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ジャノメ食堂へようこそ!第2話 初めての団欒(2)

 アケ・・・。

 誰かが優しく自分の名前を呼んでいる。
 もう呼ばれなくなった私の本当の名前を・・・。
(お母上・・様?)
 温かく、柔らかく、甘い花のような匂いのする何かが優しくアケの身体を包み込む。
 アケが顔を上げると優しい笑みを浮かべて自分を抱きしめていた。
(やっぱり・・・お母上様だ)
 アケは、嬉しくなって母の胸の中に顔を埋めた。
 いつまでも嗅いでいたい甘い花のような匂い。
 柔らかく温めり。
 優しく「アケ」と呼んでくれる声。
 その全てが嬉しい。
 その全てが愛おしい。
 アケは、五感を使ってたっぷりとその幸せを感じ取った。

 場面が変わる。
 母の悲鳴が小さな部屋の中に木霊する。
 アケは、何が起きたのか分からず首を傾げて小さな手を母に向ける。
 しかし、母はその手を取らない。
 顔を青ざめ、引き攣らせ、目を震わせてアケを見下ろす。
 まるで得体の知れないモノを見るように。
「邪教のモノどもの仕業にございます」
 部屋にいた誰かが口を開く。
「白蛇様と武士達が向かった時には既にこのような状態でした」
「目は無くなり、そこからアレが・・アレが・・」
 違う誰かが口にするのも恐ろしいと言わんばかりに身を震わせる。
「額の目は白蛇様が授けてくださいました。失った目の代わりに・・と」
「本来の目の部分には入れることは叶わなかったそうです。その・・アレを封じるためには・・」
 この人たちは何を言ってるのだろう?
 難しくて良く分からない・・。
 目を失ったって・・私はちゃんと見えてるよ。
 アケは、母を見る。
 アケに見られていることに気づき、母は小さく悲鳴を上げて後ずさる。
「お母上様?」
 アケは、立ち上がり、母に近寄ろうとする。
 その瞬間、アケの首に冷たい物が当たる。
 それは刀の刃。
 武士の一人がアケが動いた瞬間に刀を抜き、アケに向けた。
 武士は、震えた目で、悍ましい物を見るようにアケを睨む。
 アケは、何が起きたか分からず母に助けを求める。
 しかし、母はアケに近寄ろうとしない。
 全身から拒否と恐怖を露わにし、いつも優しい笑み浮かべる顔を歪め、刺すようにアケを睨む。
「化け物・・・」
 母の口から呪詛のように声が漏れる。
「えっ?」
「近寄るな!この化け物!」
 母は、帯に刺した短刀を抜き、アケに投げつける。
 短刀は、アケの横を通り過ぎ、畳に突き刺さる。
 僅かに刃の触れた頬から血が流れる。
 しかし、アケはそんな痛みよりも母の放った言葉に、姿に動揺し、絶望した。
 この化け物・・・!
 その言葉はいつまでもアケの耳の、頭の中を木霊した。
 それが記憶にある母の最後の姿だった。

 アケは、目を開ける。
 熟しすぎた苺のような赤い天蓋の裏生地が視界を覆う。
(私・・寝ちゃったんだ)
 アケは、ゆっくりと身体を起こす。
 白無垢を着たまま寝てしまったからか身体が痛い。
 アケは、自らの頬を触れる。
 指先に小さな雫が付く。
 涙だ。
「私・・泣いてたんだ」
 アケは、白無垢の袖で涙を拭う。
 醜い自分の顔なんて誰も気にしはしない。でも、やはり見られるのは恥ずかしかった。
 白い部屋の壁は橙色に染まり、赤い絨毯には天蓋の長い影が落ちている。
 時計がないから分からないが時刻としてはもう夕暮れなのだろう。
 ここに来たのは明け方のはずだから半日以上眠っていたことになる。
 そんなに眠って大丈夫だったのだろうか?
 アケの心に一瞬、焦りが生まれるもすぐに治る。
 どうせ自分のことなんて気にも止めてないに決まっている。と、いうかもう、忘れているかもしれない。
(誰も私なんて必要としない)
 むしろ気味悪く、恐ろしく、消えて欲しいと思われている。
「なら、せめて・・・」
 アケは、白い鱗の布に触れる。
 せめて、最後に父の望むことをして認められたい。
 褒めてもらいたい。
 アケは、黒く渦巻く感情に苛まれ、自虐的に笑う。
(それが今の私の存在意義)
 アケは、自分の成すべきことを思い出す。
 そしてその為には彼らに接触しなければならない。
 アケは、彼らを探さなければと立ち上がる。
 もうこの近くにはいないかもしれないが草の根を分けてでも・・。
 コンコンッ。
 何かを叩く音がする。
 扉が叩かれているのかと思ったが違う。
 音は扉の反対側、窓の方から聞こえていた。
 アケは、窓の方を向いて、絶句する。
 窓硝子に顔が張り付いていた。
 左の頬をべったーと吸盤のように貼り付けて、新緑のような緑色の目で部屋の中を覗き込んでいる。
 アケは、思わず「ひっ」と悲鳴を上げる。
 窓がコンコンッコンコンッと叩かれる。
 窓に張り付いた顔の下で目と同じ色の緑色の羽毛に包まれた手が窓を叩いていた。
 小さな口が動く。
 あ・け・て。
 そう言っているのが分かった。
 しかし、アケはいい知れぬ恐怖にたじろぐ。
 窓はさらに叩かれる。
 あ・け・て。
 口は必死に訴える。
 緑の色の目が悲しく震え、大きく潤む。
 アケは、きゅっと胸を締められ、怯えながらも頷き、意を決して窓を開けた。
 その瞬間、緑色の塊が部屋の中に飛び込んでくる。
「ぷーはー!」
 明るく大きな声が部屋の中に響き渡る。
 アケは、蛇の目を丸くする。
 部屋の中に飛び込んできたのは新緑のような波がかった髪の少女であった。髪と同じ新緑の大きな瞳、幼いが彫りのある滑らかな輪郭、綺麗な鼻梁に愛らしい唇、顔と同じ幼く、華奢な体には色鮮やかな反物が包帯のように巻き付けられていた。
 そして・・・。
「つば・・さ」
 彼女の本来両腕のある部分には大きな新緑の翼が生えていた。滑らかな曲線を描き、先端に羽毛に包まれた手のある翠玉エメラルドのように輝く大きな翼が・・・。
 少女は、両腕の大きな翼を器用に動かし、宙に浮かんでいた。
姑獲鳥うぶめ?」
 アケは、白蛇の国の伝説にある翼の生えた人形の物の怪を思い出す。
「いやーやばかったー!このまま窓とほっぺがくっついたままになっちゃうかと思ったよ!」
 緑翼の少女は大声で楽しそうに笑う。
 あまりの大きな笑い声にアケはびくっと身体を震わせる。
 あの子以外でこんなにも笑う人を見たのは初めてかもしれない。
 人ではなさそうだけど・・。
 緑翼の少女は、緑色の大きな目を輝かせてアケの顔を覗き込む。
 アケは、恥ずかしいのと少し怖いのとで思わず顔を反らす。
「あんたが貢物?」
 緑髪の少女が興味津々と言った表情で聞いてくる。
「はっはいっ」
 アケは、少女に向き直り、姿勢を正す。
「白蛇の国から参りましたジャノメと申します。どうぞ皆様のお気に召すようお使い下さい」
 そう言って深々と頭を下げる。
 アケの言葉に緑翼の少女はきょとんっとした表情を浮かべる。
 何とも可愛らしい顔。
 アケの中で小さな嫉妬が生まれる。
 こんな可愛らしい顔だったら父も母もきっと私を・・。
「ふーんっ」
 緑翼の少女は、器用に翼を動かしながらアケの身体をマジマジと見る。
「使うって・・何をどう使ったらいいのかな?」
 緑翼の少女は、本当に分からないと言った表情を浮かべる。
「いや・・あの・・召使いとか・・奴隷とか・・?」
 自分からこんなこと言うなんて変だと思いながらも緑翼の少女が本当に分かってなさそうなので思わず口に出してしまう。
 少女の顔に驚愕が走る。
「あんた、そっち系なの⁉︎」
 そっち系⁉︎
「私・・こう見えてノーマルだからね⁉︎」
 ノーマル?
 この人達特有の言語なのだろうか?
「まあ、決して百合に興味がない訳じゃないけど・・」
 百合・・お花がどうしたと言うのだろう?
「でも、やっぱりそういうことは素敵な殿方と・・」
 賑やかな人だなぁと圧倒されながらもこのままじゃ話しが進まないと思ったアケは気持ちを絞って声を出す。
「あの!」
 妄想に落ちていた緑翼の少女は目を覚ましたように大きく目を開く。
「何か私にご用事があったのでは・・」
 アケが恐る恐る言うと緑翼の少女は「おーっ」と声を上げる。
 どうやら本気で忘れていたらしい。
 アケは、少しイラッとした。
「お腹空いたでしょう?」
「えっ?」
「王が食事の準備が出来たから皆で食べようだって!」
 食事?
 みんなで?
 アケは、緑翼の少女の意味が分からず、戸惑う。
「私と・・・ですか?」
 アケの言葉に緑翼の少女は首を傾げる。
「あんた以外に誰かいるの?」
 やっぱり自分のことだった。
 アケは、さらに戸惑う。
「そんな・・・皆様と一緒になんて畏れ多い・・」
 アケは、思わず後ずさってしまう。
 緑翼の少女は、尚更、意味が分からないと言わんばかりに顔を顰める。
「私は、適当に何か食べますので皆様は気になさらず召し上がって・・・」
 しかし、アケはこれ以上言葉を続けることが出来なかった。
 緑翼の少女は、形の良い柳眉を釣り上げてアケを睨む。
 明らかに怒っている。
 アケは、全身から血の気が引いていくのを感じた。
 父の怒る顔が、母の震える顔が、周りの人達の蔑む顔が脳裏に浮かび、身体が震える。

 やめて・・お願い・・そんな目で私を見ないで・・。

 アケは、胸中で懇願し、蛇の目が大きく震える。
「あんたねえ・・」
 緑翼の少女は、キッとアケを睨む。
 アケは、身体を震わせる。
「ご・・・ごめ・・」
 アケは、怯え、謝ろうとする。
「人の好意は素直に受けるの!」
 緑翼の少女の明るい怒りにアケは、蛇の目を丸くする。
 緑翼の少女の両翼の先に着いた手が大きく開いた瞬間、五指の周りに水色に輝く円が浮かぶ。
 アケは、驚き、蛇の目を開く。
 両手の先に浮かんだ水色の円の中に複雑な紋様が描かれていく。
 それはアケが本で読んだ魔法陣に似ていた。
水曜霊扉フォース・ゲート
 二つの円が輝く。
開放オープン!」
 無数の水滴が円の周りに現れ、重なり、結合し、形を成していく。
 それは大きな水の手と化した。
 アケは、呆然と水の手を見る。
 水の手は、空を泳ぐように揺らめいてアケの両端に来るとそのまま人形のようにがっちりと掴んだ。
「えっ?」
 緑翼の少女は口元に小さく笑みを浮かべる。
「動いちゃ駄目だよ」
 緑翼の少女は、大きく翼を促す。
 それに呼応するように水の手はアケを掴んだまま浮かび上がる。
 アケは、驚きのあまり声を発せない。
「いっくよー!」
 緑翼の少女が大きく翼を羽ばたかせて窓から飛び出す。それに張り付くように水の手に握られたアケも窓から飛び出した。

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