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映画「E.T.ースペシャルエディション」

言わずとしれたスピルバークの代表作、E.T. を観ました。一体何年ぶりなのか忘れるくらい大昔に一度観た以来です。

E.Tのスペシャルエディションは、スピルバーグが当時の映画にちょっとだけエフェクトを加えたものです。E.T.の動きなどが加工されて、よりリアルになっているとの事。とはいえ、オリジナルをすっかり忘れている私には、普通のE.T.でした。

あらすじは、わざわざ書くこともないような気がしますが、念の為。
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地球(なぜかロサンゼルス辺りの森)に植物を採集に来ていたE.T.の宇宙人たちが、地球人のとある組織に見つかりそうになり、急いで脱出します。その際に一人の宇宙人(E.T.)が取り残されてしまいます。
 E.T.は森から街に助けを求めて移動した時に、最初に遭遇したのがエリオットという男の子です。当初こそ互いにびっくりしていましたが、エリオットが危険ではないと判断したE.T.は遂にエリオットに接近し、信頼をされるに至ります。

エリオットは自分の部屋に招き入れ、意思疎通を図ろうとします。兄のマイケルにまず紹介し、続いてハプニング的に妹のガーティにも紹介します。

こうしてエリオット兄弟たちに匿われたE.Tは、一時、エリオットの家で過ごします。E.T.は次第に言葉を理解し始め、自分の家に帰りたいということをエリオットたちに伝えます。

いくつかの道具をかき集めてE.T.は通信装置を作り出しました。その装置を使うため、ハロウィンの夜にE.T.を連れてエリオットは森へ行くのでした。この時に、自転車で空を飛ぶ名シーンがでます。

森で装置を動かして、仲間を待つE.T.。ですが、結局明け方までたっても仲間は現れません。そして動き回ったE.T.は森で迷い、エリオットは家に戻りますが体調を崩します。エリオットの代わりに兄マイケルがE.T.を探しに行って無事に連れ帰りますが、E.T.もまた衰弱してしまいます。

ここで遂に母親に見つかります。びっくりする母親は、子どもたち連れ出して家から逃げようとしますが、そこに当初出てきた組織の人たちが現れます。地球のとある組織の人びとは、E.T.がエリオット家にいることを突き止め、家に踏み込んできたのでした。

彼らは実は敵ではなく宇宙人とのコンタクトをする組織なのでした。その彼らがE.T.とエリオットの治療に当たるわけですが、ついにE.T.は死んでしまいます。

嘆き悲しむエリオット。最後のお別れをしていると、なんとE.T.が生き返ります。しかし生き返りがわかるとE.T.は何をされるか分かりません。エリオットはE.T.が望むこと、そう家に帰す事を決意します。

兄と相談し、E.T.を死んだままと思わせ、車で搬送する際に車を乗っ取る作戦を決行。車は公園に到着し、兄とその友達たちとともに自転車で逃亡します。この後、カーチェイスになり、いよいよ捕まるというタイミングで、空に飛び出します。二度目の自転車空中移動です。今度は夕日をバックに飛んでいきます。

無事に森についたE.T.一行は、E.T.の仲間が来るのを待ちます。そしてあとから来た母親と妹と科学者?たちと合流します。

夜の帳、ついにE.T.の仲間が迎えに来ます。兄マイケル、妹ガーティ、そしてエリオットがE.Tにお別れをします。E.T.は妹ガーティにもらった花の鉢植えを抱えて、宇宙船に乗り、地球から去っていきました。
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とまあ、あらすじはこんな感じです。正直、自分の記憶と全く違う話でびっくりしました。

私が子供の時にE.T.をみて覚えていたシーンはちょっとだけ。ぬいぐるみに囲まれて母親から見つからないようにじっとしているE.T.のシーンだけでしたね。

それ以外は全く覚えておらず、E.T.ってこんな話だったんだと思ったのでした。

一番ショックだったのは指同士をくっつけるシーンが無かったことです。実はあれ、ポスターのためだけの絵だったんです。映画内では、エリオットが指を傷つけてしまった時に、E.T.が不思議な力で治すというシーンくらいなんですね。指をいつ、くっつけるのかとずっと見張っていたんですが、全く出てこなくて拍子抜けしました。

改めて筋を理解してみて思うのは、実によく出来た物語だなと言う事です。ボーイ・ミーツ・ミステリーという作品群の中で、映画らしい映画だと思います。少年が未知の生物に心を寄せるという自然な動きや、E.T.の抑制された言動が、リアリティを高めています。子供の中にある他者を思う素朴な感情が表現されていて、素晴らしいと思いました。

一方で、大人への不審や反抗も表現されています。大人の力を借りずにE.T.を宇宙へと返そうという奮闘です。

これにリンクして印象深かったのは、エリオットがE.T.と身体的にリンクしている時に、家でビールを飲んでしまうE.T.とシンクロして、学校での授業中のエリオットが解剖するはずのカエルを次々に逃してしまうシーンです。カエルをE.T.に見立てて、エリオットはE.T.に危険が迫っていると感じたんですね。

それから、E.T.はある意味で命の象徴となっています。それはE.T.によって枯れた花が再生するという表現で見せています。スピルバークはスター・ウォーズでフォースという架空の力で同じように生命を表現しています。おそらく、スピルバークの直観として、現状における命の危険というものがあるのでしょう。その生命を守ること、それはE.T.を守ることに繋がります。エリオットを通じて命を守れと言っていて、それは人の手によるものではなく、自然のままにという生命観なのかなと思います。

そもそも、E.T.たちがなぜ地球に来たのか。映画では全く説明されません。けれども、E.T.たちの行動はもっぱら植物採集であった事は、象徴的です。E.T.の文明において、植物を必要としている事はわかります。冒頭のシーンで、E.T.の船内において光るきのこのようなものを栽培していますが、およそその生命の維持に、地球の植物を必要とするというような設定だったのではないかと思います。明示的なのは、直ぐ側にいたうさぎには手をださないという所です。動物ではなく植物に用があったんですね。

それが彼らの食料なのか、エネルギー源なのか。とにかく、E.T.たちは地球にいわゆる資源を求めてきたという事です。それはE.T.の世界では枯渇してしまったのか、それとも、ただ調査しているだけなのか、ともあれ、E.T.の不思議な力は命に由来していると言う事です。

スピルバーグが発したメッセージは、広く伝搬されたはずですが、果たして現代においてどれほど生命が大事にされているのか。些細な金や権力などの社会システムの維持のために、生命が虐げられていないか。21世紀を生きる我々は改めて問われている気がします。

E.T.はいわゆるSFですが、心に残る作品には本質が捉えられているはずです。E.T.という作品の根底にあるのは、スピルバークの悲哀とかもしれません。

E.T.とエリオットは、仲良くなりますが最後に別れを迎えます。出逢えば必ず別れがあります。E.T.という存在との出会いと別れ、この形式が人類普遍的な感情を喚起します。

スピルバーグは、幼少期に引っ越しを繰り返し、両親の離婚も経験しています。この別れの経験がE.T.という作品に反映されています。実は、エリットの両親も別居中です。そして母親はそれを嘆いているという設定からスタートします。おそらく両親はもはや離婚という選択を取らざるをえない状況なのでしょう。エリオットが父親がメキシコにいるというセリフによって、母親がショックを受ける様子が描かれています。

両親の離婚はおそらく息子であるエリオットにも辛い経験になっているはずです。E.T.はそんな時に現れた友人です。一時を過ごして、最後は離れていく。E.T.との別離は悲しい。けれども、E.T.の望むことを受け容れた時、少年は少しだけ大人になったに違いありません。それは父親への理解にもなったのかもしれません。

スピルバーグが引っ越し先で出会った友達とどう出会い、別れたのか。両親の離婚をどう克服したのか。我々には知るよしもありませんが、E.T.にはそういうプロセスが織り込まれています。別離は悲しいけれど、受け入れるしかない。だからこそ、鑑賞後にじんわりとした感動が心を揺さぶるのでしょう。スピルバーグ自身の思いがそこにあるからに違いありません。


 

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