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フレンチトーストにオレンジピール(5)

少しぬるめのシャワーでタケルは、熱った身体を冷ます。
 亡くなった祖父の家をリノベーションした時、住居とするつもりはなかったので浴室は外すつもりだったが、今はシャワーだけでも取り付けといて良かったと思う。
 身体は、程よい快感に脱力している。 
 しかし、心はどこか空虚だ。
 先程の行為を思い出そうとすると浮かんでくるのはこの場にいない彼女の顔だった。
 腰にバスタオルだけ巻いて部屋に戻ると英国紳士は、裸のまま畳に敷いた布団の上に座り、タブレットを真剣に見ていた。
 タケルは、そっと彼の隣に座る。
「何を真剣に読んでるの?」
 声をかけると英国紳士は、深く笑みを浮かべ、タケルの口にキスをする。間近で見るその顔にら小さな皺が幾つもあるが、あちらの人たちは実年齢よりも大人びて見えるのでそんなに年ではないだろうと思う。
 じゃないとあの体力は考えられない。
 唇を離し、英国紳士は微笑する。
「仕事ですよ。前も言いませんでしたっけ?私はトレーダーです。こうやって為替のチェックをしてるのですよ」
 そう言って折れ線グラフの幾つも入った画面を見せてくるが、正直よく分からない。
 家族も友人もナオも勘違いしてるが自分は、そんなに頭は良くないのだ。
 あの当時は何かに集中して取り組んでないと心が壊れそうだからガムシャラに取り組んでいくうちに文武両道になっただけだ。
 タケルは、彼のことをほとんど知らない。
 一年くらい前にふらりっと店に来て、その独特の雰囲気で同じ性癖を抱えていることが分かり、気が付いたら関係を持っていた。
 名前も知らなければ住んでるところも、日中は何をしているかもほとんど知らない。
 分かるのは彼が外国籍であること。
 紳士的な良人であること。
 そして身体の相性がとても良いこと。
 それだけだ。
 それ以上は、申し訳ないが興味もない。
 しかし、彼は違うようだ。
 彼が自分を見る目は、まさに恋人を見つめるそれだった。
「なので、私は充分に貴方を養うことが出来ます」
 英国紳士は、タケルの頬に手を当てる。
 少し固い手のひらは、ほんのりと温かい。
「正式に私と付き合って頂けませんか?今以上に満足させることを約束します」
 告白する英国紳士の目は、うっすらと震えていた。
 それだけで彼の本気が取れる。
 正直、心がときめがない訳ではない。
 何歳いくつになっても告白されるのは嬉しいものだ。
 しかし、ときめいたからと言って心が動く訳ではない。
 タケルの心は、10代の時から不動のままなのだ。
 タケルは、頬に触れる英国紳士の手を剥がし、彼の膝の上に戻す。
「NO」
 自分でも驚くほどに綺麗な発音だった。
 その返答に英国紳士は、目を閉じる。
 認めたくない思いとやはりという想いが混じりあっているのだろう、苦悩で眉間が寄る。
「貴方とはこれ以上の関係を作ることは出来ない」
 タケルは、はっきりとした口調で言う。
 英国紳士は、目を開ける。
 目の端に涙が小さく溜まる。
「それは彼女のことですか?」
 彼女を指すのがナオであることは明白だ。
 彼は、一度店に来たナオを見ている。パートの女子大生から彼女のことを聞いて酷く狼狽していたことも覚えている。
「確かに貴方たちは良い夫婦だ。見ているだけでお互いが惹かれあっているのが良く分かる」
 英国紳士は、血を吐き捨てるように言う。
 タケルは、英国紳士の苦しみを肌で感じ取った。
 感じ取った上でタケルは、小さく頷いた。
「オレの人生のパートナーは彼女しかいない」
 はっきりと言う。
 その言葉に迷いはない。
 英国紳士の唇が震える。
 膝の上に置いた拳を爪が食い込む程に握り、顔を紅潮させる。
「なぜですか?」
 英国紳士は、吐き出すように言う。
「なぜ抱けもしない、口づけもかわせない、触れることすら憚られるのに、なぜそんなことが言えるのです⁉︎そんなものと一緒にいて何が楽しいんですか⁉︎」
 英国紳士は、叫ぶ。
 何も知らない者からすれば恫喝にすら聞こえてしまう。
 タケルの心は、震えた。
 しかし、それは恐怖でではない。
 
 そんなもの?
 
 タケルの目に怒りが浮かぶ。
 意識するより早くタケルの手が英国紳士の肩を掴み、握りしめる。
 英国紳士は、小さい悲鳴を上げる。
 タケルは、すぐに我に返り、手を離す。
 英国紳士の肩にはうっすらと痣が付いていた。
「すいません」
 タケルは、小さな声で謝罪する。
 英国紳士の目には痛みと小さな恐れが浮かんでいた。
 穏やかで優しいイメージしかなかったタケルの豹変に驚き隠せずにいる。
「・・・確かにオレは、彼女を抱けない。口づけすら気持ち悪くなる。でも、それでもオレは・・・」
 その目には、揺らぐことのない真摯なものだった。
「彼女を愛している」
 オレンジピールの入っフレンチトーストが無性に食べたかった。

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