最近の記事

善意と悪意とは

今までの疑問の糸口が見えて、掴めそうになった。悪意とは無自覚であればあるほど、暴走する物だ。逆に善意とは無自覚であればあるほど深まる物だ。どちらにせよ意識は本来無制限にひた走る性質を有する様だ。 意図があるかないか、たったこれだけのことで、意識には抑制を効かせることが出来る。その意図が公共に利益をもたらすか否かで、善悪の区別をする。いわゆる社会的善悪だ。ただしその時々の社会の状態により、善悪の判断基準は当然変わる。普遍の基準というものがない為(知っているからこそ)社会には、憲

    • 常識とは。。

      常識というものはその時代、場所に適用される一つの型である。それ以上の普遍的価値感ではない。しかし人は専門的に考えている以外の分野に関しては、この常識という昔の概念に立拠することを躊躇わない。なぜなら過去に証明された事実である、とその普遍性を無意識に信じているからだ。(何故か伝統は軽んじる物だ)そのくせ新しい事物、概念も含むものに過大な期待を抱くものだ。人は過去という物を常にゴミ箱に投げ捨ててきた。今や三十年前のものすらその存続が危ぶまれている。戦後のといっても僅か80年足らず

      • デジタルアーカイブと国民意識などについて

         既存のアーカイブとデジタルアーカイブの違いは?これは膨大な量(とはいえ書類換算した場合のもの)の情報を扱えるという意味として捉えられている。しかし膨大な量が収められるという利点を嫌う向きもまたいるだろう。例えば過去の研究に不備があることを認めたくない勢力の存在が考えられる。  先日万有引力の法則の例外が発見されたときに、学者は絶望し新しい理論が切望されたという動画を見た。良い言い方をすれば、既出の論理に心酔しそこに手を加えず自身の論拠にしてしまったがゆえに生じる矛盾に、新た

        • 高次元の悩みの理解〜

           現状認識している問題の解決には、一つ下の次元で論考することを勧める動画があった。なるほど理解できるお話であった。実際私たちが文章で論考するのは、この効果を無意識的にでも理解しているからだろう。3次元での事象はほぼ言語化されており、言語を用いて、つまり2次元のプラットホームで3次元のことを考えている。文字で理解するために3次元を記録しているわけだ。 では高次元の事を理解できない理由も、高次元の事象はこの方式の埒外にあるからではないか?と、思いついた次第だ。私たちは3次元にお

        善意と悪意とは

          人間関係からの次元考察

           最近次元上昇というキーワードが頻繁に見受けられる様になってきた。これは人々の世界の認識が広がった結果であると思う。最近のネットの普及により人々は多くの眼を持つに至った。ある程度の世界を見終わった感じが、じわじわと現実世界の狭さを感じさせる様になってきたと思われる。そのため人々の視点は視線へとそして視軸へと進化し、ついには視界に意識が到達しようとしているのかもしれない。 これは喜ばしいことである反面、足元の不確かさに引き返す人も多いのではないかと感じられる。足元とは今いる世界

          人間関係からの次元考察

          見えない場所

          以前自分の体の部位で、絶対に見えない場所のことを考えた。 これは山登りに例えると、長年の疑問か解けた。山に登っていて、その山を見られる場所は?と言えば見ている場所の先と、今まで登ってきた場所である。つまり、今いる場所は見られないのである。 ではここで“見る“と言う行為には、どんな目的があるのだろう?と改めて考えてみる。 登山の例で更に考えれば、今までの軌跡を振り返り、これからの進む気持ちを掻き立てようと言う心理的な、自身に対する、作戦のような一面がある。この場合山頂に立つと言

          見えない場所

          人の世の神

          神様は偏在する。これは西洋の学者の言葉だったように記憶している。 考えてみると、西洋はキリスト教文化圏であり、キリスト教またはユダヤ教は唯一一神教が教義となっているわけで、この辺は矛盾するのではないのかと思いついた。 そもそものキリスト教は、古代イスラエル周辺で発生しその主役はユダヤ人である。その異文化の宗教が、ヨーロッパを主とした地区で爆発的に流行し信者を獲得していった。その背景には自国の文化に合致するように、さまざまな解釈の構築が教会側としては必要だったろう。 容姿に始

          人の世の神

          デジタルはリアルを凌駕するのだろうか?

           2019年から続き、2023年に一応の収束を見せた新型コロナウイルスの副産物には、様々なものがあったようだ。菌への抗体は勿論、生活習慣、労働環境などなど。改めて人は他人との繋がりの中で自身を維持しているのだなぁと感じられた。 その環境下で記録のデジタル化と言う過去の案が、再び脚光を浴びる事となった。  単に紙媒体から電子媒体に挿げ替えるだけであれば、恐らくはさほどの問題はないであったはずだ。私が大いに危惧するのは、マルチメディアと言われる表現方式が採用されている点だ。つまり

          デジタルはリアルを凌駕するのだろうか?

          仮面ライダーに最良の日A Perfect Day for Masked Riders.

          昼前から激しい風雨となった。大人になって自覚した私の癖だけど、激しい風雨を窓のこちら側から眺めているのがこよなく好きだ。 まるで仮面ライダーのための天気ではないか⁇せいぜいお腹が一杯になるまで、腰のベルトを回してあげてほしい。一説にはジャンプして上昇や落下?の時の風圧でベルトを回すとかなんとか。今日のような天気であれば、表に出るだけで変身に必要な風力のエネルギーは溜まるだろう。  胸まで続く8PACは、エネルギーの貯蔵庫だと言う設定だった気がするが、ものの数分で満タンになりそ

          仮面ライダーに最良の日A Perfect Day for Masked Riders.

          僕らの次元上昇

           3次元的認識とは? どうも人の認識は、下位互換であるようです。 3次元的な存在である(あった?)私たちは、2次元的認識のパターンに馴染んでいる。情報媒体が2次元的な物ばかりな事は、身近に溢れている書籍・画像・動画を見ても明らかであろう。多少の例外は動画の普及である。ここ5年程度で人が動画を見る機会が急に増えた。動画には時間の流れという事象が内包されている。この情報に普段から触れていれば、動画の与えた影響がわかってくると思われる。 人の意識の進化には次の段階、つまり3次元的

          僕らの次元上昇

          宗教と文化のいかがわしい関係

          宗教心と利益を混同した解説である。 神社の旧式建築方法として、礎石のない直穴に大木を埋め込む方式であった。耐震性という意味では、礎石に柱を立てる方式が優れていたであろう事は、想像に難くない。 神道と仏教を比較すれば、仏教がいかに現世利益を求めるかがわかる。神道はひたすら調和を知らしめる方法である。 時の権力集団が日本全国の統治のために、共通の価値観を国民に持たせるために、仏教という思想を流布したとなると、極めて現代的ではある。 とかく現代の人は、古の人の知識を過小評価しがち

          宗教と文化のいかがわしい関係

          すすめカリンバ隊

          すすめカリンバ隊

          収集癖のお話

          収集癖の話 以前そして依然若年層の女性の間ではプリクラが市民権を得ている。プリクラが始まった当初、私はデジカメが流行るのではないかと大いに思っていた。そしてスマホが一斉に普及してカメラ機能を充実させてゆくほどに、プリクラは無くなるのではないかと思っていたが、あにはからんや依然存在し続けている。2次元データとして蓄積される写真とは違い、プリクラは2.5次元の産物と言っても良いもので、対象を2次元の手法で3次元の紙に再現したものだ。一体何が、どんな欲求がプリクラを求めているのだ

          収集癖のお話

          これからの歴史

          大衆昭和〜令和史 古代から現在に至るまでの歴史というものの多くが、過去の1時の施政者によって都合の良い解釈が振り掛けられた、記録ともつかない物の積み重ねである。 歴史に筋道を求めるのは、今現在の人々が物語として理解しやすいからだ。物語調であればなお良い。そう言った要望に沿ってか、過去の歴史は度々物語化される。 所謂主人公がいて、ライバルや敵対する存在がいて、最後は主人公が勝利するといったいわば勧善懲悪の筋書きに沿った歴史物語が年ねん編まれ続けている。 私がこの世に生を受け

          これからの歴史