経済の礎を築いた聖人君子か、本妻に愛想を尽かされる好色家か? 令和時代の新紙幣・渋沢栄一の功罪

――新紙幣に肖像が採用されたことで、注目を集める渋沢栄一。日本の礎を築き上げた偉人であることは間違いないが、一方で彼の業績に関して否定的に論じる声も出ており、その評価は割れている。そんな令和時代には、今よりも日常的な存在となる、渋沢栄一について考えてみたい。

『渋沢栄一 100の訓言』(日経ビジネス人文庫)

 新元号「令和」が、菅義偉官房長官によって発表されてから8日後の、4月9日。閣議後の記者会見にて麻生太郎財務相は2024年度の上半期をめどに1万円、5000円、1000円の3種類のお札(日本銀行券)のデザインが、新しくなることを明かした。新しい“お札の顔”には、1万円札に「近代日本経済の父」と呼ばれる渋沢栄一、5000円札には女子教育の先駆者である津田梅子、そして1000円札には破傷風の治療法を開発した細菌学者の北里柴三郎の肖像画が使用される。

 この3人の中でもっとも大きな、そしてさまざまな角度からの注目を集めたのが渋沢だろう。新紙幣肖像画への採用が発表された際、メディアは彼のことを理化学研究所や東京証券取引所といった多種多様な組織や企業の設立・経営に関わった「近代化の礎を築いた偉人」と、伝えた。

 一方で、実業界だけでなく、教育や社会福祉などの分野でも活躍するなど、あまりにその功績が大きすぎる結果、「工場法(今で言うところの労働基準法)の採用を先延ばしにしたブラック企業の神様」「優生思想にもとづき、ハンセン病患者を隔離した」「当時としては珍しく多様な性癖があったとも伝えられており、そのせいで過去に何度も紙幣の肖像画への採用が検討されるも見送られてきたことがある」など、真偽が定かでない情報がインターネット上で錯綜していた。さらに、韓国の「ハンギョレ新聞」は渋沢について「金融・通貨の分野で日本政府の代理人の役割を果たし、朝鮮のさまざまな利権を取得した」と伝え、また「聯合ニュース」は「経済侵奪に全面的に乗り出した象徴的な人物」と報じるなど、国外からも批判的な声が上がっている。

 仮に彼が聖人君子でなかったとしても、これほどまでに評価が分かれるような人物だったのだろうか? そこで、本稿では情報が雑然としている渋沢栄一の生涯を振り返りつつ整理し、この人物の功罪について考えていきたい。

鎖国していた日本に近代資本主義をもたらす

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