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冷たい男 第8話 冷たい少年(11)

 翌日、担任はホスピスを退所し、自宅へと戻った。
 副会長から聞いた話しだと女の子は、母親が自宅に戻ってきてくれたことをとても喜んだらしい。
 あれだけ望んでいたのだ。
 当然だろう。
 体調を考慮し、クラスから外れても担任は進路指導として冷たい少年を始め多くの進路に悩んでいる生徒たちの相談に乗った。とても真摯で誠実な対応に多くの生徒が迷いの霧から抜けることが出来た。今思えば自分がもう歩むことが出来ないであろう将来を生徒たちに託していたのかもしれない。
 担任は、家族と最後の最後まで一緒に過ごした。
 女の子を幼稚園まで送り、2人にお弁当を作り、家事をし、一緒に風呂に入り、そして一緒に寝た。動けなくなる最後の最後まで家族と過ごし、教師の職務を全うし、妻として、母親として懸命に生きた。
 そして3ヶ月後。
 その短い人生を穏やかに終えることが出来た。

 清涼感のある線香の香りが小さな部屋の中を漂い、悲しみの淵の中に落ちてしまいそうな心を留めてくれる。
 冷たい少年は,町で唯一の葬儀会社の霊安室にいた。
 簡素だが品のある作りの小さな祭壇の前に寝かされた担任の前に立っていた。
 薄い化粧とやつれた頬に綿を詰められた担任の顔は美しく、そして穏やかであった。
 これから行われるであろう自分の願いを信じて安堵しきっているかのように。
「よろしく頼む」
 冷たい少年の後ろに立つ副会長がそう言って小さく頭を下げる。
 冷たい少年は、頷くと右手を上げて手袋を外そうと左手で掴む。しかし、その手が震えて上手く外すことが出来ない。
 自信が持てなかった。
 うまくやれるイメージが持てなかった。
 もし失敗したら遺族だけでなく担任本人の望みすら潰してしまう。
 もし・・・そんなことになったら。
「大丈夫だ」
 後ろから副会長が強い言葉で言う。
 それは励ましではなく、確信を持った言葉であった。
「会長のお母さんが言っていた。この役目が出来るのは君しかいない、と」
 冷たい少年は、強く目を瞑る。
 その脳裏に担任の優しい笑みが浮かぶ。

 自分の可能性を信じて・・・。

 あの優しく、強く声が耳を打つ。心を激する。
 冷たい少年は、両目を閉じ、両手を合わせて合掌する。
 心の底から担任の冥福を祈る。
 ゆっくりと目を開く。
 右の手袋を外し、左の手袋を外す。
 霊安室の気温が下がる。
「先生・・・」
 冷たい少年は、そっと両手で担任の頬に触れる。
「ありがとうございました」
 冷たい少年の手を中心に白い霜がゆっくりと走る。白装束がノリを塗ったように張り付き、白くなった頬を煌めかせ、髪が艶を帯びたように輝く。
 それはまるで今にも立ち上がりそうな、生きているかのような美しい姿へと変わっていく。
 冷たい少年は、ゆっくりと手を離す。
 担任の顔は、とても穏やかで、笑っているようであった。
 冷たい少年は、手袋を嵌める。
 気温が元に戻る。
 冷たい少年は、再び目を閉じ、合掌し、「あちらでもどうぞ幸せに」と小さい声で祈る。
 霊安室の扉が開く。
 担任の夫と、女の子が担任に駆け寄る。
 2人は涙を流し妻に、母に話しかける。
「ママ・・・綺麗だよ」
 女の子が涙を飲み込みながら言った。
 冷たい少年は、合掌を解き、目を開ける。
 家族の語らいの邪魔をしてはならないと踵を返す。
 副会長が泣いてていた。
 当然だが彼が泣くのを冷たい少年は初めて見た。
 初めて見たはずなのに・・・驚いてしまった。
「ありがとう・・・」
 副会長は、深く、深く頭を下げる。
「この恩義は必ず返す」
 副会長の言葉に冷たい少年は首を横に振る。
「友達の為に動くのなんて当然だろ?何も気にしないで」
 そう言って冷たい少年は笑う。
「どうぞ先生との最後の語らいを」
 そう言い残して冷たい少年は、霊安室を後にした。
 副会長は、冷たい少年の出ていった扉をじっと見つめる。
「恩は必ず返す。お前は姉の恩人で・・俺の親友だから」

 それから冷たい少年は、少女の父親、葬儀会社の社長にお願いして葬儀会社へと就職した。コネではなくしっかりと面接を受け、試験を突破して新入社員として採用されたのだ。
 担任が言っていた自分の可能性と言うのはまだ分からないし、町を離れる決意だって出来ていない。しかし、自分にも出来ることがある、人の思いを受け止めることが出来る、そう信じることが出来るようになった。
 そして高校を無事に卒業し、冷たい少年は、冷たい男として成長を遂げた。

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