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そこに愛はあるのかい?

「そこに愛はあるのかい?」

わたしが小学生の頃、流行語になった台詞。
ひとつ屋根の下で、あんちゃん(江口洋介)が事ある毎に口にした台詞だ。

明日、納品予定のパンの仕込みをしていたところ、手が滑ってパンの生地を落としてしまった。
わたしは、この事実を自分で自分に隠したくなる。なかったことにしたくなる。
いいか悪いかでジャッジをして戒めることで、自分に許しを乞う。
それはもう窮屈で、と思いきやそんなことはなく、わたし苦しんでいますよ〜という設定を作り出しているに過ぎないことに気づく。
馬鹿らしい。

実際は、
・チーズの残数チェックを忘れていた自分を責めていた
・身体を自動的に動かしていた
結果、その自分が起こしたこと。

そんな状態で作ったものを商品として人に届けようとしていることを知り、背中がゾワゾワした。
「心を込めて作った」と言えないものを人に届けるために、自分の時間、体力、材料、この場(キッチン)を使っているのかと思うと、興ざめる瞬間だった。

一からやり直す。
「そこに愛はあるのかい?」
自分で自分に問うていた。
「そこに、愛はあるんか?」
と、天童よしみ風だったが。笑

時間、体力、材料となるもの、使える場所、道具など、あるもの全てが貴重だと知る。
昼間は、次に使う人やその道具を提供した人、この場(シェアキッチン)の運営をしている人たち、ここで作られたものを美味しいと言って食べる人たちに想いを馳せながら掃除をしたことなど、すっかり忘れていた。

何時だって部分的で、すぐに忘れる。

そんな自分に愛をもつというのは、チーズの残数チェックが気にかかったそのとき(今日であれば午前中)にチェックするか、できなければメモをする。
自分に対してしたこと、傲慢な行いは、自分に返ってくる。
そして、多くの無駄を生む。

わたしはこれをいつもなんとかなったことにして、また同じことがあるときにメモを取らない選択をすることを知っている。

隠してしまいたくなるしょーもないわたしがいるのも現実だけど、せめて自分には正直に、未来の自分へ愛をもって記しておく。


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