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 今日、好きな人と話した。

 今日、気になっている人と初めて話した。
はじめてで、緊張してあんまりうまく話せなかった。
相手の話をさえぎってしまったし、話の途中で突然、連絡先を交換したいって言ってしまった。でも、彼女は優しいから笑って話してくれた。

私は、LINEを打つのが下手だ。いつも気の利いた返答ができない。
相手の意図を読み取るのも苦手だ。気を使って返答をすると空回りしてしまって、余計におかしなことを送ってしまう。

僕は、距離を詰めすぎてしまう。空気を読むのが苦手だ。衝動的に、いや熟考した後だとしても、馴れ馴れしいくらい相手にアタックしてしまう。今の関係性だと、これくらいの距離感が妥当だよね、というのがわからない。

だから、連絡を交換した今日、彼女をご飯に誘ってしまった。

「もし明日余裕あったら、お昼ご飯食べに行かない?」

彼女からの返信は、正直よくわからなかった。はぐらかされたのかもしれない。彼女が誠実な人であれば、約束通り、また話しかけに来てくれるかもしれない。


 私の心は沈んでいる。
そりゃあ、彼女からの返信が曖昧だったからだ。もしほかの人であれば、その意図が読み取れていたのかもしれない。それとも、読み取ることができる人なんていうのは、僕の思い込みか?そんな人はいないのかもしれない。

私は、心が弱いタイプだから、人間のことでいつも悩まされる。常に感情が陰と陽に揺れている。そんなとき、いつも私は、人間と関わらないほうがいんじゃないかって思う。こんなにも苦しめられて、辱められて、罵倒されて、それでいて、たくさん気を遣わせるんだから。

でも違うんだ、彼女から返信が来たときの、心の高揚感は忘れられない。誰かから連絡が来ることの嬉しさ、人と話しているときの充実感、幸福感。私の幸せを作るのは、人がいることが前提なんだ。この世界にもしも、僕一人しか存在しないとすれば、僕の持っている知識や、財産や、感情、意識、なんてものは、途端に価値のないものに感じられる。存在が、無価値。きっと孤独死してしまうだろう。僕が存在したことさえも、誰も知らないのだ。存在という言葉すら、ない。自然がそこにあるだけだ。

彼女は、僕に元気をくれるんだ。生きる意味を与えてくれる。それが苦しみでも、悲しみでも、僕を生に突き動かす。死にたいと考えるのは、自分が生きているからだ。生にしがみついているから。死にたいという言葉の免罪符をつかって、死の淵から前進しようとしているんだ。


僕は、彼女と仲良くなりたい。もっと知りたい。本心のキャッチボールをしたい。なににも囚われず、邪魔されず、その人と接したい。
勉強も、恋愛も人生も、何もかもが、自分自身と同じくらい鬱陶しい。全部をひっくるめて吹っ飛ばしたい。

そんなことを思いながら、明日からまた学校へ行って、好きな人が話しかけてくれるのを待って、自分を信じて一歩踏み出して、それでここに存在することの、奇跡と世界の美しさを感じるんだ。


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