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高次脳機能障害と私〜退院してからの生活〜


1. 「想い描いた生活」と「ほど遠い現実」

 入院中の私は、「退院したら、すぐに元の生活に戻れる」と思っていました。病前の職場に復帰して、病前の様に仕事ができる!と思っていました。
 だから、早く退院したくて、毎日「いつ退院できる?」と、家族に聞いていました。
 テレビ電話越しの私の表情は暗く、気力もない様子だった…らしい。
 このままでは、「精神的に病んでしまう」と思った親は、担当医と話をし、予定より早めに退院することになったのです。

    これで、元の生活に戻れる!!

             そう思っていたのです…

退院したのは、くも膜下出血を発症してから約3ヶ月後でした。
 この時の私には、『記憶障害』が残存している状態だった。
 「記憶障害」は、物事を覚えにくいだけでなく、遂行機能にも影響を及ぼしていたのです…





2.復職できない!?

 退院した後は、「元の職場に復帰できる」と思っていた。
退院から2ヶ月程経った頃に、当時在籍していた職場から、「ボランティアに来ないか?」との誘いがあった!
当時は、車にも乗れず、家に居ても何もできない状態だった。
 そこで、家族と相談し、「自分自身のリハビリも兼ねて」ボランティアに行かせてもらうことにした。
スタッフや利用者さんと話をする事で、脳の活性化に繋がるし、良いリハビリになると思っていた。
 実際、会話をしたり、リハビリメニューに参加することで、「考える」こともできたし、気付き等があった時には「メモをする」ことで、カバーできたし、それをスタッフに伝えることもできていた!
これは、私自身の「自信」になったし、「成功体験」になった!

   しかし・・・
 職場のスタッフからは、「何度も同じことを言う」「物忘れが多い」などと言われ、ボランティアに行けなくなった。
その後、退職するに至ったのだ…



3.人と話をするのがコワイ…

 病気になる前からの友人たちと、会う機会があった。しかし、前述したように「同じことを何度も言う」と言われた経験があった為、【人と話をすること】に恐怖を感じていた…
 それを、担当心理士さんに伝えると、「無理に相手に合わせる必要はない」、「あなたのことを理解してくれる人と繋がっていればイイんじゃないの?」、「付き合う人の選別も大事な自己防衛」etc...とありがたい言葉を戴きました。

「合わない人に無理に合わせる必要はない!!」
「一緒に居て安心できる人」「理解してくれる人」「味方で居てくれる人」に限定すれば良い!

そういう人達…私にとっては、『家族』と『親友』であった!

私にとっての親友は…
急性期病院に入院していた時期、記憶もはっきりしない状態で、スマホも見れない時期に毎日連絡をくれていた人【Tさん】!意識が戻ってスマホを見た時、泣きました!本当にありがとうございました!



また、初めて自分の病気について講演会をさせていただいた時に駆けつけてくれた【Kさん】である。
わざわざ駆けつけてくれて、マジでありがとうございました!
なんだかんだ、1番長い付き合いかもしれません!
また未来のことについて、語り合いましょう!



そして、家族以外で1番初めに会った【Lさん】!
私は貴方にとって、「日本の家族」です!



この場を借りて、お礼を述べさせて頂きます。




この御三方には、気持ち面でかなり助けてもらったし、本当に感謝しかない!!


発症から一年半以上経った今でも、「人と話をする時は緊張する」し、「慣れない手続き等をする時は不安になる」し、「行き慣れていない場所への道順は地図アプリで何度も確認し、シミュレーションをしてからでないと不安」である…
…これが、「生活の不自由」なのか…
そして、私が今まで関わってきた人達も、こんな気持ちだったのか…こんなの、養成校で習ったかな?と思うようなことばかりだった…

そして、そういう人たちと関わる【医療・介護】の現場スタッフには、この「当事者の気持ち」を少しでいいから知ってほしい。
いや、気づくだけでも良い!!

決して、「担当患者の1人」と思わず…

 「世界で唯一の目の前の人」として関わってほしい!


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