐ後で会ってはいたが、それっきりになっていたので
現状を話し合った。

雪が積もっているので、今日は片付けにはいかないことにした。
家にはファンヒーターやエアコンなど電気を使う器具しかなくて
停電している状態では、寒くて作業にならない。

放送があった。
「カセットガスコンロなど、火を使うものは使用しないでください。
消防署のほうから使わないでと言われています。よろしくお願いします。」
あの家族のことだろうと少し離れたところでひそひそと話す声が聞こえた。

もう一つ放送があった。
部屋の換気のことだった。
感染症が流行しつつあり、1日に3回程度、換気をするように言われた。
近くの避難所でコロナを発症した人がいるという噂が流れていた。

昼は賞味期限切れのおにぎりが2個だった。
8時間程度切れていた。
おにぎりの種類は選べず、昆布が2つだった。
ご飯が硬くなっていて、あまりおいしくはなかった。

私の頭の毛穴には油脂の固まりができ始めた。
あまりにもひどいと思ったので、ウェットティッシュで拭いた。
しばらくして、頭がひりひりし始めた。
あわててタオルをペットボトルの水で濡らし、頭を拭いてみた。
それでもひりひりした痛みは治まらず、さらにひどくなってきた。
いつも手を拭いているウェットティッシュだったのに、こんなことになるとは思わなかった。

弟の家にいって、頭を洗わせてもらうことにした。
もちろん水道水はない。雨水を貯めたものだ。
台所のシンクで、やかんに入れて温めた雨水を頭にかけてもらう。
シャンプーも使うか聞かれたが、今の状態では良いかわからないため
水だけにしておく。
やっと少しましになった。

弟が今度、金沢まで銭湯とコインランドリーに行くというので、簡易トイレを頼んでおいた。
家で暮らすためには必要なものだ。

職員室前に「生き残れ」と毛筆で書かれた旗がかけられていた。
元々は中小企業の団体のために作られたものらしく、地震のものではない。
でも「がんばれ」「がんばろう」よりも「生き残れ」のほうが私にはしっくりきた。

夜はラップでつつんだわかめおにぎりと味噌汁だった。
期限切れより美味しかった。

息子が、私がいない間に体操の先生が来て、みんなで体操をしたと言った。
体操といっても、体をほぐすストレッチのようなことだ。
体にはよさそうだと思い、少し興味がわいた。

放送があり、いしかわスポーツセンターに1.5次避難、ホテルなどに2次避難できるので、行きたい人は対策本部で申し込んで欲しいということだった。
65歳以上、未就学児、妊婦などが対象だった。
義父母のために、認知症でも避難できるかどうか、夫婦で話を聞きに行った。
すると、対策本部には市の職員は一人もおらず、その内容が書かれた紙を
渡されただけで、詳しいことは市のほうに確認してみると言われた。
市の人手が足りていないのは仕方がないのだろう。
その上、1.5次避難は県の事業のようだから、市もよくわからないのかもしれない。

ランチルームは9時過ぎに静かになった。
今までは電話の声や、LINEの着信音などで夜中も騒がしかったのだ。
みんなが疲れてきているように感じた。
私にとっては静かなほうが良かった。

祖母がトイレに出て行ったのに気付かず、帰ってきたときに気付いた。
祖母なりに起こさないように気を遣ってくれたのだろう。
それでも、寝たり起きたりを繰り返して、よく眠れなかった。


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