【ライブレポ】KEYTALK 下北沢駅前広場プロジェクト ~Welcome! We LOVE!シモキタ!~
10年前の地下化以降、駅周辺の整備が進められてきた世田谷区・下北沢。
古着やアンティークの店が所狭しと並ぶ、言わずと知れたおしゃれタウンです。
足を踏み入れることで得られる人生のスタンプがあると信じ、大学生の頃は何度か行っていましたが、南西口が整備されて複合施設が出来、東口にバリアフリーの大きなスロープや広めのロータリー?が完成してからはなかなか行く機会もなく、先日の「ゴ会」でようやく初めて駅周辺の変貌ぶりを目にしました。
一時期の乱雑さからするとだいぶスッキリしたなという印象ですが、それでもまだまだ完成途上にあるそうです。
下北沢はまた、サブカルの街でもあります。
劇場やライブハウスも狭いエリア内に密集していて、あちこちにバンドマンや芸人、劇団員などがひしめいています。
新宿や渋谷にも出やすく、そのあたりと比べると家賃も抑えられる。
しかも飲み屋は豊富で、その辺を歩けばサブカル的なおしゃれに出会える街という点で人気なのでしょう。
中川家のコントで、「駅の地下化に合わせて、売れない芸人はみんな地下に埋めた」というくだりがありましたが、まだ世に出ていないエンタメはマグマのように下北の底を流れているのかもしれません。
音楽雑誌「MUSICA」の編集部があるのもここです。
自分は本当に一時期ですが、お世話になっていました。
4人組ロックバンド・KEYTALKにとってこの地はふるさと。
事務所やインディーズ時代のレーベルを下北沢に構え、デビュー当初はマイヘアの新潟上越よろしく「下北沢から来ました、KEYTALKです!」とMCで自己紹介していました。
現在は下北沢シャングリラという何に変わっている下北沢GARDENや今はなき「屋根裏」などでは数知れずライブを行ってきたのでしょう。
KEYTALKとして初めてのワンマンライブは下北沢SHELTERだったそうです。
事務所社長の古閑さんの「下北密着のバンドとして売り出したい」という意向もあり、メジャーデビューしてからも、街全体を使ったリアル謎解きイベントに絡めたイベントを打ち出したこともありましたし、毎年商店街でやっているカレーフェスは常連です。
ここ最近ではユニクロ下北沢店にてコラボTシャツの販売もありました。
駆け出しのインディーズの頃はSHELTERを埋めるのがやっとだったと述懐するかれらですが、知っての通りKEYTALKは恐ろしい速さでメジャーシーンを駆け上がり、気付けば下北の箱では収まらないようなバンドになっていきました。
それでも2回目の武道館ワンマンをSHELTERで発表したり、倍率は高くなろうとも下北でのライブを企画したり町ぐるみでのイベントを組んだりと、根っこは常に下北にある印象です。
ただコロナ禍になってからの下北でのライブは数えるほど。
「ここ数年でライブあったっけ?」と武正がお客さんに聞き、ややあって「あー、2回目の武道館の告知をしたとき(2022年2月28日のSHELTER)か」と思い出していましたが、あとはFCライブでシャングリラに立ったくらいで、恐らくその程度の回数だと思います。
2023年4月15日(土)、北沢タウンホールにて開催された久々の下北でのライブは、KEYTALKの凱旋を強く印象付けるライブでした。
サブタイトルに「下北沢駅前広場プロジェクト ~Welcome! We LOVE!シモキタ!~」とついているのは、このライブが令和7年度に完了予定の下北沢駅前広場整備プロジェクトの一環という位置づけだったからです。
ホールは北沢区民会館という、茶沢通りに面した行政センター的な建物の2階にありました。
他の階には集会場や会議室などがあり、無駄なものを失くした図書館的なつくりは入ってすぐに感じました。
一歩外に出れば賑やかなサブカルの街が広がっているのとは対照的に、いかにも行政の建物といったお堅い雰囲気。
全面フラットな座席の上には、駅前広場プロジェクトとして寄付金(ふるさと納税)募集のチラシが置かれていました。
下北をルーツにもち、全国的に活躍するKEYTALKを招いて地域振興を、というのがこのライブの趣旨だったのでしょう。
言い方は悪いですが、半袖短パンの「クソガキ」バンドだったかれらが、行政とタッグを組み招待されてライブを行うなんて、その過程の半分も追えてはいないものの何か感慨深いものを思わずにはいられません。
2階にあるホールに上がると、普段は会議や講座で使っているであろうホワイトボードに大きくウェルカムメッセージが書かれていて、よくライブハウスの入り口に立てかけてあるようなチョーク書きの「Today’s artists」とはまた違った味わいを感じていました。
入ってみるとキャパは小さめ。
最後列がアルファベットL列で、HPによれば座席数は300もないそうです。
落選が目立ったのも納得ですし、当たったことのありがたみを改めて感じます。
自分はJ列でPAの前。
O-EASTのPA前の一段上がったところと同じくらいの遠さで距離はあるのですが、椅子が整然と並び、目の前の視界が開けているのでそこまで離れているようにも感じません。
4人集まったバンドとして観るのは3月1日の、2回目の武道館公演以来でした。
その間巨匠以外の3人のソロ仕事に運よく行くことが出来、そこでは今までにないほど近い距離感を体感していました。
かれらをこんなに近くで観られることはこれまでほとんど無かったので、ホールに入ったときにいつもであれば近さにたじろいでしまうところなのですが、ここ最近のソロ活動で距離感のブレが起きてしまっているので、このシチュエーションでも妙に慣れて感動が薄らいでしまっている自分がいました。
あまりよくないことです。
下北ふるさと納税のパンフレットを眺めていると、マネージャーの米田さんや岡本さんがせわしなく上手側の通路を行き来しているのが見えました。
KEYTALK TVではおなじみのスタッフの方々です。
開演予定時間を数分過ぎたころ、その動きが収まりだしました。
恐らくそろそろ始まるのだろうと予感します。
流れてきた音楽は、いつもの出囃子に使われている「物販」や「YURAMEKI SUMMER」の伴奏でもない、聴き慣れない音でした。
事務所社長・古閑さんが組んでいるバンドの「ROCKET K」の曲だと種明かしが後にあるのですが、ひとまず4人は何も言わず、クラップを促しながらその音楽とともに登場してきました。
始まりは賑やかに華々しく。
最初のMCまでの序盤3曲は、「MONSTER DANCE」「MATSURI BAYASHI」「Summer Venus」と、お祭り男たるKEYTALKらしい3曲が並びました。
フェスではほぼ間違いなく披露される3曲ですが、序盤に3つとも続くことは意外となかったのではないでしょうか。
すぐさま生まれたフリコピやクラップの波はやがて熱となって空調を押しのけ、2階分くらいをぶち抜いたような高い天井をもつフロアが、息苦しく密集した空間に変わっていきました。
アウトロにかけてテンポを落としていく「MATSURI BAYASHI」のあと、フロアから生まれた拍手は「Summer Venus」の冒頭の、規則正しいクラップの音にすり替わりました。
照明は7色に映え、竿隊はお立ち台に立ちます。
八木氏はたまらず椅子から立ち上がり、バスドラそっちのけでより高い打点からシンバルやスネアを叩きおろしていました。
いつもなら大サビ前のクラップをツマミにして巨匠が酒を飲み干すのですが、この日は行政のホールということでお酒持ち込みは禁止のようです。
その代わり、白く頼りないマイクスタンドを持ち、思いっきり身体を反らしてスタンドをさかさまにしながら天を仰いで歌うという、画像で観たヨンフェスの光景が再現されていました。
合間に流し込んでいたのはペットボトルに入った緑茶っぽい飲み物でしたが「それお茶じゃないよね?」なんて武正に指摘されていました。
近くで観ていたわけではないので、その液体から泡が出ていたかどうかまではわかりません。
「新曲やります!」武道館が初お披露目だった「君とサマー」は、この春からGW明けくらいにかけて毎回登場し、この間ふんだんに肥料をもらい水を与えられて育っていく曲なのでしょう。
武道館明けにリリースされた「狂騒パラノーマル」や当日に巨匠が花道の突端で歌った「未来の音」も非常に良い曲で、いつライブでやってくれるのかが楽しみで仕方ないのですが、ひとまず「君とサマー」のターンが続きそうです。
乗り方はすでに完成されていて、「真夏の衝動」のような、サビでワイパーのように腕を左右に振る動きは誰が言いだしたわけでもないのに武道館から揃っていました。
武正はロボットのようなカクついた動きをしながら、ワイパーのところでは下半身を固定して上半身のみ手振りに合わせて揺れていました。
ツリーチャイムの音がやけに響きます。
4~7曲目までは「ACTION!」以降、つまりコロナ禍以降にリリースされた曲が並びました。
すっかり定着したようで、このあたりの繋ぎは切れ目なく滑らかでした。
武正はツーステを踏んでいます。
このあたりの足さばきはじつに軽やか。
懲りずに何度も書きますが「宴はヨイヨイ恋しぐれ」はモンダンに替わるお祭りソングになり得る曲だと思います。
かと思ったら「Shall we dance?」がその上を行きました。
後にも書きますが、広い目で観ると大きな変化があるようには見えなくても、目を皿のようにして観察していくと実は過去とは別物に生まれ変わっている、というのが式年遷宮しかり大切なことなのではないかと実感していて、これらの曲は小さな変化の象徴的なナンバーになりそうな予感がします。
「大脱走」からは照明が抑えられ、あたりは真っ暗闇に。
青と赤の照明がクロスして幽玄の世界が現れます。
「モンダン」などとは違いお立ち台を使わないこともあってか、ステージが遠ざかった感覚がしました。
難所は「夜の蝶」Cメロ前のブリッジ。
KEYTALKは他のバンドと比べてアイコンタクトやステージ上でのコミュニケーションをとる時間が少ないと言われるそうで、確かに注目してみると前列の竿隊はほとんど目を合わせていません。
意外と巨匠は武正の方をちらっと見ることがあるのですが、歌うときに振った首が流れて上手側を向いただけなのかもしれませんし、目と目で通じ合うような親密さでもありません。
ただ、「夜の蝶」のこのパートだけは、中央の八木氏のほうを3人が一斉に見てリズムを狂わせないよう慎重に弾いていました。
それでも恐らく顔を見合わせてるわけでもなく、スティックの下ろされるタイミングや弦を弾く手元など、そのあたりに集中力は注がれていたように思います。
順番が前後しますが、MCでは久々の下北ライブということに触れ、「コロナ禍なってから下北でライブあったっけ?」とぼんやりした記憶の引き出しを開け、お客さんからの声で「あっ武道館を発表したときか」と思い出す、冒頭に書いたようなやりとりがありました。
この日はそれ以外にもお客さんがMCに口を挟む場面が何度かあり、狭い空間で生まれる遠慮のなさと、メンバーからすぐに返ってくるレスポンスというラリーが楽しかったです。
「ただいまとか言うけど、下北沢から出ていったつもりはないんだけどね」という巨匠のコメントは、事務所が下北だからそれもそうという話ではあるのですが、武正へのいつものきついツッコミに見えて、下北沢への深い愛があるようでした。
レコーディングの話も上がりました。
KEYTALKは6月から各都市のライブハウスツアーを開催し、その終盤の8月にアルバムをリリースします。
現在絶賛レコーディング中とのことで、ドラムはあと一曲を残して終わっているそうです。
他のパートを録り、歌入れやミキシングをこの後していくのでしょう。
作詞作曲の多くを占めるメインボーカルの曲だけでなく、武正曲も少なくとも収録されるというのがこの日わかったのですが、どうもその武正曲で八木氏のきめ細やかさと豪快さ(でしたっけ?)が炸裂したようでした。
武正のストーリーでレコーディング風景の写真が最近上がっていましたが、八木氏がどうのと書いていたような気がするので、多分開眼した瞬間の記録なのだと思います。
まだ発表もしていないので詳しくは言えないのですが、どの曲も「叩いて楽しかった」そうで、期待せずにはいられません。
プレイする側が楽しいのならば、受け取る側のこちらだって微妙と思うはずがありません。
「久々の曲をね、やろうと思うんですけど」
武正が言い出した時、空気が引き締まった気がしました。
ここまではフェスでも割と定番の曲たち。
長尺のワンマンなので、もしかしたらとあまりかかることのない曲を期待していたのですが、その一言で俄然高まりました。
神経を聴覚のみに集め、聴こえてきた音は、望みをかけていた一曲でした。
「OSAKA SUNTAN」です。
以前音楽文にこの一曲のみを取り上げて書いたこともあるほどでした。
すぐにはこそぎ落とすことができず、次第に消えていく日焼けの跡から夏の出来事を回想するような曲で、その地が東京から離れた西の都市を思わせるからこんなタイトルになっているのだと思うのですが、リードギターの対旋律による切ない響きはKEYTALKそのもの。
「車輪は東へと運んでいく冴えない歌」という暗喩的な歌詞も良いです。
付け足しておきたいのが、ボーカル2人のパート切り替え。
「車輪は〜」の歌詞を義勝が歌いきり、ロングトーンが終わるか終わるか終わらないかのところで巨匠にスイッチ。
「あの夏の追い風が〜」へとなめらかに流れていく様は、ツインボーカルであることの強みですし季節の変わる速さを思わせます。
中性的な義勝の歌声はグンと伸びていく、飛行機の離陸のような歌声で、巨匠は思い切りガシッと掴んでくるような音色。
音源だと一人がソロパートを歌い、流れるようにもう一人のソロへバトンタッチというパート割なのですが、この日は対照的な2つの声が重なるときがありました。
義勝が歌っている時、支えるように巨匠が声を付け足すことがあり、その逆のパターンも見られました。
基本的に目を合わせない2人ですし、一緒に飲んでも一軒目で全く喋らないこともあるそうですが、こうした場面で組んだ手の固さは我々の想像以上です。
続く「エンドロール」ももの悲しい曲。
照明は夕陽のようなオレンジに色づき、楽器や機材の並んだステージがぼんやりと浮かび上がりました。
この日は義勝が部分的に歌うテンポを落としたり、むしろ速めるところもあるなど、スパイスのごとくちょっとしたアレンジを加えていた気がします。
「やー2人とも歌が上手くてね。尊い」
MCに入り、にやにやしながら武正が巨匠と義勝のほうに近づいていきます。
その顔は「あのこと」を言いたげでした。
ボーカル2人は水を飲み、ノーコメントに徹しようとマイクから離れます。
「どうせ”あれ”言いたいんでしょ?」
無視するのもしのびなく、義務感丸出しで巨匠が振ると、嬉々として武正が喋り始めたのは、先日自分も参加した「ゴ会」の話でした。
お客さんのほうが歌詞も覚えているし歌も上手いから途中から全員参加型のライブになっちゃったと楽しそうに喋っていたのですが、どうやら他の3人はこの日の楽屋でその映像を見せられたそうです。
巨匠曰くこんな感想。
「後半にかけて空気がどんどん重くなってる。」
「お客さんが頑張って合わせてる」
参加した者としては、そんな重々しい雰囲気でもなかったとは思うのですが、すごく客観的に引いて見るとそう感じてしまう人もいるのかもしれません。
参加していた我々が狂信者ともとれるかもしれませんが...
いずれ鑑賞会の模様も、メリメさんが横でカメラを回していたゴ会込みでKEYTALK TVに上がるのでしょう。
武道館が開けてからのKEYTALK TVはストックも尽きてネタ切れ気味で、いつからか始まった週一投稿もついには途切れたのですが、温泉のように湧いてくるゴ会ネタは2週ぶんくらいのボリュームになってもおかしくないかもしれません。
「バイバイアイミスユー」はゴ会でも披露されましたが、本家を聴くとやっぱり違うなと流石に思ってしまいます。
さて、武正のゴ会により、KEYTALKはメンバー4人中3人がソロの弾き語りを経験しているという特殊なバンドになりました。
残すはドラムの八木氏です。
みんなが後ろに向き直り、武正が「八木氏やんないの?あんまないよね”叩き語り”って」と言いました。
「大脱走やりなよ」なんて言われながら、スネアを叩いて歌いだしたのはこのフレーズ。
「遠い夜空にこだまする竜の叫びを耳にして...」
八木氏がファンだと公言する中日ドラゴンズの球団歌「燃えよドラゴンズ」でした。
「いいぞがんばれドラゴンズ 燃えよドラゴンズ」
一緒に歌っているのは会場の1割くらいの男だけだったと思いますが、軽快なドラゴンズトーク有り、「燃えドラ」有りの八木氏ソロライブ、実現してほしいものです。
「僕らは下北沢のKOGA RECORDSから始まったわけなんですけど...」
ひとしきりくだりを終え、落ち付きだしてきたころに武正がこんなことを言いました。
何かを察したフロアはざわざわとしだし、再び落ち着きを失い始めます。
レーベルがKOGA RECORDSにあったのはメジャーデビュー前。
下北とのつながりはとりわけインディーズ時代に多かったので、せっかくの下北のライブで縁故を感じさせる演出、すなわちインディーズ時代のレア曲披露がないと考えるほうが不自然でした。
「そのころの曲をいくつかやります」
武正が言うよりも前に、フロアの受け入れ体制はすっかり整っていました。
屋根裏の上の6畳ほどのスタジオで収録したという「消えていくよ」。
そのスタジオは当時のKEYTALK TV内で「都内某高級スタジオ」と紹介されていました。
映像を見ればそれがボケなのは一目瞭然なのですが、物は言いようです。
下北という地名を出さず”都内”とぼかすことでミステリアスさが生まれ、高級ではないにせよ知る人ぞ知る隠れ家なのかなと勘違いしてしまいます。
インディーズブロックでは八木氏のドラムさばきに注目していました。
何かの技師のように精密な、小刻みにヘッドを揺らす動きは、曲を聴いているだけだと素通りしてしまうのですが、なかなか高度なことをやっていると素人でも分かります。
他のバンドをあまり知らないので相対的な目線の比較があまりできませんが、当時KEYTALKがインディーズ界隈で頭ひとつ抜けていたのも納得できる気がしました。
インディーズの初期だとみな学生(なかでも八木氏はほかより少し長めに大学にいたようです)なはずで、その時期にこの作曲能力と演奏技術があったんだなということが驚きです。
アウトロにかけてライドシンバルを両手で抑えてうつむいていたのも印象的でした。
ここのコミュニケーションは決めていたのでしょうか。
「トラベリング」では武正と義勝が互いに中央まで歩み寄り、2人だけのセッションを繰り広げていました。
巨匠は首をぶるっと振りながら歌い、そのせいか後半にかけてピンクっぽい色合いの髪の毛が襟足から乱れだしています。
次のMCでは登場SEのことが話題に上がりました。
なんの曲か分からなかったあの音は、じつは事務所社長の古閑さんがメンバーに名を連ねているROCKETKというバンドの曲らしいのです。
その流れのまま、武正のギターとともに上手袖から古閑さんが出てきました。
伴奏に合わせて歌いだします。
こちらはクラップで応戦。
気付けばマネージャーの米田さんもあがり、古閑さんやメンバーをスマホで撮っています。
またKEYTALK TVの素材が増えました。
しまいには武正はステージを降り、上手側の通路に来ていました。
古閑さんはKEYTALK TVでよくお見かけしますし、現場でも探せばたまに見つけることが出来るのですが、ライブのステージへ上がったのに立ち会ったのは自分の中では初めてでした。
たしか去年の50本ツアー裏ファイナルの沖縄公演では、アンコールあたりで古閑さんに登場してもらおうという話が持ち上がっていたらしいのですが、雰囲気でナシになったそうです。
それくらいレアな機会だと思うのですが、滅多にない古閑さんオンステージの場をゆかりのある下北で用意したのは、最大の親孝行ではないでしょうか。
下手で見守っていた義勝は「これで心置きなく(自己規制)」と毒を吐き、巨匠と八木氏は苦笑い。
ワンコーラスを歌いきったところで古閑さんは退場していきました。
ラストのブロックに入り、「BUBBLE-GUM MAGIC」ではモンダンと同じような虹色の証明が光り、本編ラストの「桜花爛漫」へと移っていったのですが、その間ずっと頭をかすめていたことがありました。
近頃よく聞くようになった、「戻りつつある光景」という言葉です。
ホールとはいえど、サビでクラゲのように無数の手が開き、後ろからだとその海の上にアーティストが浮いているような景色は、ためらいのない手の挙げ方や身体の揺れ方を含めて、コロナ前と変わらないように見えました。
武正は椅子席のフロアを見て「これ席なくしてパンパンに入れたら倍以上は入るんじゃないの?どう?」と言い、巨匠は無責任そうに「あー、いいんじゃない」と返します。
椅子はそれぞれ独立した可動式のものなので、実現は無理ではないと思うのですが、消防法などで厳しいのかもしれません。
ともかく、状況さえ許せばゼップだってあの頃のように椅子も撤廃されてパンパンになる日がすぐそこにあります。
緩和の流れを受けてよく言われるのが「日常を取り戻す」だとか「あの頃が帰ってきた」。
しかし、果たしてそうなのかな?というのがここで引っかかったのでした。
フロアはまだまだ声量も少ないし暴れるというには全然足りないという文句を言いたいわけではなくて、抑圧された3年のうちにフロアの質が変わっていったのではないかと思ったのでした。
中学生が高校生になってしまうこの日数は、コロナで隔絶された事実とはまた別に、変わらずに居続けるにはあまりに長い気がしたのです。
マス的に見れば、むかしと変わらないのかもしれません。
モンダンやMATSURI BAYASHIで踊り、fiction escapeで跳ねる光景は失われていません。
しかし、その中にはコロナ禍で苦肉の策として始めたオンラインライブで気になった方や、自粛生活の暇に明かしてKEYTALK TVを見つけた方、あるいはここ数年で邦ロックに興味を持ち出し、メジャーバンドを漁る中で出会ったという10代の方など、何の疑いもなく”普通”や”日常”を手にしていたあの頃が一旦消えてしまったあとに好きになった方がそれなりにいるのではないかなと思っています。
あくまで推測ですが。
もとから知っている層だって、全く同じとは思えません。
自分はコロナ前からライブに行っていたとはいえどその頃はまだ学生で、当たり前のように足を運べるようになったのは働き出したここ数年です。
まだKEYTALKのことを深く知らない部類かもしれませんし、そうした境遇の方は自分以外にも多数おられると思います。
逆に離れていってしまった方もいるでしょう。
3年余りというこの期間は、その年数だけでライフステージも興味のありかたも、なにもかも変えてしまうほどの重みがあります。
自分も今はこうして不自由なくついていけていますが、いつまで変わらず見続けていられるかは分かりません。
マスは一見変わっていないけれども内実は大きく変化したという自分の推測が正しければ、よく使いがちな”コロナ前に戻る”という言い方は適切ではないかもしれません。
そのころを知らないけれども、たまたま同じタイミングで興味を持ってバンドを観に来た人達が会場に集まり、それぞれの楽しみ方でライブを作り上げていき、結果的にコロナ前と同じような風景が完成した。
結果としてフロアの見栄えはかつてと同じなのですが、そこには入れ替わり立ち代わり人が行き来した足跡があります。
そんなことを思った時、ちょっとした感激に包まれていました。
「桜花爛漫」ではけたメンバーは、アンコールの拍手の音とともに再登場しました。
白の無地の上に「S」の字が目立つ下北沢Tシャツに着替えています。
まだまだ盛り上がっていけんのか、そんな声も上がっていたような気がします。
どうもここの記憶が曖昧になってしまっているのは、ほどほどに盛り上げてアンコールのラスト1曲行こうかとなったときに、八木氏が「お○○○○タワー」をやり始め、フロアの大多数も一緒にタワーを建設してしまうという一連の光景に出くわしたからでした。
発端の八木氏のリアクションも面白く、やり出しておいて「ちょっと笑」と本気で焦っていたところもおかしかったので他の出来事が飛んでいます。
ラストは「パラレル」。
何べんも聴いたはずなのに、この曲はイントロでパッと曲名が出てきません。
いつもコースターとか太陽系リフレインとか、違う曲が浮かびます。
「遥か未来へ」
最後のフレーズは、巨匠の綺麗なロングトーンでした。
本当にどこまでも走り出せそうな気がします。
ド#くらいのホイッスルボイスも飛び出し、充実の1時間半は終わりました。
投げたピックが遠くまで飛んでいったのが印象深かったです。
古閑さんの歌唱コーナーやこのイベントそのものの存在を通し、いつもは少年のようにはしゃいでふざけている4人の大人な部分を見たような一日でした。
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