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無限はうまく使えない。通信容量・時間・資源

無限のリソースはうまく使うことが出来ない。
通信容量も、時間も、資源も。
限りある、という認識が無くなると、雑になる。

映画で最強の敵が負けるのも、無限の強さからの怠惰だったりする。

通信容量とスマホ中毒

最近久しぶりにスマホのプランを変えた。
僕はYmobileを使っている。
2年前に月容量2GBにした。(そのまえは3GB)
月の使用容量を調べると、1GB程度だったからだ。

一方で、街中にはギガが足りない、ギガ放題、容量無制限のような宣伝があふれている。
人それぞれの使い方があるのだろうが、仕事を抜きにした場合、月2GBくらいの制限があるほうがうまくスマホと付き合えるのではないかと思う

最近、スマホの害に関する本が本屋に平置きで並べられているのを見る。内容は読んでいないが、スマホの害を多面的に書いたものなのだろう。

スマホの害は、使用したことのある人ならだれでも想像できるだろう。
ちょっとした気持ちや時間のスペースをとてつもなく簡単に埋めてしまう
その結果、何もしないでいる時間や、自分の頭で考える時間、それらの習慣をなくしてしまう。同時に、好奇心につられてあれこれ没頭して時間を使い、やりたいと思っていたことをする時間と気力が無くなる
それがスマホ中毒なのだろう。

月の容量が2GBくらいだと、ひとクリックするか迷う。本当に調べるのが必要なのかを考える。GPSは使わない。街中の地図を見たり、誰かに道を聞けばいい

容量が無限だと、とりあえず見ておこうと思う。音楽を聴きながら、ネットを見たりして、それぞれの濃度を薄くしてしまう
目の前に人がいても、スマホの世界に没頭してしまう。
つながりのない乾いた世界になる。

人生の残り時間、有限の資源

同じことは、さまざまなことでも言える。

人生の終わりを意識することで生きる喜びや意義を感じる、とよく言う。
大きな病気にかかった時、大事な人を亡くした時、戦争で自分の命が立たれる可能性があるときに、その人は生きている実感や時に幸福を感じる。

仕事のコツの、時間制限や締め切りを意識すると効率が上がる、も近い。

近年問題になっているサステナビリティも同じような文脈だろう。
日本で日々生活している中で、エネルギーや資源は無限にあり、廃棄物は無限に小さいと勘違いしないか?

無限であるから、自分のやったことの影響は無限に小さいから、一つ一つが重要じゃなくなってしまう。

人生も資源も無限に続くというのは明らかな勘違いだ。
人間は必ず死ぬ。今日寝たらそのまま死ぬかもしれない。今健康に感じていてもすい臓がんなどになっている可能性がある。次の瞬間に大きな隕石が落ちるかもしれない。
資源はどう考えても有限だ。太陽エネルギーを活用するにしても、太陽は有限だ。何かを使えば、エネルギーはより安定な低い位置に向かう。常に変化をし続ける

残量を意識するというよりも、謙虚に今を大事に

終わりや限界を意識しないことがさまざまな問題の根源であることを書いたが、終わりを意識してセカセカ生きることを推奨しているのではない。

謙虚に、今を大事にするのが重要というのが主張だ。

なんにでも終わりがあるから、先ばかり考えるのでなく、今を味わう。
なんにでも限界があるから、ほどほどに謙虚に。度を越えない。

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