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結局、京大に行ったあいつは自殺して、短大卒の俺は生きている

訃報が回ってきてびっくりした。N田という中学生時代の友人が自殺したというのだ。今更だなという感じがした。長年引きこもりを続けて結局自殺したのだという。
そこには自責の念もあっただろうし、社会に対するいら立ちや恐怖もあったのだと思う。誇れるものが最終学歴で止まってしまった彼には俺みたいに結婚して一時でも幸せだったと思える経験もなければ、苦しみしかない経験しかなかったのかもしれない。なんせ就職氷河期だからね。相対的に見れば、高学歴難民になってしまったのかもしれない。高学歴だからと言ってバイトリーダーになってしまう時代だったのだ、我々は。
勿論、俺は短大卒だからいまだに就けない仕事が山のようにあるし、高学歴がうらやましいなと思うことが山のようにあるんだけど、今更時は戻せないし、今更、学歴コンプを満たすために通信制大学を卒業するなどと言った腹を満たすだけの気力もわかない。あれは明らかに首都圏が有利だ。
京大に行ったN田は自分が短大に行ったことをさんざん馬鹿にして縁を切りにかかったけど、命までたってしまったのだから、その生きづらさをもう少し楽な方向にもっていくことはできなかったのだろうか?
勿論、人の苦しみは相対的なものではなく絶対的なものであるし、N田にはN田の苦しみがあり、俺には俺の苦しみがある。俺にはリウマチの苦しみがあり、仕事が見つからない苦しみがあり、離婚の苦しみがある。
でもN田にはどんな苦しみがあったのかは俺には想像ができない。出世できなかったのか?それとも非正規でい続けたことと学歴のギャップに苦しみ続けたのか?何が原因かはわからない。なんせ俺たちは氷河期世代なのだから。チャンスもあればピンチもあった。アコムのCMがテレビを流れたあの時、俺はひどくテレビを呪ったし、能天気に生きていられる時代は終わったことはバブル崩壊の数年先からわかっていた。中途半端に豊かな時代を知っているがゆえに、これから先もずっと豊かな時代が続くんだと信じ切っていた世代が俺たち氷河期世代だし、親もまだ能天気だった。今は多少理解があるんだろうが、頑張ってもどうしようもない時代だと理解されるまでには時間を要したよね。短大時代の同級生が何人も自殺したし、N田がこれまで自殺しなかったのはよく耐えたほうだと思う。今は冥福を祈る。

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