見出し画像

自由とはどんなものか

あなたにとって「自由」とはどんな状態ですか?
私は子どものころから漠然と「自由になりたい」とずっと思い続けていました。最近になって、自分にとっての「自由」を少し言語化できるようになってきたので、ここに記録したいと思います。

私にとって自由とは、
"自らの意思で選び取り、その選択の責任を引き受けること"
です。

例えば、就活でリクルートスーツを着る場合。
「就活では黒のスーツを着るものだ(着るべきだ)」
と思って着るのではなくて、
「就活では志望する企業にこういう印象を与えたいから、黒のスーツを選ぼう」
と思って着たい。
結果的に黒のスーツを選んだことには変わりないけれど、前例や慣習に沿って思考停止するのではなくて、自分で考えて選び取りたいと思っています。

会社員のころは、よく以下のようなパターンを繰り返してモヤモヤしていました。

上司に指示される
→言われたとおりに行動する
→失敗したり、何か不都合なことが起こる
→上司のせいにする

「ルールだから・決まりだから」、あるいは「上司がこう指示したから」という理由で自分の行動を決めていると、何か不都合が起きたときに「あなたがそう言ったから(そういう決まりだから)私はそれに従っただけ」とルールや他人のせいにしてしまいがちです。
私にはそういう癖があるなあ〜と最近気づきました。

"自らの意思で選び取り、その選択の責任を引き受ける"ということを教えてくれたのは、ポーランドで出会った友人でした。
彼女とは、留学中に入団した合唱団で出会いました。まだポーランド語がまともに話せなかった私に、何かと世話を焼いてくれたのが同い年の彼女でした。

留学を終えた後、2度ほど旅行でポーランドを訪れたとき、彼女の家に泊めてもらったことがありました。
久しぶりに会ったその友人は結婚していて、旦那さんは再婚で、前の奥さんとの間の連れ子が、幼児から高校生まで6人くらいいて、賑やかな家族でした。一番上の連れ子の女の子とは8つくらいしか年が違わないから、娘というより妹みたいな感じ。
友人自身も妊娠しており、家事と子どもたちの世話をしながら、博士課程で研究をしていました。

私から見ればめちゃくちゃ大変そうな状況なのに、旅行者の自分を受け入れてくれたことにとても恐縮したのですが、彼女は楽しそうに見えました。

「子どももいて研究もあって、毎日大変でしょう?」と尋ねたら、彼女の答えはこう。「確かに毎日大変だけど、私は自ら望んでこの生活を手に入れたから、今の生活が最高に幸せ!」と。確かに、結婚前は親の反対とかいろいろあったみたいだから、やっと手にした幸せなのかもしれない。

今の状況を胸を張って幸せと言い切れる彼女の存在は、私にとっては本当に衝撃的でした。私はそういう風に人生を選び取れているだろうか。このことがきっかけで、私は「自由と選択と責任」について考え始めることになりました。彼女との出会いには感謝しかありません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?