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フレンチトーストにオレンジピール(終)

 ナオは、目を覚ます。
 頭が重い。
 首がむず痒い。
 触ると布の感触があり、包帯が巻かれていることを思い出す。 
 そうだ。昨日は・・・。
 ナオの脳裏に愛らしく、色気のあるMSWの姿が甦る。
 彼女は、帰れたのだろうか?それともまだ留置場かどこかにいるのか? 
 ナオが被害届を出していないのだから厳重注意で済んでるはずだ。 
 しかし、それでも職場には来ないかもしれない。
 私は、1人の未来ある人間を潰してしまったのだろうか?
 自分達の生き方の為に。
 私たちは、何と罪深いのだろう。
 あの時、自分を弄んだ彼女と自分は同じことをしてしまったのだ。
 ナオは、包帯の巻かれた首をぎゅっと握った。
 それでも私は・・・私たちは。
 甘く、清涼感のある匂いが漂ってくる。
 我が家の朝の香りだ。
 昨日、全く動かなかった胃袋が途端に動き出す。
 ナオは、ベッドから起きて部屋を出た。
 キッチンでタケルがフライパンを器用に動かして調理している。
 見慣れた光景。
 なのに涙が出そうになる。
 普通ならその大きな背中に抱きつきたいと思うのだろう。しかし、想像しても湧いてくるのは嫌悪感だけだった。
 ナオは、服の裾をぎゅっと握った。
 ナオに気づいたタケルは、にっこりと微笑んて「おはよう」と告げる。
 その目の周りにはうっすらと隈があった。
 恐らくタケルも寝れなかったのだ。
「顔洗っておいで。ご飯にしよう」
 タケルは、優しく言う。
 ナオは、小さく頷くとひどく浮腫んだ顔を洗い、化粧水とクリームを付け、寝癖を整えた。
 洗面所から戻ってくると朝食がテーブルに並んでいた。
 コーンスープ、ベビーリーフのサラダ、ベーコン、そしてオレンジピールの入ったフレンチトースト。
 毎朝食べてるのに何度でも食べたくなる。
 タケルの席に紅茶を、ナオの席にコーヒーと牛乳を置いて2人は席に座ると「いただきます」と声を揃えた。
 ナオは、フレンチトーストを手に取り、口に運び、ゆっくり咀嚼する。
「どお?」
 ナオは、口の中のものを飲み込む。
「・・・苦い」
 ナオは、つぶやくように言う。
「でも、美味しい」
 タケルは、小さく微笑む。
「今日はいつもよりオレンジピール多めだからね」
 ナオは、フレンチトーストの表面に星屑のように浮かんだオレンジピールを見る。
「これじゃあ、お店に出せないね」
 美味しいけど万人受けするものではない。
「いいんだよ。これはオレらの味なんだから」
 タケルも器用にナイフとフォークを使ってフレンチトーストを食べる。
「初めてこれを作った時のこと、覚えている?」
 タケルの問いにナオは頷く。

 それはタケルの店がオープンする一週間前、店の看板メニュースペシャリティー候補の試作品を幾つか作り、ナオに味見してもらっていた。
 ナオは、喜んで試食品を食べた。
 タケルの料理はどれも美味しい。
 そしてタケルの料理を食べている時が1番幸せを感じた。
 触れることの出来ない彼の温もりを唯一感じられる瞬間だから。だからこそ、オレンジピール入りのフレンチトーストを初めて食べた時、涙が流れた。
 あーっこれって私たちだ。
 私たちの味だ。
 苦いのに甘い。
 甘いのに苦い。
 万人には理解されない。
 万人に美味しいとは絶対に言われない。
 だからこそ、これは私たちなのだ。
 タケルは、突然、ナオが泣き出したことに戸惑った。
 ナオの涙は、止まらなかった。

「これってさ。失敗作だったんだ。本当はちょっとした香り付けとアクセントのつもりだったのに大量にオレンジピールを入れちゃって。避けてあったつもりだったのにナオが食べてるの見て慌てたよ。あまりにも不味すぎて泣いてるんだとばかり思った」
 タケルは、当時を思い出して苦笑する。
「そしたら、「これって私たちだ」って言ったから驚いたよ。どういう意味なのかさっぱり分からなかった」
「だって・・・」
 ナオは、恥ずかしそうに俯く。
 それ以上の表現が思い浮かばなかった。
 今だってそうだ。噛めば噛むほどにこれは私たちの味としか思えない。
「オレさ、昨日の夜からずっと悩んでたんだ。ナオにはあんなこと言ったのに、ずっと悩んでた。俺たちって間違ってるのかな?って。起きるまで答えが出なかった。出ないままに料理してた。そしたら急に思ったんだ。間違っててもいいんだって」
 ナオは、意味が分からず眉根を寄せる。
「だってさ。万人に理解されるなんて絶対にあり得ないんだから」
 そう言って笑うタケルの顔は、この上なく朗らかだった。
 その言葉にナオは、驚いて目を大きく見開く。
 それはかつてナオがこのオレンジピール入りのフレンチトーストを食べた時に思ったものだった。
 このフレンチトーストを絶賛する人はいないだろう。
 美味しいと言う人もいる。
 不味いと言う人もいる。
 苦いのが苦手という人もいる。
 苦いのが病みつきになる人もいる。
 しかし、多くの人はこれを美味しいと言って注文を繰り返したりはしないだろう。
 しかし、それでいいのだ。
 万人に理解されることなどあり得ない。          
 でも、タケルとナオは、この味を理解している。
 美味しいと思える。
 失敗もある。
 過ちも犯す。
 それでも生きるしかないのだ。
 この優しくない世界を。
 お互いを愛しく、理解しあっている2人で。
「ゆっくり歩いて行こう。間違ったって、失敗したって2人でいれば大丈夫」
 高校生のあの時、1人ではどちらも耐えられなかった。この世界に存在してなかったかもしれない。
 しかし、タケルに出会えたから、ナオに出会えたから痛みを伴いながらも笑って歩むことが出来たのだ。
 ナオの目から涙が流れて止まらない。
「さあ、ご飯食べちゃおう」
 フレンチトーストが美味しくなることはないのかもしれない。むしろ苦味はこれからも増していくのかも知れない。しかし、2人はこの美味しさを知っている、理解し合えている。
 それだけで2人は歩んでいける。

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