宗教と文化のいかがわしい関係

宗教心と利益を混同した解説である。

神社の旧式建築方法として、礎石のない直穴に大木を埋め込む方式であった。耐震性という意味では、礎石に柱を立てる方式が優れていたであろう事は、想像に難くない。
神道と仏教を比較すれば、仏教がいかに現世利益を求めるかがわかる。神道はひたすら調和を知らしめる方法である。
時の権力集団が日本全国の統治のために、共通の価値観を国民に持たせるために、仏教という思想を流布したとなると、極めて現代的ではある。
とかく現代の人は、古の人の知識を過小評価しがちではあるものの、まるでキリスト教の世界制覇並みの思想が、我が国でしかも古代に施行されたと考え、納得するのには些か無理はないのかと思う。
仏教が受け入れやすかった背景は、人が人のために語った教えであることが一番かもしれない。それまでの神道は神が巫女に降りて、その言葉を伝えるというものであった為、即ち巫女の正当性が一番の重要事であった。陰陽・因果・科学などのそれまでの神の領域の化学的・哲学的解明が、権力者をして仏教文化に走らせた原因の一つだろう。
言うなれば、それまで神によって抑えられていた欲望が、新たな考えの立場に立つことで、満たされることに毒されてしまったことになる。
もっとも、仏教文化の全てを受け入れたわけではなく、取捨選択があったのは、最近の研究により明らかになったが、この基準というものの必然性は、ひとえに当時の施政者のなせる技であったろうことは、驚愕と共に敬服に値する物と考える。
仏教の残虐性を全て排除出来なかった事は、当時の時流を鑑みれば、致し方ない部分もあった。

 しかしこの事により、歴史の二分化が進んだ事もまた事実と思われる。その最大のものは女系の血脈を伴う、日本の裏の歴史となった。女系の証明は血縁以外には無いというのが、遺伝子学的な事実である。血統の隠蔽が女系の歴史をひた隠しにしている。
 数千年の歴史=記録を誇る我が国で、女系の血統の保存がなされていない訳が無いと私は考える。数年前の映画「ダヴィンチコード」で、マリアの血脈を追う物があった。欧州においても血統というものが、いかに重要視されていたかがわかる。しかも消し去るのではなく、秘密として守られ続けている。我が国でも豊臣秀吉の血統を引く女子を題材とした「プリンセス豊臣」という小説ー映画があった。
 未だ発見または明るみには出ていないが、そういった印は必ず形を変えてはいるものの、存在していると思われる。

さて話を戻すと、これら文化はその要素を取り込み終わったのち、教義のみを宗教という分類で残すこととなった。ある意味日本人の自我を、目覚めさせたとも言えるのかもしれない。丁度エデンの園の知恵の実の様なものだ。当然副作用も激しい物だった。巫女が介する見えざるものを崇拝していた文化から、仏像が(いわば偶像が)介する見えるものを崇拝する文化への転換となる。

その一つの事例としてキリスト像が人間の大きさなのに対し、日本及びアジアにおける、仏像の巨大化というものが挙げられるかもしれない。日本における巨大仏像建立は、広く衆中を救うために大きなシンボルが必要だ、と言う考えに基づく。勿論巨大な建造物を作ることが、時の施政者の権威を知らしめると言う意味もあっただろう。
では欧州ではどうであったか?一同に信者を集め、そこで教義を説くという謂わば洗脳の作業を効率化するために、巨大な建造物、豪華な装飾という方向に走った。
のちに日光東照宮に見られる豪華絢爛な装飾であっても、それは庶民に開かれたものではなく、関係者へ向けての少人数を対象とした建築物である。この辺りも東アジア独特の秘教・秘技制を感じるものである。
曰く「司祭者が行うことは、下々は知る必要がない。」とでもいった、古代日本の神事に逆戻りしているかといった如くである。民衆の自意識が未熟であった=神道の教えが浸透していた当時の民衆は、施政者においては気にならない存在だったのかもしれない。同様に民衆においても、誰が施政者でも気にならない統治だったのかもしれない。比較の対象がなければ、不平等感などというものは、芽生えようがないからである。
こう考えると全国に根を下ろしたネットワークである、仏教施設は、その利便性を最大に活かし、各地の状況を情弱な民衆に伝え、住民を民衆に変化させた立役者だったのかもしれない。
かくして己の現状を知った住民たちは、他の地域の住民との違いを知ることとなり、ここに遅ればせながら日本にも民衆という価値観を同じくする勢力が誕生することとなる。つまり人々の神道離れが、民衆という勢力を補強していったということだ。
神様の言うことは絶対でも、人の言うことは信じられないという、至極真っ当な考えが出て来ることは当然の流れである。古代の人の考え方は、出発点が自己ではなく、その集団だった。しかし仏教という劇薬により、自己というものの探求・開発が加速することとなる。一般的に有能な僧侶は、衆中を救うために即身成仏の道を選ぶ者がいたと伝えられる。己を犠牲にして他者を救済するという発想にまで、日本人の思想は進んだのだ。日本における仏教の進化は、自身の圧政に気付いたものの、現状改善が如何ともし難い事実に絶望し、現世利益を捨て輪廻転生という希望に縋り、来世の安寧を求めるという複雑な思想を生み出した。
これはある意味当時の施政者とって都合の良い反応だった。来世のために現世の状況に甘んじる民衆の誕生となった。

 一方インドにおける仏教は、ブッダの死生観より派生して、世界の理に気づくと言うストーリーである。後にさまざまな尾鰭がついて、様々な呪術めいた解釈が付け加えられる。
ともあれ当時のインドにおいても、住民は圧政に苦しみ、他民族の侵攻にも苦しめられてはいた。しかし仏教と言われる思想が、中華思想に取り込まれた後は、異様な進化を遂げその後に日本に輸入されることとなる。
現在の中国の人々の動向を見ていると、強い現世利益欲が暴走している様に見える。他者は子供であっても他者であり、その意味で容赦がないのだ。自分の気に入らなければ、平気で蹴り飛ばす動画を見て再確認した。
我が国思想においては、女子供は護られるべき公共の存在である。誰の子供であろうと、暴力を振るう事は許されない。この考え方は根っこは異なるが、欧州でも共通している。彼らは子供は未来からのお客様であると考えると、以前読んだことがある。
しかし中国では、考えの主体はあくまでも自身であり、その我儘な考えが罷り通る。その瞬間他人は敵となり、敵はとことんたたかねば、後で自身が襲われる番になることを知っている。問題なのはその感覚を、他文化の中でまで押し付けることだ。
インドの仏教が、どこをどうすればこの様な悲惨な民族文化を育んだのか?極めて解読が困難だが、恐らく宗教を受け入れる素養が、中国には無かったからであろう。日本でそうであった様に、中国でも民族の管理のために宗教組織を利用した物と思われる。しかしその教義は、彼らには何も感じるところがなかったのだろう。

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