見出し画像

【哲学】ヘーゲルの芸術論

 ギリシャから綿々と伝わってきた、背後世界の存在を前提条件とするような発想の仕方は、18世紀後半から19世紀にかけて活躍したドイツの思想家、哲学者であるヘーゲルによって典型的な形で提示された。典型的な背後世界の存在を前提条件とする立場が出てきたのだ。このヘーゲルの発想の仕方は19世紀の後半になってくると、前つ方のものであるとされるようになる。つまり、ヘーゲル的世界は崩壊していったのである。

 では、ヘーゲルは芸術をどのように捉えたのだろうか。彼は、背後世界の存在を前提とした。要するに、芸術作品とは、芸術家個人によって作られるものでありながらも、同時にツァイト・ガイスト(共同精神=時代精神)という背後世界を描き切っているから、芸術となるのだという発想である。したがって、芸術とは人間の外側に存在しているツァイト・ガイストというような同一性、普遍性を表現しているからこそ芸術といえるのである。
 では、ヘーゲルの芸術論において、芸術とはどこに存在するのであろうか。それは、見る人間、鑑賞する人間の外側なのである。これは、我々が日常的に感じていることと言っても過言ではない。例えば、学校で感想文を書かされるとする。すると、我々は背後世界のことを説明しようとし、背後世界の説明に優れた者は高い評価を得られるのである。ここで言いたいのは、この発想の仕方が何故リアリティを含んでいるのかというと、日常的にこういった世界に活かされているからだということである。これこそが典型的で最も分かりやすい、背後世界の存在を前提条件とする発想の仕方なのである。

 ヘーゲル曰く、芸術は人間活動の最高位の一角を占めうる。それは、時代のツァイト・ガイストという彼岸の同一性、普遍性を表現しているからこそである。ここで言われているシェーマ(概念図式)とは、芸術がツァイト・ガイストの目的だということである。
ヘーゲルの世界観はある意味で人間の最大の弱点であると言えよう。例えば、神だとかギリシャから伝わってきたイデアだとか、あるいはデカルトが使った理性などというものがある。しかし、これらの発想の仕方は名前を変えて何度も出てきているのであり、背後世界の存在を前提条件とするという点においてはどれも同じなのである。そして、ヘーゲルはこれの名前を更に変えてツァイト・ガイストとしたのだ。そして、後にマルクスはヘーゲルのこの発想の仕方を活用していったのである。結局、19世紀の思想家たちが戦ったのはヘーゲルの世界観なのである。それは、ヘーゲルの背後にギリシャ的世界があるからこそであったということだ。正に、ギリシャ的世界一面との戦いとも言えよう。したがって、芸術論における戦いとは常にヘーゲルとの戦いなのである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?