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20歳って年齢と成人式

フィクションの成人式描写がきつかった

先日、聲の形の映画版を少し観た後、原作ちゃんと読んだ方がいいのかもしれないと思って原作最後まで読んでしまいました。

5巻ぐらいまでは、映画版で描かれていなかった映画制作の部分や、耳が聴こえない子が一般クラスに転入させられていた背景が細かく描写されていて作品の意向が概ね理解出来たものの、後半2巻を読んで、つまるところ作者はラブコメが描きたかっただけで障害の描写やそれにまつわる胸糞悪い人間描写はただの舞台装置に過ぎなかったんじゃないかと思ってしまったのも確か。

そして漫画の内容とあまり関係ない部分で激しく記憶と感情が揺さぶられてしまったのであえて書き出してカミングアウト的に整理投稿。

・「成人式」を描いたフィクション

意外と、サブカル(アニメや漫画)でこれを描写するものって少ない気がします。入学式や卒業式はあっても、成人式を描くものがないのは前者は「学校」って共通項がある程度は読者側に存在していても、後者は完全に環境に依存して共通体験とはなりにくい(30~40%は出席していない)からじゃないかと思ってます。

そして、自分もこの30%側、成人式には出ていない側です。そもそも成人式ってイベント自体がフィクション(作り事)

・「成人式」に出られなかったレール外人生(自分)

20歳の時は、技術短大的なところで周囲についていけず休学

→バイト(ビデオソフト会社)するも、何故か社長が摘発され環境変化に心が追従せず人間不信に

→パラサイトシングル化(母親は父親のDV進行に耐えきれず2年前から別居、妹とは当時あまりコニュニケーション無しのため実質父親と2人暮らし)

→夏頃にオーバードーズ(催眠薬の大量摂取)するも妹に発見され一命とりとめ、1ヶ月ほど心療内科に入院

パラサイトシングル、つまり引きこもりとなってしまっていたわけですが期間は多分半年ぐらいで、20歳を迎えて、特に同じ歳の友人がいるわけではなかったのであまり周囲の流れに影響されることもなかったわけです。

ただ、たまにTVやネットを見れば4月には成人式イベントが報道されていて、そも高校時点で不登校になっていた時点でそういった世間一般のレール的なものは大して気にならないはずだったんですが、気がつくと「世界(社会)から必要とされていない」って感情が延々と押し寄せてきてしまってODに至っていた、と過去の自分を分析しています。

その後は、PC周りに詳しかったので知人のPCトラブルを支援していく内に心境が変わり、父親と2人暮らしの環境が不味いと思い始めたため、先に上京していた妹のところにしばらく居候して一応自立を果たせました。

20歳の時に何故そこまで突発的な希死念慮にとらわれたのかは、あまり考えてもしょうがないし上京後は目の前の仕事に精一杯だったので振り返る余裕もなかったんですが、成人式の描写で「自分はこの通りの普遍的な人生は送れていない」というのが根本にはやっぱりあったのかもしれないな、と思わされました。

17年前はSNSも未発達でせいぜい、ニュースサイトやTVが情報源でしたけど今はあらゆる情報に晒されやすいので、当時の自分のように社会に「合流」できないまま引きこもってる人には相当きついかもしれないな、と

17年たって、社会が多少生きやすくなったかというと価値観の多様化はあっても風通しがよいとはとても言い難いし、おそらく同じ状況の人は未だ少なくないと思うので、現状脱出のためのアドバイスとして。

・環境を変える

具体的には家を出ます。親戚を頼る、1人暮らしの兄弟を頼る、親との関係が酷くなければお金を借りて1人で暮らしてみる。
方法は何でもいいんですが、とにかく「その環境」から抜け出しましょう。

・好きなことを追求する、探す

お金を得ることに無理に繋げず、好きなことがあればひたすらやり続ける。何が好きか分からない場合も、1mmでいいので心が向くものがないかネットを漂うでもOK

・不快な情報を遮断する

まとめサイト、ニュースサイト、TV、メルマガ、SNS全て見るのやめましょう。基本的には利用者の「不安」を煽り何かを消費させることで成り立っているサービスで「善意」は無いです。

「善意」で運営されているサービスもあるとは思いますが、その選別が出来る精神状態に持っていく前にまず一旦全部窓から投げ捨てましょう。

SNSはLINEで本当に親しい人だけ、ブログ系はこのnoteとか不慮の害情報に出会いにくい媒体、twitter使うのであればミュートワードなどでコンプレックスを刺激してくるワード(成人式、就職、同窓会、自殺等の社会の通念概念的な言葉が良いです)

※twitterも、公式アプリは余分な広告やトレンドが多く混ざってきて毒になるので専用クライアント(iOSならtweetbot、Androidはtwicleとか使いやすくておすすめ)

・視聴する作品傾向に気をつける

当時引きこもってた時、意図はなくても死をイメージさせる作品(アニメ、漫画、実写映画)をかなり多く観てしまってました。少なくとも、観ていて気分が重かったり沈んでくるものは避けた方がいいです。
無理に明るい作品を観る必要はないんですけど、本棚やネトフリのマイリストを見返してみてもしそういう作品があれば、何故それを観たいのか書き出してみることをおすすめします。

・何かに感情を書き出して読み返す、見識を広める

どうしようもなくなってきたらひたすら書いてみるのも手だと思います。twitterでの投稿はぶつ切りになりやすいのでnoteやはてブ等の、長文の塊をまるっと投下できるものがいいかもしれないですね。

別に世界滅べでも延々マイナスの言葉が並ぶとしても、読み込んでいくとどこに一番引っかかりがあるのか俯瞰出来るかもしれません。

見識を広める、は本読むのもいいし、ネットで多種多様な人の思考に触れるのもいいと思います。noteで「働く」ってワードで検索するだけでも色んな考え方があって面白いです。

・他者から承認を受けられる場所へ参加する

OD未遂で心療内科に入院していた時、何度かグループワーク(自分の経験を話して認めてもらう)に参加させられました。全員、知らない人の輪の中で話すわけですが逆に言えば全員が知らない人かつ批判や否定が起きない前提の場なので、つらつら話すだけで随分心が軽くなったことを今でも覚えています。

ただいきなり精神病棟に飛び込むとかハードすぎるし、近しい境遇の人と知り合う事のできるNPOのサービス(引きこもりデイケア)を利用するのがいいかもしれません。

20で引きこもりだった時に一番しんどかったのは、やっぱり友人も恋人もいなくて誰かと話す「取っ掛かり」が得にくいことだと思うので。

知らない人とオンラインで話すことに抵抗が少なければ、MMOとかオンラインゲームで人と話すのもいいとは思うんですけど表層的な関係になりやすいのであまり深くは関われないかなと思います。

高校時代に不登校になったタイミングではフリースクールに一時期通っていましたけど、通える年齢の上限もあるし、「成人」した以上は自分で自分の面倒は見ろ的な無言のプレッシャーが周囲から押し寄せてくるので、それも逆方向に背中を押してしまう要因かなと。

・働かなくてもいい社会になるまでの繋ぎという考え方


社会に出て17年たってみれば、失業保険だの生活保険だの一定年齢まで生きれば年金だの、働いていなくても生きている人達は沢山いますし、今は「生きるために働かないといけない」→ 「働くのは生活に必要なお金のためだけど、お金を生むための無駄な仕事が多すぎるし、資源消費や環境汚染の方が深刻だし現状のシステムは続かなさそう」に思考が変化して、働いていない現在に対して罪悪感があまりないです。

20歳の時にこの思考に辿りつけられればもっと生きやすかったかなと思うし、2045年にはAIやスパコン進化で労働の概念がなくなってるか変わっていればいいかなと思います。

今、自分が考える労働の意味は、誰かを自分の手持ちの何かで助けて対価としてお金を貰うのみです。

ただその部分が見えにくかったり、何のために何をしてるか分からないような機械的な仕事はなるべく避けた方がいいかな。

自分で自分を谷底に突き落としてしまいそうな人がもしこの記事を目にして、少しでも希望を得られたのなら幸いです。

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