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フレンチトーストにオレンジピール(3)

 タケルの経営するカフェは、地元でも有名な桜の名所である県立公園の近くにあった。亡くなった祖父から譲り受けた古民家をリノベーションし、江戸時代の茶屋のような雰囲気を残しつつもフローリングの現代風にアレンジしたカフェは、地元民だけでなく、公園に遊びにきた区外、市外の人たちにも好評で二度ほど地元のタウン誌が取材に来たこともある。
 最も客たちの目的がカフェをしにくるだけでなく、紙面を飾ったイケメン店主を見に来ることだとはタケル本人も気づいていない。
 正直、身なりを気にしたことはない。
 仕事する時は、量販店で買ったパーカーにチノパン、そしてナオが開店祝いに買ってくれたデニム生地のエプロンをしているだけだ。
 それにタケルとしては、店の雰囲気や周りの環境ではなく、あくまで味で勝負したいと考えている。
 高校を卒業して調理の専門学校に行ったことにも周囲には驚かれたが、カフェを始めたことはさらに驚かれた。
 高校時代は、成績は中の上、バスケでは成績以上に高い評価を受けていたタケルのことだから、周りからはてっきり大学に進学してどこかの大手企業に勤めるか、バスケで実業団にでも入ると思われていたのだ。
 それが180度違うカフェの店主となったことは今でも酒の席の話題に上がる。
 その度にタケルは、カフェ経営はオレの夢だったんだと笑いながら語る。
 実際、タケルの料理の腕は中々のものだった。
 カフェで提供するのはロコモコや魚のフリッター、オムライスやパスタと言った主の物にスープやサラダをつけたプレートメニューが多く、そのどれもが高評価でコーヒー、紅茶と言った定番にも豆や茶葉に拘り、種類も豊富だ。ジュース類も果物から直接絞った100%に拘っている。しかし、極め付けはなんといってもフレンチトーストだ。
 フレンチトースト用にタケル自らが焼いた食パンに厳選した卵、牛乳、蜂蜜を使い、外側は程よく固く、中身がトロリとした不純な味のないシンプルな甘みは、誰が食べても喜ばれる看板メニューであった。
 その為、桜の時期でなくても客は絶えることなく、子供連れ、カップル、学生、お一人様、テラス席にはペット連れ等、たくさんの客が店を訪れる。
 
「今日もお客さんいっぱいですね」
 パートの女子大生も嬉しそうに言う。
「ありがとう。賄いにフレンチトーストを振る舞うからもう少しがんばってね」
 タケルがにこやかに笑いかけると女子大生は、少し頬を赤く染めて「はいっ」と頷き、張り切って業務に当たった。
 店の扉の開く音がする。
 スーツを着た男性が店の中に入ってきた。
「いらっしゃいませ」
 タケルは、にこやかに迎える。
 その男性が一歩店の中に足を踏み入れた瞬間に、他の客達の視線が一斉に集まった。背が高く、一眼でわかる上等なスーツ、肌は雪化粧を被ったように白い。顔の彫りが深く、鼻が高い。薄緑の目と被ったハットの隙間から金糸の髪が見える。
 恐らく英国系の白人だろう、紳士然とした佇まいでゆっくりとした足取りでカウンター席まで寄ってくる。
 英国紳士は、タケルの目の前の椅子を引いてそのまま座り、にっこりと笑う。
「ご注文は?」
 タケルもにっこりと微笑む。
「エスプレッソとフレンチトーストを」
 英国紳士は、メニューも見ずに注文する。
 女子大生は、訝しんだ表情を浮かべるがタケルは、気にした様子も見せずに接客する。
「メープルシロップはつけますか?ジャムを好まれる方もいますが?」
「メイプルシロップで」
「畏まりました」
 タケルは、注文票に書き取り、そのまま厨房に行こうとする。と、くいっとエプロンが引かれた。
 タケルが振り返ると英国紳士の手がエプロンを掴んでいた。
 熱のこもった眼差しでタケルを見る。
 タケルは、その眼差しを受け止めると、笑みを消す。
「お客さま?」
 少し冷たくなった声に英国紳士は、慌てて手を離す。
「失礼しました。やはりエスプレッソでなくラテで」
「絵柄はつけますか?」
 タケルは、元の穏やかな表情に戻って笑みを浮かべる。
「お願いします」
 英国紳士の答えにタケルは、「畏まりました」と呟き厨房へと戻っていく。
 英国紳士は、注文したラテとフレンチトーストをゆっくりと、時間を掛けて食べた。タブレットで書籍を読み、時の歩みと共に変化していく客層を眺め、エスプレッソを注文し直した。
 夕方になって客も減り、パートの女子大生が賄いのフレンチトーストを食べている間も英国紳士は、タブレットで書籍を読み、窓から差し込む夕日を見ながら席を立とうとはしなかった。
 女子大生は、訝しそうに彼を見る。
「どうかした?」
 ダージリンの紅茶を女子大生の前に置いてタケルは聞いてくる。
 女子大生は、ダージリンを淹れてくれたことに感謝してお礼を言うと英国紳士に聞こえないよう小声で話しかける。
「あの人いつまでいるんですかね?」
 女子大生の言葉にタケルは英国紳士の方をちらりっと見て、そして首を横に傾げる。
「さあ?まあ、コーヒーのお代わりを注文してくれてるし、店としては文句ないよ」
「それでももう夕方ですよ?お客さんだってほとんど帰っちゃったのに・・・」
 女子大生は、顔を顰める。
「これじゃあ後片付け出来ないじゃないですか」
 女子大生の言葉にタケルは、苦笑を浮かべる。
「大丈夫。俺が全部やるから君は気にしないで帰って」
 タケルの優しい言葉に女子大生は、首を横に振る。
「いえ、私もやります。そうすれば店長も早く奥さんの所に帰れるでしょう?」
 女子大生の言葉にタケルは、目を丸くする。
「あんな可愛い奥さん、1人で待たせちゃダメですよ。特に新婚さんなんだから早く帰ってあげないと」
 女子大生がそう言って笑みを浮かべる。
「お二人って本当にお似合いですよね。休日に奥さんが店にやってきてカウンター越しに店長と話してるのを見て嫉妬の目を浮かべてる女性客沢山いるんですよ」
「そうなの?」
 まったく気づかなかった・・タケルは真底びっくりしたように口を丸く開く。
 その表情に女子大生は、呆れたように肩を竦める。
「少しは周りを見てくださいよ。本当に奥さん一筋なんですから。まあ、分かりますよ。奥さん魅力的だもん。あんなに可愛いのにミステリアスな雰囲気もあって・・才女って奥さんみたいな人を言うんですよね」
 タケルは、頬を掻く。
「そんな一筋に見える?」
 タケルの言葉に女子大生は、今度こそ呆れる。
「当たり前ですよ。二人から醸し出される雰囲気、まるで映画のワンシーンを切り取ったみたいで本当に現実?って思わされますよ」
 その表現と言葉は日本語としてどうなんだろう?とタケルは思った。一周回って意味が分からない。
「お互いがお互いを思い合って尊重しあってるのが見てて分かるし・・最高の夫婦ですよ。お二人って」
 そう言って彼女は、ダージリンを飲み、フレンチトーストを食べた。
 タケルは、「ありがとう」と短く答えて洗い物を始めた。
 最後の客が帰り、店の看板を片付けても英国紳士は、席に座ったままタブレットを見ていた。流石にと言って女子大生が声を掛けようとしたが、「後は俺がやるから大丈夫だよ」と言って帰した。
 カフェの中は2人だけになる。
 タケルがエプロンを外し、カウンターから出てくると、ようやく英国紳士は椅子から立ち上がる。
「お待たせ」
 タケルが優しく微笑むと、夕日に照らされた紳士の顔が輝く。そしてタケルの肩に手を回すと、そっと引き寄せ、唇を重ねた。
「今日は楽しみましょう」
 そう言って2人は暗い店の奥へと身体を入り込ませていった。

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